きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.6.13(金)

 一緒に仕事をしてくれている女性が、来週、満5年の契約期間が終了します。要するに退職するわけです。職場で送別会も計画されていますが1ヵ月もあとのことですので、ここは私のグループだけの送別会をやろうということにしました。場所は、小田原では好きな店での、料亭「右京」。ちょっとお値段は張りますが静かな店なんです。
 私のグループと言っても3人しかいません。男は私ひとりで、あとは女性2人。そのうちのひとりが居なくなっちゃうので、私としてはちょっと辛いものがありますけど、まあ、しょうがない。リストラの時代ですからね、補充もないことがはっきりしています。呑みながら件の女性も心配してくれて、そんな話で終始しました。こちらも心配なんですが、もっと心配なのはその女性の再就職先です。次はなかなか決まりそうもありません。自分の力のなさを再認識した送別会でありました。



  隔月刊通信誌『原詩人通信』102号
  gen shijin tsushin 102    
 
 
 
2002.4
東京都品川区
原詩人社・井之川 巨氏 発行
200円
 

 最初にお断りしておかなければいけないのは、上の写真は半分だけだということです。
 本誌はB3版の大きさです。私のスキャナーはA3までしか撮れませんので、止むなく半分のB4版で撮ったという次第です。このあと4号分の写真が出てきますが同じ理由によります。ご了承ください。

    勲章について    有馬 敲

   さてさて いかがしましょう
   ショウ・ウィンドウに殊勝に並んだ
   正真正銘の勲章
   小から大まで 称讃の証明
   まぶしいでしょう
   まどわされるでしょう

   これが明治生まれの大勲位菊花大綬章
   おなじく旭日章 宝冠章 瑞宝章
   胸もとに飾った皇族 軍人さん
   証 証 証誠寺の大正たぬきたちと
   ぽんぽこぽんぽこぽんぽん
   負けるな負けるな 戦功勝利の
   勲章つけて剣さげて
   馬に乗って浮かれてうたって
   負けた昭和のいっとき消えていたが
   またぞろ勲一から勲八まで化けてきて
   少々 化粧しなおした顔つきで
   街のまんなかであやしく輝く

   さてさて さいきんの掘り出し品
   大勲位菊花大綬章 金一千万円也
   功一級金鵄勲章 おなじく金一千万円也
   勲七等青色桐葉章 美品箱入り金九十万円也
   ………………………………
   みごと戦前戦中戦後がいっしょくた
   文化褒章もないまぜになって
   希少な記念切手よりも古コインよりも
   高い値札をぶらさげている
   商品にはたぶんにせ物もあるのでしょう
   しょう しょう 性のわるい
   勲章のインフレーション

   しょせん笑止千万 切歯扼腕
   かくかくしかじかで核戦争もしょうがない
   とはいえないでしょう
   そうでしょう そうでしょう
   ハッ クンショウ ン!

 この作品は有名な詩ではないかと思います。「勲章について」というタイトルは記憶に残っています。まあ、有名無名を別にしても現在の日本を揶揄するおもしろい詩ではありますね。「勲章」を欲しがる人は意外と多いようです。○○委員もやった、市議会議長もやった、あとは勲章だけだ≠ネんて話を時折耳にします。勲章を欲しがることはそれ自体子供じみて罪はないんですが、問題は勲章を餌にした国民総動員の怖さでしょう。そこをピシッと言った作品だと思います。



  隔月刊通信誌『原詩人通信』103号
  gen shijin tsushin 103    
 
 
 
2002.6
東京都品川区
原詩人社・井之川 巨氏 発行
200円
 

    ああ敦子よ    千葉富貴子

   ああ敦子よ
   ママは今も一日として
   あなたを想わずにすごす日はない
   朝、一日の営みがはじまろうとするとき
   夜、天地の抱擁の中に身をゆだねて
   眠りにつこうとするとき
   ありがとう≠ニあなたの笑顔に合掌する。

   そして日にいくどか
   ひとときの休息をもとめてソファに横たわるとき
   あなたも こうして日にいくども
   ソファに横たわったことを
   思い出さずにはいられない。

