きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.7.4(金)

 日刊新聞、とは云っても4頁立ての小さな地域新聞ですが、今年2回目の原稿依頼が来て、明日が締切です。今日あたりは必死で書いているところなんでしょうが、大丈夫。すでに今週月曜日には提出してあります。小さいとは云え相手はそれでメシを食ってる新聞社です、締切を守らないなんて許されませんからね。こちらも一応プロと認められて日本文藝家協会に入れてもらっていますから、最低限のことは守ります。でもね、原稿料が来ないんですよ(^^; あんたんとこも商売でやってるんだから原稿料ぐらい出せヨ、って言ってやりたいです。でもまあ、地元だから少しは協力するか、と思って出稿しました。3回目の依頼が来たらどうしようかな、来てから考えます。原稿でメシを食ってるわけではなく、会社勤めをしてますから、その辺は甘くなりますね。

 何かエッセイを、ということでしたので日本ペンクラブ電子文藝館の宣伝をしちゃいました。趣旨はペンクラブのHPで見てもらえればいいんですけど、地域の新聞で、ということも意義があるかなと…。機会がある人はご覧になってください、顔写真入りです。7月19日の発売だそうです、、、って、これ書いてるのは8月18日ですから無理ですね(^^;



  栃木県詩人協会編Anthology 2003
    anthology 2003    
 
 
 
 
 
2003.5.25
栃木県宇都宮市
栃木県詩人協会・森 羅一氏 発行
1500円
 

    Nothing Blue    神山暁美

   ふるさとを隔てる日本海
   絆をつなぐ空のいろ
   青いリボンの願いをむねに
   帰ってきたひと 迎えるひと

   裁たれた時間をたぐり寄せて
   かさねる面影
   空白の年月に
   縫い代のゆとりはどれほどあるのか
   重いことばの糸が針の穴を通らない

   半島につながる海
   心をひとつにむすぶ空
   いつも記憶の表紙をかざる
   異国の装いにはじらう君のすがた

   あのとき
   桜花に映える青いチマ・チョゴリを手に
   「青春の色」とはしゃいだ君は
   ぼくの内のブルーを知っていただろうか

   いま ぼくには見える
   君の内を染めるブルーが

   空はどこまでも透明なはずなのに
   海は空を映してただ青いだけなのに
   それ以上に浮かぶことなく
   それ以下に沈むこともなく
   昇華しきれない想いが漂っている

   もう おもいでのまぶしい青が
   君の胸をつつむことはないけれど
   今日も ぼくの内には
   この国のはなびらが舞う

 第1連からこの作品は北朝鮮による拉致事件をモチーフにしていると考えられます。読み切れないのは「ぼく」はどこの国の人なんだろう?ということです。北朝鮮の人、韓国人、日本人と3通りで考えてみましたけどはっきりしていません。わざわざ「この国」と書いていますから日本に帰化した韓国・朝鮮の人とするのが妥当かもしれません。「君」は日本人と受取ってよさそうです。「異国の装いにはじらう」とありますからね。

 キーワードはおそらく「
Nothing Blue」というタイトルでしょう。直訳すれば、何もない青。「青いリボン」「青いチマ・チョゴリ」は「ぼくの内のブルー」であり「君の内を染めるブルー」だから、「Nothing Blue」。そう読み取ることが可能ですが、果たしてそうか? 違う読みをしなければならないのかもしれませんが…。気になる作品です。



  森田進氏著『詩とハンセン病』
    shi to hansenbyo    
 
 
 
[新]詩論・エッセイ文庫(3)
2003.6.30
東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊
1400円+税
 

    手に太陽    香山末子

   手に太陽をいっぱい
   光ってまぶしい
   指の間から膝に落ち座布団に落ち畳に落ちて
   上からだんだん落ちていった太陽
   畳の目の間から太陽が光って
   細かくこわれて また光る
   そんな太陽
   いつ見たか 忘れたな

 1996年に、90年近くハンセン病患者を抑圧し続けた「らい予防法」が廃止されたのは記憶に新しいのではないかと思います。昨年2月にはNHK教育テレビの「にんげんゆうゆう」という番組で2日間に渡り「元ハンセン病患者達の詩歌」が放映されましたから、これもご覧になった方が多いかもしれません。著者はその番組でゲスト出演していました。

 ハンセン病に対する各国の取組みはさまざまで、例えばお隣の韓国は患者と家族が同居する定着村という自由保証の生活方式をとったのに対し、わが国は全国13の国立療養所を主とした施設へ患者個人の強制隔離収容を行いました。それのみか子孫を残させないという方針のもと強制断種までやったのです。そんな事実を述べながら、その中で詩人として育っていった患者の作品を紹介しているのが本書です。詩を考えることは人生を考えることだと私は思っているのですが、まさに50年60年と隔離された患者の人生に圧倒されました。
 紹介した詩は在日韓国人でハンセン病により全盲となった詩人の作品です。前中半の明るい太陽賛歌から一変する最後の2行に、在日韓国人・ハンセン病・全盲という三重苦の詩人の生涯を思わざるを得ません。

