きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.7.1(火)

 製造課の先輩が定年退職を迎えるので、彼の直属の上長が主催する送別会が開かれました。会社の経費での会ですから、誰でも参加というわけにはいかず、10名ちょっとの小さな会でした。私も課の代表として呼ばれましたけど、おもしろいとは言えない会でしたね。参加者はみんな顔馴染み、気を遣う相手はまったく無しというものでしたけど、なんと言うかな、会の設定そのものがおもしろくないんです。

 以前は定年退職者も少なかったので、そういう会はそれなりの意味があったんですけど、ここ数年は私の所属する部に限っても毎月のように退職者が出ます。あまりにも多すぎるので、最近は希望者だけにそういう会を開催することになりました。とたんに会を開いてほしいという人は少なくなり、みんな同じような思いをしていたのかと納得していたのです。そこに珍しく希望者が出たということで、この人は何を考えているんだろうと思った次第なのです。もちろん一生に一度の定年退職ですから、本人にとっては盛大に祝ってもらいたいという気持があるのは判るけど、そう言い出す人って、仕事はいいかげんな人が多いんですよね(^^;

 こちらも仕事で呑むわけですから、それなりの対応をしましたけど、後味の悪さは残りましたね。件の退職者は、仕事は出来ないけど人柄はいいんです。純心というか、世間を知らないというか、無邪気なんですね、60にもなって…。何とも遣り切れない思いが残った会でした。



  詩誌さやえんどう25号
  sayaendo 25    
 
 
 
 
2003.6.15
川崎市多摩区
詩の会・さやえんどう 堀口精一郎氏 発行
500円
 

    <梅二題>    堀口精一郎

    蝋梅

   元旦の朝 庭に今年も蝋梅の花
   さながら蜜ろうのような硬い光沢
   中国原産老貴婦人の優婉な香りを放つ
   きらり きらり なぜか老骨はかくありたいと

   朝食のあと賀状詩句を味わう
   M氏よ 「永らへば喜の字笑止や初景色」 か

   正月二日は箱根駅伝 山道は凍るが青年の汗は熱い
   母校は遅れている 来年こそ
   くり返しの一年は短い

   美しい老年など夢のまた夢
   蝋梅の花
   この変な世の中をもう少し見届けてやろうか
   喜寿に相成り侯

 <梅二題> として「蝋梅」と「紅梅」が載せられていました。紹介したのは最初の方の作品です。正月の心境でしょうか、「M氏」の句が効いていると思います。あまりに秀句だと詩が負けてしまうのですが、さすがにそれはありませんね。「老貴婦人」「美しい老年」などの言葉できれいに対抗できていると思います。そして最終行、「喜寿に相成り侯」。この言葉は強くて大きいと思います。これがあるから存在感があり、詩をきちんと締めているのではないでしょうか。硬質な抒情を感じた作品です。



  詩とエッセイ誌『樹音』44号
  jyune 44    
 
 
 
 
2003.6.1
奈良県奈良市
樹音詩社・森ちふく氏 発行
400円
 

    綱引き    藤 千代音

   おーい 朝顔
   どこで咲いているんだ

   洋風の家が増えて
   ペチュニア サフィニアをはじめ
   ガーデニングばやり
   日本情緒と西洋文化の
   綱引きで
   ひかえめな朝顔が引っ張られ
   種は個性的なのに出番がない

   朝顔よ
   新しい朝の喜び
   ふたたび
   燃え上がれ

 特集「種」の中の作品です。「日本情緒と西洋文化」を「綱引き」で表現しているのが面白いと思いました。「情緒」と「文化」では「情緒」の方が「出番がない」でしょうね。でも「朝顔」はやっぱり「新しい朝の喜び」なんです。ここが「西洋文化」とは決定的に違うかな? 「ふたたび/燃え上が」ってほしいものです。



  詩とエッセイ誌『橋』109号
  hashi 109    
 
 
 
 
2003.7.1
栃木県宇都宮市
橋の会・野澤俊雄氏 発行
700円
 

    年寄りは死んでください
            ――国の為    戸井みちお

   ババァなんか死ネと言われて
   わたしゃくやしくてくやしくて
   あれ程かわいがった孫に
   言われるなんて――
   隣のばあさん
   上り込んできて
   腹たてると口の動きがよくなるとみえ
   お茶ガブガブ
   菓子パクパク