   そのときあなたは
   肉体のうめきに耐えながら
   ひとことの嘆きも言わず
   生かされて在る その今≠ノ感謝して
   己の為しうることを為し通して
   生きたのだ。

   ああ敦子よ
   あなたに励まされて
   ママも最後のその日まで
   そのように生き通したい。
                 (1988年 9月〉

 直接的な表現ではありますが、母が娘を思う気持がよく伝わってきます。「そして日にいくどか/ひとときの休息をもとめてソファに横たわるとき」などの具体的なフレーズに作者の人となりを感じています。この感覚は女性特有、などと書くと怒られるかもしれませんが、少なくとも男・父である私には少ない感覚です。それもまた私の人となり≠ニ言えるのかもしれません。



  隔月刊通信誌『原詩人通信』105号
  gen shijin tsushin 105    
 
 
 
2002.10
東京都品川区
原詩人社・井之川 巨氏 発行
200円
 

    戦争    菊池章一

   戦争が始まった
   新しい世紀の戦争だと言う
   どこが新しいか
   殺し合いに壊し合い
   何千年も前からやって来たこととどこが違うか
   軍事施設に限定した攻撃だと言う
   にも拘わらず市民の犠牲が出た
   誤射だと言う
   誤射も正射もあるものか
   命中するだけの弾丸などはない
   第一難民が出ているではないか
   難民は前の戦争と内戦から出ている
   新しく難民が出るのを承知の攻撃なのだ
   いつだって民衆が苦しむのだ
   それが戦争というものだ
   何が新しいか
   それに各国が協力すると言う
   日本も協力すると言う
   憲法前文「自国のことのみに専念」せず
   「国際社会において、名誉ある地位を占め」るために協力するのだと言う
   そのために憲法の許す範囲内において出来るだけのことをするのだと言う
   だから自衛隊を派遣するのだと言う
   後方支援で武器や物資を運ぶのだと言う
   前線で「武力の行使」はしないのだから憲法九条違反ではないと言う
   何を言うのだ
   武器弾薬を運んで行って攻撃側に手渡すのが「武力の行使」ではない、と?
   そればかりか
   「現憲法のもとではここまでしか出来ない
   国際協力のためには憲法の改定が必要なのだ」と言わんばかり
   話がまったく逆立ちじゃないか
   「日本国民は、正義と秩序を基礎とする国際平和を誠実に希求し
   国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は
   国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
   こんな立派な憲法条文を持った国がほかにあるか
   これは悲惨な戦争の歴史を辿って来た愚かな人類の反省であり叡知なのだ
   自力で考えたものであろうとなかろうと
   日本だけが人類史上初めてこの叡知を条文としたのだ
   これこそ国際社会における「名誉ある地位」ではないか
   日本よ、君はこの地位を捨てようと言うのか
   大親分の出入りに駆け付ける組頭みたいな真似はやめろ
   きっちり肉一ポンドを切り取るなんて出来ないのだ
   世界の人民たちよ、ポーシャ姫の智慧に学べ
                  二〇〇一年十月十三日
                      −『癌患詩集』より−

 こうして改めて「憲法前文」に触れてみると、すごいことが書かれているなと思います。憲法改悪の中で、与えられた押しつけられた憲法という話が出てきますが、作者は「自力で考えたものであろうとなかろうと/日本だけが人類史上初めてこの叡知を条文としたのだ」と明快です。その通りでしょうね。良いものは良い、悪いものは悪いと明確にすべきなんでしょう。

 憲法に限りませんが、例えば有事立法のことが職場で話題になるとき、私は最後にこう言います。私たちが選んだ政治家、政府が決めたことだから、責任は私たちにある=B選挙制度の問題や選挙における締付けがあったとしても、結局はそこに行ってしまうのではないかと考えています。ただし、最後にもうひとつつけ加えています。私は選んでいないけど…=Bこれをおそらく日和見主義≠ニ言うのでしょう。



  隔月刊通信誌『原詩人通信』106号
  gen shijin tsushin 106    
 
 
 
