きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.6.7(土)

 日本現代詩人会の「日本の詩祭2003」に誘われていたんですが、行けませんでした。他に予定はなかったんですけど、行ってしまうといただいた本を読む時間が無くなるのが判っていましたから、グッと堪えました。現代詩人会の皆さん、ごめんなさい。
 でも、お陰でだいぶ進みましたよ。



  隔月刊詩誌ONL67号
  onl 67    
 
 
 
 
2003.5.30
高知県中村市
山本 衛氏 発行
350円
 

    まがい物    山本 衛

   コウケイ4号と名付けられたサツマイモを
   家族中が夜っぴて菜刀で刻み
   土間いっぱいに生芋の匂いに包まれる
   霜の一面に降り敷いた早暁
   湊の脇の砂浜に一枚々々並べて干した
   三日目の夕刻
   供出の切り干し芋の荷造りとなる
   浜の砂や小石がへばりついていて
   母はじれったいほど丁寧に
   取り除いては俵に詰めた
   −人様は芋が欲しいのであって
    石も砂も食えんもんネ−
   (少しくらい紛れ込ませておけば目方もその分増えるのに)

   半世紀余の平和の果てに
   追い詰められた農業は
   紛れ込ませることに躍起になった
   ショウガもコメもタマネギも
   タマゴもウシもチチまでも・・・
   ありとあらゆるものに
   一つしかない名前を借りて
   偽物だけを売りまくる世の中を作った

   お母やんよー
   あの時切り干しに砂利を交ぜてた人らは
   なんばでもええ暮らししよった

   教えておいて欲しかった
   まがいモノこそが身を立てる事を
   ホンマの事しか知らん人生ってなんとも
   バカバカしいもんだということを

   お母やんよー

 痛烈な批判詩だと思います。「あの時切り干しに砂利を交ぜてた人らは/なんばでもええ暮らししよった」というのは過去のことではありますが、実は現在にも通じていると批判しています。「一つしかない名前を借りて/偽物だけを売りまくる世の中を作った」ことは記憶に新しい牛肉などの話でしょう。最後から2連目は「教えておいて欲しかった」と「お母やん」に語りかけていますが、もちろん反語です。そして、「お母やんよー」という繰返しが非常に奏功している作品だと思いました。



  詩誌『花』27号
  hana 27    
 
 
 
 
2003.5.25
埼玉県八潮市
花社・呉 美代氏 発行
700円
 

    葉    山田隆昭

   橋の西詰に一本の木がある
   はがきの木≠ニ呼ばれるものだ
   かつて葉に文字を書きつけて通信に使ったという
   葉書の由来であった

   書きつけられた文字は
   いつまで意味を保っていただろうか
   枯れる葉とともに
   伝えようとした言葉も
   散っていったにちがいない
   まさに言の葉であった

   ぼくはいま
   短い通信を書こうとしている
   文はギュッと圧縮されていて
   言いたいことが伝わるかと心配している が
   そのまま引出しにしまっておけばいい
   夏が過ぎて冬が来て また春になれば
   硬い蕾がほどけるように
   言葉が開花する
   開いたままずっと
   芳香を放っていると思いたい

   だが花は開いたままのはずがない
   いつかきっと木の根元に醜く横たわっている
   花のあとに実がついて大地に落ちて
   地中ふかく根を張る
   伝えそこなった言葉を届けよう と

 本当に「橋の西詰に一本の木がある」かどうかは知りませんが、「葉書の由来」というのは判るような気がしますね。辞書で見ると端書∞羽書≠ネどもあり、英語ではPostcard≠ナすから「葉書」が常に正解とは限りませんけど、やっぱり「葉書」の方が夢があるなと思います。そんな思いを表現していて、その上「伝えそこなった言葉を届け」るなど、さすがと思う感性です。「芳香を放っていると思いたい」というフレーズの「思いたい」には作者の人柄まで表れているようで、何度も納得した作品です。



  詩誌『複眼系』32号
  fukugankei 32    
 
 
 
 
2003.5.20
札幌市南区
ねぐんど詩社・佐藤 孝氏 発行
500円
 

    遺言    本庄英雄

   父のまなざし
   父の表札
   父の恋人
   父の通帳
   父の体臭

   すべからく
    何も残すな

   二〇〇三年 三月一日
   快晴
 あやか
   長女 彩芳の
   卒業式に 列席

 同じ父親として、これはよく判りますね。ただ、私の場合はこんなにキッパリとしていませんでした。もっとベターッとしていたように思います。そういう思いで作品を読み直してみると、実にキッパリとしていることを改めて知らされます。もちろんその奥には私と同じようなベターッとしたものがあるんでしょうが、それは作品の行間で感じることでしょう。
 それにしても「すべからく/何も残すな」とは、一度は言ってみたい科白ですね。




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