 ハンセン病患者は太古から世界中にいましたが、現在は特効薬の出現で撲滅されつつあります。その歴史の中で「ハンセン病文学」あるいは「ライ文学」と呼ばれるジャンルがあるのは日本だけだろうと言われているようです。本書は世界に類を見ないという「ライ文学」を知る足がかりとして好著だと思います。ご一読を薦めます。



  詩誌『光芒』51号
    kobo 51    
 
 
 
 
2003.6.28
千葉県茂原市
光芒の会・斎藤正敏氏 発行
800円
 

    また 絶句から    斎藤正敏

   また 絶句から始めるしかないか
   イラク戦争のテレビをつけたまま 庭隅の椎茸を採りにいく
   椎茸には 蛞蝓
(なめくじ)が這っている
   これって 生きるということだな
   椎茸の肉に白い舗装路のような足跡
   こんなふうに 這いずりまわって人類も生きているんだ
   砂嵐の中を這いずりまわっている米英軍を思う 同時にイラク軍も
   本当に呑気に椎茸どころではないのだ
   人間の楯としてイラクに飛んだ者もいるというのに
   ところで この楯は崇高な精神に基づくものか 単なる御節介なのかヒロイズムなのかなんなのか
   かんなのか解らない
   米英軍についても この戦争は崇高な精神に基づくものか 国益なのか単なる御節介なのかなんな
   のかかんなのか解らない
   私にもしものことがあつても心配しないで下さい
   楯は家族に手紙を送った
   心配しないでと言うことで 家族や親族がはいわかりました心配しません と答えることは想定し
   がたい
   敵の死傷者 数千人 当方は爆弾の破片を受けた死者一名 負傷者八名
   この数字でみる限り戦争というより虐殺だ
   これは余りに一方的だ
   バグダットには 米英軍は無し 当方すこぶる健在 米英国は敗走している
   情報戦争というものの 落差がひどい
   死者が 数字で語られるのは怖いことだ
   平然と死者を数字で呼びあげる 人間の精神は怖いことだ
   死者1番は 故郷で待っている妻と二人の子供 齢老いた母がいる
   死者2番は 新婚間もない美しい妻がいて高層のアパートに新居があり 現在は身重の体だ
   死者3番は大工 死者4番は農業 死者5番は工場労働者 死者6番は公認会計士 死者7番は草
   野球のコーチ 本業は魚屋だ 死者8番はレーサー 死者9番はサンドイッチマン 死者10番は自
   称だが詩人
   米軍での死者の数え方は 戦士の遺体が軍用ヘリに収納されてはじめて番号が示される
   軍用ヘリの中
    おい おい11番 おまえ何処で死んだんだ
    まいったよ12番 おれは誤爆でこのざまさ
    いきなり背後から撃たれちまって
    おい おい13番 おまえ泣いているのか
    泣いてばかりいたって解りやしない
   解らない 解らない 解らない
   13番でなくても解らない
   また絶句から始めるしかないか
   イラク戦争のテレビをつけたまま
   庭の隅っこの椎茸を採りにいく
   また絶句から始めるしかないか
   椎茸に這らばう蛞蝓をそっと土に落とし
   イラク戦争をみるために 茶の間に戻る

 イラク戦争における私たちの疑問を余すところなく表現している作品だと思います。「砂嵐の中を這いずりまわっている米英軍」しかり、「人間の楯としてイラクに飛んだ者」についても、「敵の死傷者 数千人 当方は爆弾の破片を受けた死者一名 負傷者八名」という当初の米英軍の発表も「バグダットには 米英軍は無し 当方すこぶる健在 米英国は敗走している」というイラク軍の発表もみんな疑問でした。そして作者と同じような回答を自分なりに考えていたと思います。それをきちんと詩で表現したところにこの作品の第一の価値があると考えています。

 第二は、そんなイラク戦争を「庭隅の椎茸を採りにいく」という日常生活に還元したことに意味があると思います。外国で戦争があって、同じ人類としてはヤキモキしているんだけど、それはやっぱり遠い国での話。今やるべきことは「椎茸に這らばう蛞蝓をそっと土に落と」すこと。でも心の中では「また絶句から始めるしかないか」。そんな私たちの気持を見事に代弁してくれた作品だと思います。




   back(7月の部屋へ戻る)

   
home