2002.12
東京都品川区
原詩人社・井之川 巨氏 発行
200円
 

    部品    関谷 泉

   このボルトはずいぶんくたびれてきたな
   こんなにゆっくり回るモーターなどいまどき見たことがない
   修理代のほうが高くつくぞ
   日のささない裏庭に部品が山と積みあげられる

   怪我をしたもの
   病気になったもの
   老いたもの
   工場から会社から仕事場から
   つまみだされ
   街角をさまよう
   通行のじゃまにならないところへ行ってくれ
   子どものための公園です

   「この手でずーっと働いてきたんだよ」
   てのひらの皺を見せようとすると
   こわれた部品を厭うように
   かおをしかめてみな逃げ去った
                   (「ぞくおはなししましょ」22号より)

 「部品」でしかない人間の哀しさをうたった作品ですが、大事なのは最終連だと思います。社会の仕組みとして不要な「部品」が捨てられるのは百歩譲れば理解できるのですが、譲れないのはいずれ捨てられる「部品」である現役≠フ「部品」たちの態度です。それも社会の仕組みと言えるのかもしれませんけど、個の問題が問われている作品だと読み取りました。小品ながら問題の本質に迫る佳作と言えましょう。



  隔月刊通信誌『原詩人通信』108号
  gen shijin tsushin 108    
 
 
 
2003.4
東京都品川区
原詩人社・井之川 巨氏 発行
200円
 

    愚直な男    小野悌次郎

   日本国の良心を問いつづける
   金成寿という男
   地裁
   高裁
   最高裁
    とぜ〜んぶ棄却です
   ふしぎだなあ
    ぼくの右腕がなくなったのは
    ぼくの左脚に銃痕がのこっているのは
   日本帝国軍人 大立俊雄としてであったのになあ
   右腕を戻してくれ 左脚を元に戻してくれ
   というのではない
    ごくろうさん 申しわけなかった
    傷痍軍人として 日本兵としての
    あたりまえの補償を させて頂きます
   と 日本国に言って欲しいのだ
   成寿さん 豚毛の背中流し用はけ
   気に入ったんだね あげるよ
    荷になるけど
    釜山にもって帰ってね
   「日々是好日 いい旅つづけよう」
    二〇〇三・二・十七・おの
    あなたの背中を流させてもらったよ
    せめて 気分よく 余日を生きよう。

 「日本国に言って欲しい」ことはまだまだ残されていると改めて知らされた作品です。アメリカの尻にくっ着いて国際貢献とやらも良いけど、50年も前に決着させておかなければいけなかったことが今だにやられていないという現実に、ひとりの日本人として恥じ入ります。作者もそれを感じているからこそ、この作品が出来たのでしょうね。「せめて 気分よく 余日を生きよう。」というフレーズに個人の良心を感じるとともに、個の限界も感じてしまいました。考えさせられる作品です。



  個人誌『むくげ通信』16号
  mukuge tsushin 16    
 
 
 
 
2003.6.1
千葉県香取郡大栄町
飯嶋武太郎氏 発行
非売品
 

    韓国へ 行けない    飯嶋武太郎

   ゴールデンウィークだというのに
   韓国へ行けない
   疲れたこころを
   あの温かい人情にふれて癒したいのに
   チンダルレの花咲く野山を見たいのに
   故郷のような田舎を散策したいのに
   韓国へ行けない

   去年の暮 京畿道金浦市に豚コレラが出た
   たちまち六道六〇戸の農家に蔓延して
   六万五千頭もの豚が殺された

   わたしの職場では
   豚を千頭飼っている
   もし わたしが韓国へ行き
   職場の豚に豚コレラが出たら
   危険地域に行ったわたしが感染源だと
   疑われるのは眼に見えている
   千頭の豚は すべて殺さねばならず
   わたしはその責任を取らねばならない

   わたしの身分など どうでもいいことだが
   心配なことは
   SRAS以上に伝染力が強い豚コレラは
   例え千頭の豚を殺したとしても
   わたしの職場だけで抑えこむのは不可能だろう
   国の方針で二年前からワクチン接種を止めて
   免疫のなくなった日本中の豚に感染し
   養豚界に莫大な被害をもたらすだろう
    (韓国に流行が拡大した理由はワクチン非接種)

