きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.6.15(日)

 昨日、今日と日本詩人クラブ仙台大会があったのですが、行きませんでした。行こうと思えば行けないわけではなかったのですが、この4年間は理事として大会に参加し続けて、ちょっと疲れ気味でしたから、理事解任になった今回はサボらせてもらいました。

 結果的には行かなくて正解でした。昨夜は会社から呼出しの電話があって、22時頃出社しました。製造課からモノを造り続けて良いかどうかの判断を求められたもので、現物を見てダメと判断しました。その間わずか3分。わざわざ出掛けなくても画像を送信してもらってそれで判断するという手もあるんですけど、デジタル画像では判らないほどのものですからね、やっぱり実際に現物を見ないと…。いずれにしろ会社の近くにいて良かったという事例です。

 今夜は今夜でお通夜に行ってきました。実家のそばの人が亡くなって、その人にはひとり暮しの父親がいつも世話になっているので、欠席するわけにはいきませんでした。これも弟や妹に代理を頼むという手もあったんですけど、一応長男ですからね、相手の受止め方が違います。これも居て良かったなと思いました。

 そんな訳で、仙台に行かなかったからと云って決してボーッとしていたわけではありません。ひところご一緒すると約束した皆さまには裏切り行為になってしまいましたけど、ご海容ください。仙台で逢いたかった詩人もいたのですが、いずれ機会もありましょう。その節には改めてよろしくお願いいたします。



  アンソロジー『渚の午後』2003
  nagisa no gogo 2003    
 
 
 
 
2003.6.5
東京都足立区
渚の会・長嶋南子氏 発行
680円
 

    木のこと    藤本敦子

   見えない名前もわからない
   一本の木
   道は煙っている
   どのように辿り着こう
   ただ この道の果て 立っている木がある
   と信じることで わたしは
   気弱な草のようにも立っていられる

   木は
   川の水みたいに流れていかない
   綿雲みたいに消えてしまわない
   そしてそれから と同じように
   接続詞なのだ

   いのちを むすび
   いのちを つなぐ

   ひとは 果てしないものを好むが
   垂直なものに掴まって 生きている
   ふかぶかと木を見ている
   ほぐれて根を見ている

    アメリカの原住民のある部族の長老は 白人の征服者
    について 部族の食物も財産も うばっていったこと
    も許そう 妻や子や友人たちを殺したことさえ許そう
    だが 桃の木の林を切り倒してしまったことだけは
    どうしても許せない と語ったという

   やがて 帰ってゆくところ
   木のことを思うとき あわあわとそこに道が生えてくる

 「木は」「接続詞なのだ」という発想が新鮮に映りました。「いのちを むすび/いのちを つなぐ」というのも判りますね。何千年にも及ぶ木の生命力と他の生物を養う能力を考えると、まさに地上の生命の母と言えるかもしれません。いやいや、生命の循環を考えると海にも匹敵すると形容した方が良いでしょう。
 この作品の大きさは第5連にあると思います。「アメリカの原住民のある部族の長老」の言葉は作品に奥行を与えています。「木のこと」をもう少し考えてみたくなった作品です。



  詩誌『馴鹿』33号
  tonakai 33    
 
 
 
 
2003.6.15
栃木県宇都宮市
tonakai・我妻 洋氏 発行
500円
 

    まわりを見ると    村上周司

   斜めに光る
   金色の光に
   一日めいっぱい働いた
   老農の手の血管が
   ふくれあがって見える
   機械化時代になった今
   何と人々は
   変化とあわただしく
   生活をしているのだろうか・・・
   まわりの道祖神は
   守り神のように
   村の秩序を監視しているかのように
   みつめている

   凹地に光る
   大地の炎・・・
   幻影は
   宝石のように輝き
   土は
   枕木の下敷きになり
   コンクリートの電柱に
   いやというほど刺され
   土は
   うめいている

   百姓が耕している
   田畑は
   祖先が苦労して
   築いてくれたものだ・・・
   貧苦の中に
   先祖代々の農家の
   血はさわいでいるのだ・・・
   やがて月はあたり一面
   大地の皺を探っている

 「まわりを見ると」「土は」「うめいている」ことを訴えている作品ですが、「枕木の下敷きになり/コンクリートの電柱に/いやというほど刺され」ているという具体性があって納得させられます。その「田畑は/祖先が苦労して/築いてくれたもの」。「百姓」の土への執着が嫌味なく伝わって来ました。「道祖神」が「村の秩序を監視している」のも納得できるところです。
 最終行の「やがて月はあたり一面/大地の皺を探っている」というフレーズもいいですね。久しぶりに農耕民族・日本人の原点を考えさせられた作品です。




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