   それはねえ
   そんな小っちゃな子が言える言葉じゃないわよねえ
   親の言葉をまねたのよねえ
   なんて波風たてることも言えず
   そんな小っちゃな子の言うことで腹たてても
   などとなぐさめ合ってるばあさん二人

    ばばあは死ね
    じじいも死ね
    年寄りは死ね
    役立たずは死ね
    役立つ為に死ね

   年寄りは死んでください 国の為
   とは言わぬが
   老人医療が嵩んで医療保険は赤字ですぞ
   二千何年には一人で四人の年寄りを養うことになります
   ぞ
   介護保険は保険料を上げないとパンクですぞ
   高齢者の交通事故が自動車保険を圧迫していますぞ
   ぞ ぞ ぞ ぞ ぞぞ

   だから とは言わぬが
   うるさいばあさんは孫に締めころされ
   公園ねぐらの年寄りは
   きたないくさい邪魔者だ
   踏んでけられて殴られて
   つめたくなって死んでいた

   そうだ とは言わぬが
   病院の待合室から
   めっきり年寄りの姿がへり
   結婚式場がつぶれて葬祭場にうまれ変り
   棺桶産業二百万人
   山の木は家のかわりに棺おけに
   居り場所細って入り場所完備

   それまでは とは言わぬが
   痛みにたえてください そのうちに
   と言われてもねえ
   そのうちがどのうちか
   年寄りにはわからぬことばっかりで
   テレビもアナログかデジタルか
   なんのことかわからんけど変わるんだってねえ
   わたしゃ今のでいいんだけどねえ
   何んとか言うもん付けんと見えなくなるんだってねえ
   またもの入りだねえ
   誰がもうけるのかしらんけどねえ

   あれもうこんな時間
   隣のばあさんよいしょと声かけて立ち上る
   そろそろ幼稚園のバスの来る時間
   迎えに行かなきゃ
   しあわせの時間にあいに行くように
   いそいそと

 ちょっと長い作品で、刺激的なタイトルですが全行を紹介してみました。国の政策を見ていると、ある面ではこの通りだろうなと思います。「テレビもアナログか」ら「デジタル」に変るんですけど、これなんか関係なさそうですけど、やっぱり「誰」かが「もうける」話と結びついていると思いますよ。本当に「わたしゃ今のでいいんだけどねえ」。

 救いになっているのは最終連ですね。「あれ程かわいがった孫に/言われ」て悔しがっていたのに、「そろそろ幼稚園のバスの来る時間」だからと「いそいそと」「迎えに行」くところなど、庶民の善良さを表現していると思います。それを見ている詩人のあたたかい眼も感じました。



  大石規子氏詩集『ゆめ うつつ』
  yume utsutsu    
 
 
 
 
2003.6.30
東京都千代田区
花神社刊
1500円+税
 

    湯豆腐

   こと ことっ ではなくて
   ことっ でなくては

   豆腐の肩と肩が触れ合う 湯のなか
   散蓮華で掬う 白い四角い今夜の主役

   昆布の香の湯気の
   むこうとこちら 黒い箸と朱い箸

   上質の蛋白質だってね
   ――淡白なのは だあれ

   そう刺すな 針のように
   ――ええ 針供養 一年分の

   ぶすぶすぶつぶつ 恐いねェ
   こんどは こちらが刺す番だ

   ことっ 崩れる

   ひきよせられて
   熱い

 本当に巧いですね。大人の恋と言うのでしょうか、思わずニンマリとしてしまいます。たかが「湯豆腐」でこれだけのことが書けてしまうのですから、詩人の筆力というものは凄いと改めて思います。並の作家では及ばないでしょう。
 詩もいろいろあっていい。死や老いを真正面から捉えた作品も必要だけど、こういう大人の作品も必要です。そのバランスの上に、たぶん人生というものは成り立っているんだと思います。そして最期の瞬間を迎えるとき、生きてきたことは「ゆめ うつつ」だった、なんて言えたら最高でしょうね。それを現世に表出させた詩集だと思いました。




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