   思っただけでも身震いする
   そんな事態は絶対に避けねばならない
   人間に食われるために生まれてきた豚の
   儚く貴い命ゆえに 例え一頭でも
   疫病などで殺してはならない

   注‥豚コレラ=最も恐ろしい豚の急性熱性伝染病

 作者は県畜産試験場にお勤めのようです。そのため「韓国へ 行けない」と嘆いている作品ですが、職業柄とはいえ察して余りあるものがありますね。本誌は韓国の詩作品を紹介する目的で発刊されているようですが、それだけ思い入れの強い国ですから何度も訪韓しているのでしょう。「あの温かい人情にふれて癒したいのに/チンダルレの花咲く野山を見たいのに/故郷のような田舎を散策したいのに」というフレーズで作者の心情が判ります。もう「豚コレラ」は収まったのでしょうか、早く韓国に行けるようになるといいですね。



  詩誌『路』10号
  michi 10    
 
 
 
 
2001.6.1
東京都小平市
路の会・越路美代子氏 発行
500円
 

    歌    石渡あおい

   短波放送を聞いていると
   ブラジル風の音楽が
   流れてくる

   波に揺れるような
   草を揺するような
   母音の響きとリズム

    ひかえめな喜びのア
    かすかな微笑のイ
    ちょっと不満そうなウ
    あいまいなエ
    やさしいキッスのオ

   意味はわからないけれど
   遠くはなれた息子への
   老いた母の歌ではないかと
   思ってしまう

   星も凍りそうな
   晴れた冬の夜には――

 「歌」を読み解く作者の感性がすばらしい作品だと思います。「ブラジル風の音楽」というだけで具体的な曲名は判りませんが「波に揺れるような/草を揺するような/母音の響きとリズム」というフレーズで想像することができますね。的確な表現と言えるのではないでしょうか。「遠くはなれた息子への/老いた母の歌」という受け止め方も作者の人物像が見えるようで、好ましい印象を受けた作品です。



  詩誌『路』11号
  michi 11    
 
 
 
 
2002.6.1
東京都小平市
路の会・越路美代子氏 発行
500円
 

    タイム・ラグ    越路美代子

   くぐっぽ ぐっぽ
   新しい翠のかげ で
   鳩の くぐもる声がする

    起きぬけのわたしに
    ――受話器のむこう
    とおい海 を
    わたってくるいくつかの ことば

    「おやすみなさい」と ひと日のおわりを
    告げるあなた そのはるかな波動に
    より添うわたしの 朝

   半びらきの窓べ
   はこばれる五月の かぜ
   鳩がまた 啼いた

   くぐっぽ ぐっぽ……

 ご主人が「とおい海」の向うに勤務しているのでしょうか、国際電話の「タイム・ラグ」は当事者には大変なことなのですが、ある種の夢がありますね。この作品の良さは、そんな「タイム・ラグ」のおもしろみもありますけど、「鳩」の扱いの巧さだと思います。世界を股に掛ける人間をよそに、「鳩」ののんびりとした啼き声、その対比の妙も奏功している作品だと思いました。



  詩誌『路』12号
  michi 12    
 
 
 
 
2003.6.1
東京都小平市
路の会・本間雪衣氏 発行
500円
 

    カメレオンのような    石井真智子

   光り輝いている 小さなバッグ
   丸いスパンコールを
   無数に 連ねて

   立ててみると ぬらりと光り
   横にすると ぶどう色に輝く
   カメレオンのように 変わる色

   手ざわりは 冷いのに
   持ってみると 暖かい

   わたしは どうかしら
   立ってみる 横になってみる
   光りに 当ってみる

    愛されながら
    愛せない心
    愛しながら
    愛せない心

   もう一人
   カメレオンを
   しのばせて いる

 「光り輝いている 小さなバッグ」に「カメレオン」を連想し、そこから自分に立ち返るという構造を持った作品ですが、最終連が良いですね。もちろんその前の連が生きているからこそ最終連が光ってくるのですけど、屈曲した心理がこの詩全体の二重、三重構造と結びついておもしろい効果を出していると思います。まさに「カメレオンのような」作品と言えましょう。




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