きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.6.16(月)

 日本ペンクラブの例会が東京會舘でありましたけど、今回も出席できませんでした。井上ひさしさんが会長になって初めての例会ですから行きたかったんですけどね…。でも、とても休暇をとれる状態ではありません。ここは我慢するしかなさそうです。



  詩誌『パンと薔薇』120号
  pan to bara 120    
 
 
 
 
2003.6.10
北海道室蘭市
パンと薔薇の会・光城健悦氏 発行
500円
 

    息吹    村田 譲

   手の甲に触れなかったか、いま
   あえいでいたのではないか、そこで

   ひとつの細胞ともうひとつが
   いっしょにくちを開いていないか
   木の葉が隣の葉をはじいて
   すれあう音が
   一本の樹のざわめきをつくり
   それがシンクロした森となっていないか
   樹海のあげる産声が
   峰に沿ってそそり立ち
   吐きだされた呼吸の塊が
   雲を沸きあげて
   うごかしていたのではないか

   おまえの横で張り裂けたうずまきが
   なきさけびながら
   ついに身体の中心を貫き抜けたのではないのか

 初めて拝見した詩誌ですが、今号は村田譲さんの特集になっていました。既刊詩集3冊か1〜2篇づつ転載されて、彼を良く知る人たち4人がエッセイを寄せています。写真も豊富にあって小特集と銘打っていますけど、村田譲という詩人を知る上ではよくできた特集だと思います。

 全部で5編の作品のうち3編は拙HPで紹介していました。紹介していない2篇はいずれも1994年刊行の第一詩集のものでした。第一詩集『月の扉 大地の泉』は私もいただいていたんですが、当時はHPを開設していませんでした。上記した詩はそのうちの1篇です。第一詩集の作品は生涯に残るものが多いと言われていますが、「息吹」もそうなるでしょうね。人間と大地の「息吹」が重なった佳作だと思います。この後の『空への軌跡』(1999年刊行)、『海からの背骨』(2002年刊行)の基幹を成す作品とも読み取りました。



  詩誌『梢』32号
  kozue 32    
 
 
 
 
2003.6.20
東京都西東京市
宮崎由紀氏 発行
300円
 

    がす
    海霧のむこうに    日高のぼる

   強い者と弱い者があった
   弱い者は強い者のなかに身をひそめ
   強い者のなかから声をあげた

   「かぜて」と言って遊びの輪に加わっていく *
   いつもみんな一緒に浜や山で遊んでいるのだが
   シャモの親はアイヌやチョーセンと遊ぶことをきらった *
   生まれてからその土地で
   ひとかたまりでくらしている子どもたちのなかに
   差別をもちこんだのはおとなたちだった

   だれかが
   「アっ、イヌが木にのぼった」 とちょした *
   するといままで遊んでいた仲間が割れた
   アイヌ、アイヌの唱和に
   弱い者は強い者もかげから唱和に加わっていた

   あるときはチョーセン、チョーセンの唱和
   シャモはつねに強い者のほうにいた
   傷つけあい
   また傷口をなめあいながら
   肩よせあってくらしていた
   潮くさい海霧の濃い浜辺のまち

              * かぜて…加えての意
              * シャモ…アイヌ、チョーセンに対し和人の意
              * ちょした…からかうこと

 「差別をもちこんだのはおとなたちだった」というフレーズが強い印象を与える作品です。「シャモはつねに強い者のほうにいた」というフレーズは真理を見事に突いたものと言えるでしょう。なぜ差別があるのか、その答の一端が私たちは「つねに強い者のほうにい」たがるからと思えてなりません。なぜ「強い者のほうにい」たがるのか。それは「シャモ」の弱さの裏返しとも考えられます。「弱い者は強い者」の「かげから唱和に加わって」きたように思います。アメリカの陰で「唱和に加わ」る、それが今日の「シャモ」の生態でしょう。考えさせられました。




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