きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「クモガクレ」 |
Calumia
godeffroyi |
カワアナゴ科 |
2003.6.5(木)
一緒に仕事をしてくれている女性が午後から休暇を取りました。彼女は休暇もいっぱい残っているので、本当は一日休暇にしたかったのでしょう。私のグループは今、大忙しですので遠慮したんだろうと推測しています。今まで3人でやっていた仕事が、一人退職して2人でやるようになって、でも仕事は減らない、むしろ増えているのですから大忙しになるのは当り前なんですね。そんなところを理解してくれて、休暇も半分にしているのかと思うと申し訳ない気持でいっぱいです。この不況で贅沢な悩みと言ってしまえばそれまでなんですが、仕事のやり方をもう少し工夫して、ちゃんと休暇が取れるようにしたいものです。
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○詩誌『』26号 |
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2003.6.10 |
石川県金沢市 |
祷の会・中村なづな氏
発行 |
500円 |
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タシケント、オアシスの耳 白井知子
通路の列をかえ
ソフィアと腕を組む
二〇歳になるボルガタタール人
ソフィアがバザールを案内してくれる
シルクロードの十字路 タシケント
チョルスバザールに繰りだしてくる
焼きたてのナンをどっさり下げた農民が
アトラス模様のワンピースを着たタジクの女たちが
産みたての卵 刺繍した布スザミを売りにやってくる
サフランの香り 鼻をつくジーラ
カザフの男は鶏を何羽連れてきたのか
<アッサラーム・アライクム>
<アッサラーム・アライクム>
茹でた羊の頭
乾燥果実の山の粒々
甘い 甘い蜜のかかった木の実
そのあいだから 耳に滴ってくる 声が
――イワン雷帝に征服される前には
ロシア人の方こそ未開だった
さまよう野生の驢馬 ブロンドの奴隷かな
――あなたのお母さんや一族が生れたのは
タタールスタンのカザンなのですね
――ええ 伯父たちがいるので毎年帰ります
半数をこすタタール人はイスラムの布教もあり
母国から離れ ユーラシアに散らばりました
ロシア語で考え ウズベク語を話すソフィアは
日本語の翻訳の仕事をめざしている
そこで ホストファミリーになってくれた
ソフィアは眠っていたから知らない
今朝は陽が昇る前 母親のフィルーザとわたし
二人でゆっくりチャイを飲んだ
夜明けのチャイだ
陰暦で夜をめくるムスリムのフィルーザ
ラマダーン月の卓に葡萄と石榴 オランダ苺の砂糖づけ
パンケーキ 何杯もチャイ
――貧しい暮しのなかで小説を読むことだけが救いでした
大好きなモーパッサンとゾラはロシア語訳で
日本のものは『砂の女』とホッタヨシエを読みました
シルクロードの十字路 タシケント
スカーフを髪にバザールヘやってくる
日没後の食材を買いだしに 繰りだす人々
耳の水位を揺らして砂漠の民が行きかう
羊肉のシャシリク 腸詰の匂い
盛られた緑の葡萄
寄りそえば 水路がわたる
職さがしの男たちの輪をくぐり
カラカルパク人の肉屋 山盛りの香料を売るあの人は
何人だろう ドゥンカン人なのか
モンゴル人だろうか
カザフ人だとソフィアが教えてくれる
黄色地に細かい植物模様をつけた陶器を売るのが
ウズベキ人
次はドイツ系 その隣が朝鮮系 ともにスターリン時代
この地に追放された少数民族
ほらほら あそこ ソフィアが目配せする方向
蜂蜜のビン詰を売るあの人はロシア人
<地獄から来たれる者ども>
ラテン語のタルタルから
中世ヨーロッパ人が名付けたタタール
ソフィアは露日辞書を引きながら
日本語をもっともっと聴いていたいと
わたしに声を促すのだ
中央アジアの要衝 タシケント
空港からのびる六車線の軍用道路
市街地から離れれば
綿花畑と褐色の砂漠が広がっている
