きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「クモガクレ」 |
Calumia
godeffroyi |
カワアナゴ科 |
2003.6.10(火)
室内犬の調子がどうもおかしいので、先日、病院に連れて行きました。変なときに怯えたように鳴いたり、ずっと私のベッドの下に潜り込んだりしていて、今までの元気さがありません。トシは10歳になりますからボケが始まったかなとも思うのですが、素人判断は危険なので専門医に見せたものです。その結果が今日知らされました。
結論は原因不明。血液検査では正常でまったく問題がないとのこと。あと考えられるのは精神病だけだそうです。残念ながら犬の精神病は人間には治せないとのこと。それはそうだよな、精神分析のやりようがないものな、と納得しました。
そこでフッと思いついたのがストレスです。ストレスはあり得ます。家の中に居っ放しですから、たまに庭に出してやると狂ったように走り回って、ニコニコ(ホントです(^^;)しています。そういえば、ここ数ヶ月外に出してやらなかったもんな。今度の休日が晴れていたら試してみようと思っています。箱入りムスメ(もうおばあさんですが)は良くないということですかね。
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2003.2.26 |
神奈川県伊勢原市 |
丹沢大山詩の会・中平征夫氏
発行 |
非売品 |
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アタランテの乙女 古郡陽一
一八六六年 大西洋で引き上げられた船首像
その豊艶(ゆたか)な胸に魅せられて 自死した将校
アタランテの乙女は
博物館の奥に 封印されて久しい
秘めた思いは秘めたまま
高揚(たかま)る潮(うしお)は
胸の奥深く
ゆっくりと沈めて
揺れたり 傾いたり
溢れそうにも なったりするが
こころ 鎮まるまで
無明(むみょう)の酒を 飲み明かそう
虚飾(かざ)らず
群れあわず に
生きる年齢(とし)に なったのだが
暗示する意味を 宇宙の深みに秘(かく)す
智慧を 持たねば
火種は
踏み消されてしまう
残された日々より 遺した願望(のぞみ)は重く
心のパスワードを 新たにし
詩(うた)に詠みこむ 朝来(ま)だき
(二〇〇二年十月 初作、
二〇〇三年二月一部改)
「虚飾らず/群れあわず に/生きる年齢に なった」というのは実感なんでしょうね。私はまだまだその境地には至っていないようです。「暗示する意味を 宇宙の深みに秘す/智慧を 持たねば」というのも重要なフレーズだと思います。「暗示」が読み取れるかどうかが問われているとも考えられます。「アタランテの乙女」から想起されて「心のパスワードを 新たに」するところまでたどり着いたこの作品は、歴史という時間と「宇宙」という空間までうたいあげた深遠な作品だと思いました。
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2003.5.20 |
神奈川県伊勢原市 |
丹沢大山詩の会・中平征夫氏
発行 |
非売品 |
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つれない つれあい 西部周子
「なんだ」
何気なく言うのでしょう
けれど
あなただと
私、カチンと来るのよ
「なにさ」
とんがってしまう
そして
あなたに黒は黒
私、カッカするのよ
ふり返れば、ユーモラスかも
グチれば
相手が居るだけまだまし
同年代でも、他の男性なら
もち、にっこりやりすごせるわ
ほんと、私、レディなのに
「なんで」
ちょっとは反省する
でも、やっぱり繰り返す
まぁいいか
達者な証拠
この作品は判りやすいほど良く判りますね。夫婦ってこんなもんなんでしょう。男の側としても身に覚えがあります。最終連の2行「まぁいいか/達者な証拠」というのも良く効いていると思います。このフレーズがあるから収まるところに収まったと言えるのではないでしょうか。
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2003.6.5 |
大阪府豊能郡能勢町 |
詩画工房刊 |
2500円 |
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東京、新橋の居酒屋というより、粋な女将のいる小料理屋で、飲んでいたときのことで
ある。女将のいい店というのは、必ずといっていいほどその店の客筋は悪くない。ぼくの
他に、一流企業を退職して、いまは悠悠自適の生活を楽しんでいる老人と、エンジニアを
しているという二人の酔客がいたのだが、なかなかの文学好きで山頭火の句について話を
していた。
分け入っても分け入っても青い山
自由律で、なんとはない日常語で書きながら、一つの詩の世界を形成している山頭火
は、ぼくの敬愛する詩人(俳人)の一人であったので、ついつい話の中に入ってしまっ
た。ところが酔いが廻ってくるにつれ、ぼくらの会話はだんだんと遊びの方向に傾いてい
った。山頭火の句は真似しやすいので、この句をベースに句をつくって楽しもうというこ
とになった。
近づいても近づいても離れていく女将(ママ)
愛しても愛してももてない男
飲みつづけても飲みつづけてもきりのない酒
こんな具合に、女将を笑わせながら、ぼくらの遊びは延々と続いたのだが、その時ぼく
は、山頭火の句がこのように人口に膾炙し、芸術性を保ちながら愛されているのはなぜな
のかと考えた。そして、日本人の体にしみついている五七五のリズムを排し、自由律に走
りながら、山頭火の求めていったものは、われわれの生命(いのち)の中に内在するリズム、五七五
のもっともっと奥に潜在する生活のリズムではないかと思ったのである。
1999年に出版された詩論集『いま一度、詩の心を』の続編です。紹介した文は2002年1月の『柵』に載せられた「いのちのリズム」の部分です。詩を楽しむ詩人の一面が出ていて、真似句のおもしろさもあって紹介してみました。呑みながらでもこういう句≠ェ出てくるところなどさすがです。
この文は「五七五」の論へとつながっていくのですが、本そのものはかなりシビアな内容になっています。特に難解な詩へは説得力のある論が展開されていきます。いわゆる純粋詩≠ヨの批判も的を射たものになっていて、なるほど、なるほどと頷きながら拝読しました。著者の主張は一貫して市民感覚で、判りやすい言葉で、内容の深い作品を≠ニいうことになると思います。初心者もベテランも「いま一度」振り返ってみるためにも必要な一冊と言えましょう。
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