幹線道路をはずれた停留所に
荷物をかかえた人の長い列
キジルクム砂漠の烈風が顔を彫りこんでいく
満員の乗合バスは停まらない
窓側を躰より大きな荷物がふさいで走っていく
陽が沈んでも列はずっとそこにあるだろう
西暦六二二年 ヒジュラ暦紀元の
月光に照らしだされて――
遅れるバスを待っている
この地では陽は昇るのではなく沈むもの
砂漠の民は月の出を待ち魂の領域をほどくのだ
行き暮れた人の声が潤む 声が滴る
ヒジュラ暦第九月 晩秋
舌をふるわせ耳の水路に口をつける
蜜のかかった木の実
サフランの香り
ナンを売るあの人たちはずっと立っている
レースのかかった揺り籠
刺繍布スザミが何枚も吊るされ
<ラー・イラーハ・イッラッラー>
<ラー・イラーハ・イッラッラー>
わたしのもとへもわたったのだ
ひんやりした水路が 幾筋
オアシスの耳から耳へ――
交わす声に砂塵が吹きかかってきたけれど
今宵はボルガのほとり カザンの話を聴こう
離散の民 タタール人の末裔から
なお繰りかえされる ロシアからの自立
民族の誇りによせる魂の声が
ゆっくりと ゆっくりと
わたるだろう
中央アジアのウズベキスタン共和国へ旅行したときの作品のようです。ちょっと長いのですが全文を紹介してみました。中央アジアの雰囲気が存分に伝わってくる作品だと思います。日本人には苦手と言われている中東の歴史も勉強させてもらいました。「イワン雷帝に征服される前には/ロシア人の方こそ未開だった」「<地獄から来たれる者ども>
ラテン語のタルタルから/中世ヨーロッパ人が名付けたタタール」、そして今でも「なお繰りかえされる ロシアからの自立」の渦中にあるとは私を含めたほとんどの日本人は知らないことなんでしょうね。ロシアや中東を書かせたら、この詩人の右に出る人はいないんじゃないでしょうか。白井知子詩のスケールの大きさを堪能させてもらった作品です。
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2003.6.1 |
大阪府豊中市 |
ガイア発行所・上杉輝子氏
発行 |
500円 |
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いとしの ヴァガボンド 飯島和子
ほんのすこし あいてる窓から
涼しい風が うちの首すじを通って行った
昼すぎの 電車は 空いていて
うちは うつら うつら 広告をみていた
すると
急に どやどやと 学生たちが入ってきた
大学のある駅に 止まったのである
なんとなく みあげると
学生が わたしの前で 本をよみはじめた
表紙の 文字が 「ヴァガボンド」
うちは 思わず
「いやあ ヴァガボンドて 小説ですのん」
声をかけた
「いや まんがです」
まじめな声が 返ってきた
「なつかしい ことばやから」
ふと 言うてた
学生は にっこり 笑ってくれた
戦争が 終った年の秋
戦地から 帰ってきた彼と
きどって鴨川の つつみを歩いていた
紅もゆる ヴァガボンド
どこへ行くのか ヴァガボンド
マントひらひらさせてた彼と 歩いてた
ごとごと ゆれながら
本をよんでた 学生は
「さよなら」 声をかけて
「つるはし」 で降りて 行った
ちょっと ほほえんで降りて 行った
まんが 「ヴァガボンド」を持ったまま
五月の風のように
そして 消えた
作中にもあるように「ヴァガボンド」という小説があったような気がします。読んだ記憶はなく内容もまったく知りません。まして漫画にあるなどとは…。でも語感が良いので「ヴァガボンド」という意味を調べてみると、放浪者という意味なんですね。「戦争が 終った年の秋」の話は、その言葉とうまく重なっていると思います。「戦地から 帰ってきた彼と」「本をよんでた 学生」も作者の中では重なっていると読んで良いでしょう。飯島和子詩の、ちょっと寂しい世界が描けている作品だと思います。人は皆「ヴァガボンド」。そんなことまで感じさせてくれる作品です。
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2003.5.20 |
東京都千代田区 |
創造書房刊 |
1200円+税 |
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ひきだしが一杯
近ごろ覚えたいことが覚えられない
英語の単語
ごまだれの作り方
自分の携帯電話の番号
頭の中の小さなひきだし
どこかに確かにしまったはず
でも出てこない
出てくるのは要らないものばかり
幼稚園のとき好きなハンカチをどぶに落としたこと
友人A子の初めてのデートは春分の日だったこと
知人が法事のお返しの最中(もなか)を車で轢いてしまったこと
こんなもの捨ててしまえば
大事なことをしまっておける
スペースを作れるはず
「忘れてもいいこと」を思い出すうち
私の頭の中は
どうでもいいことや 遠い昔のことで
一杯だということがわかる
五歳の思い出は
大きなひきだしに ゆったり入っていて
いつでも取り出せるのに
四十歳の思い出は
その辺の空箱に押し込められていて
三十八歳のや四十二歳のとごちゃまぜになっている
しかたない、せめて日記でもつけようかしら
いや、前にもそんな決心したような……
第一詩集だそうです。ご出版おめでとうございます。紹介した作品は詩集のタイトルポエムですが、最終連が良く効いています。私は著者より5歳ほど年上になりますので、この感覚はよく判ります。本当に「四十歳の思い出は/その辺の空箱に押し込められていて/三十八歳のや四十二歳のとごちゃまぜになって」しまうんですね。海馬の働きが作用しているようですが、まあ私の場合は回復の見込みはないでしょう(^^;
生活に根ざした作品が多い詩集ですが、紹介した作品のように素直な中にもちょっと違った視点を感じさせる作品が多くありました。これから第二、第三の詩集を出していくうちにどういう変貌を遂げていくのか楽しみな詩人です。新しい詩人の登場に惜しみない拍手を贈ります。
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2003.6.5 |
東京都港区 |
新風舎刊 |
1200円+税 |
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両国
舟を押出し
水を分け
黒髪とかし
舟は月に入る
女は鳥になって飛び立った
太陽は舟を焼いた
紙をくわえ後ろ手に髪を結びつつ
舟瑞に足を投げ出し
水をける鳥たち
太陽は川になった
黒舟揺れている
天窓に水晶
に封じられた歯車
蝶の化石のよう
に燃え続けた赤い蝋燭
のような鳥の腰
塩も火も
塩も火も
打ち合わせた一瞬
の軍配返り
俵割る病に滅ぶまで
その距離遥かな
遥かな距離に生き死にの
打ち返し打ち返し打ち返し打ち返した神と神
石と石
星と星
鬼と鬼
生き体死に体生き体死に体生き体――
舟は月に入る
病洗って口に入れると
李(すもも)の香りが唇しばり魂(たま)しばり
李(り)さんの衣ずれ青い
ハンカチ青い
青い舟
押し出し
立つ塩
立つ浪
宇宙を踏む部屋が聳え
副題に「――芥川龍之介を巡る文学・詩歌の旅」とありますように、芥川龍之介と、交流のあった文学者・詩人の足跡を辿る旅のエッセイ集です。登場するのは芥川龍之介を始めとして室生犀星・朝子親子、萩原朔太郎、斉藤茂吉、中野重治などなど。彼らが泊った宿や住んだ場所を丹念に歩いて、著者自身の文学の糧としている様子が判ります。初出は詩誌『燎原』がほとんどで、1987年から2001年に発表されたものの集大成でした。その息の長い活動には驚嘆しましたね。
紹介した詩作品は、本著のタイトルともなっている「窓は夢想」という章に挿入されていたものです。芥川龍之介を訪ねる旅の途中で訪れた「両国」の、独自な捉え方がおもしろいと思います。長いエッセイの中で挿入される詩作品は、読者としてはホッとするものを感じますし、やはり著者は詩人なのだと安心するものもあります。散文一本槍のエッセイとは違う妙とでも言いましょうか、小林尹夫詩の世界を拡げる一冊だと思いました。
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