きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.7.5(土)

 7/19(土)に渋谷で小さな朗読会を計画していて、その打合せを池袋で行いました。打合せそのものは、いつも通り30分で済みました(^^; あとはいつも通り呑めや歌えの大騒ぎ、何やってんだろうね、この連中。まあ、それも目的だからしょうがないか。私? もちろん私も積極的に参加しましたよ。

    030705

 写真は一次会のスナップ。一次会? 二次会だったかな? まあ、いいや。このあと六本木で呑んで、看板だと店を追われたのが確か午前2時か3時。帰りの電車は無いし、どうするのかなと思っていたら漫画喫茶に連れて行ってもらいました。初めて行きましたけど、インターネットは使い放題、仮眠もできて980円というのは安い! カプセルホテル(泊ったことは無いけど)よりもいいんじゃないでしょうか。もちろんお風呂なし、着替えなしだからそこはちょっと辛いけど。ともかく始発の電車が出るまで居られる場所があるというのは有難いものです。都市の底力を見せられた思いです。私の住んでいる所では神社の軒下ぐらいしか無いもんな(^^;



  総合文芸誌『金沢文學』19号
    kanazawa bungaku 19    
 
 
 
 
2003.7.20
石川県金沢市
金沢文学会・千葉 龍氏 発行
1500円+税
 

    卵    池田星爾

   宇宙を内蔵して
   白く並んでいる

   なまめく沈黙

   闇の深さを
   計っている

 これは言葉に無駄がなく巧い詩だなと思いました。「卵」が「宇宙を内臓している」という発想もいいし、「白く並んでいる」というフレーズが「闇の深さを/計っている」という最終連とも色の面で呼応していて無理がありません。「卵」の内部の「闇」は、生物の進化過程での闇とも採れて、それを「なまめく沈黙」の対比とも考えられて、想像を逞しくしました。小品ながら見事な作品だと思いました。



  千葉龍氏詩集『死を創るまで』
    si wo tsukurumade    
 
 
 
 
2003.7.20
東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊
2000円+税
 

    ひとつの8月15日

   「八月十五日ってなんの日や知っとるか」
   と 息子に訊いてみる
   昭和五十七年八月十四日。夜。
   息子『哲児』
   昭和四十四年八月二十五日生まれ
   十三歳。昔なら元服 目睫である。

   「お盆。…旧盆」
   母親の供をしての墓参を翌日に控えている
   当然の答え といえばいえる
   だが
   昭和一ケタの父親としては 釈然としない
   「学枚で何も習わんのか」
   「ベッツニー」

   長い夏休みの中 ただの一回の休みもなく
   それこそ お盆というのに
   墓参に行くのも気兼ねさせずにおかぬ
   狂気じみた部活≠ニやらの顧問先生
   スポーツで子供を鍛えるのも結構だ
   だが その前に
   もっと大事なこと教えるのを忘れていやしないか

   「それにしても ほんとにおまえ 八月十五日が何の日なのか知らんのか」
   「サァ…」
   「太平洋戦争って知っとるだろ」
   「知ってるョ」
   「その戦争に日本が負けた日じゃないか」
   「そんなの 習ってない」

   戦争体験の風化が叫ばれて久しい。
   八月十五日がめぐり来るごとに
   声高になる。
   出来の悪い手前の息子のことタナに上げ
   学枚の先生非難するのは 筋違いというもんだろう
   私が 父親として
   妻が 母親として
   戦争の悲惨や 恐怖を
   つね日ごろ 息子に
   どれだけ どんな形で
   教える努力をしてきたか 考えてみることだ

   ふと気づいた。
   日露戦争は 私の生まれる二十九年前に起き 翌年に終わっている
   それは
   幼い思いには 遠い遠い 歴史の彼方のことだった
   太平洋戦争は
   哲児の生まれる二十八年前に始まり 二十四年前に終わっている
   息子たちにとって
   それは
   遠い遠い歴史の彼方のことなのに違いない
   ただ
   これだけは と念
(おも)
   歴史の彼方のことであればあるほど
   正しく 歴史は教えねばならぬ
   侵略を 進出と言いくるめたりもしない代わりに
   連合国が 正義で
   敗戦国が すべて悪で
   日本は 好戦国で
   アメリカは 平和国家であった など
   敗戦後につくられた一方的な基準で
   つくりかえられた歴史ではない 本当の歴史を。

   ――あっ! 歴史を学ぶことは 人間が過去から何ひとつ学ぼうとしなか
   ったことを学ぶことだ――
   と だれか言ってたなァ
   ヘーゲルであったか。
   ショーであったか。
   不学の父にはうろ覚えだが
   しかし
   これだけは 教えねばならぬ
    <戦争放棄はしたが 歴史放棄はしていないのだ>
   と息子たちに
   教えておかねばならぬ
                            ('82初、'03改)

 末尾に置かれた('82初、'03改)に注目したいと思います。20年に渡り手放さなかったテーマであることに驚きます。それは戦争で母上を亡くした作品「母を殺された日が、また」を書いた著者としては当然のことなのかもしれません。「息子たちに/教えておかねばならぬ」ことを経験者として書く、そんな思いが強く伝わってきた作品です。

 「歴史を学ぶことは 人間が過去から何ひとつ学ぼうとしなかったことを学ぶことだ」という言葉も重いですね。歴史に対する見方を改めさせられました。「戦争放棄はしたが 歴史放棄はしていないのだ」という言葉も重要です。上っ滑りに陥りやすい反戦思想を、底から支えてくれる言葉だと思います。著者は50歳から年齢を逆走することを宣言、現在は30歳の古希だそうです。私より若い年配者に教わることの多い詩集です。



  詩誌『揺蘭』2002.秋号
    youran 2002aki    
 
 
 
 
2002.秋
埼玉県さいたま市
西野りーあ氏 発行
350円
 

    揺れ盛る、夏の花綱 ひも解かれ    西野りーあ

           ―そして波状の夏の終わりが、始まった。
            麗しい終末は百年ほど続くであろう―


            灰緑色に荒れまさる
               嵐のあと
                 うるわしいと
                 うれわしいは
                  同義語
            火の夢と
            水の夢は
              同義語
           語ると
           語られるは
        いつしか同義語となって
               夏の夕方に咲いていた

   夕暮れはなやぐ地平より
      うたう巫女たちが やってくる
         やってくる、やってくる、やってくる
              うたいながら やってくる
              おどりながら やってくる

     遠いあたりからやってきて
         古い神殿に住み着いたあの奥方は
             眠る地霊と 静かに話す
                話す、話す、話をする

     わたくしの指が
        あなたの頁を
           たぐるように
        あなたの唇が
           わたくしのうなじを
                 這うように
              太平洋がゆっくりうねって
             陸いつくしむ このほとり

   火の夢 水の夢が
       扉を出入りするように
   奥方は伝説をひもといた
       静かにひもといた ひもといた
          うたうように ひもといた
          (わたくしたちは
           ひそかに伝説になるのである)

   わたくしたちは 変化続けるおろちである
      名のない無数の物語である
         植物であり鉱物であり海であり精霊である

   あなたが唇朱く染め
       獲物の首筋くわえて森から帰るこの夕ベ
     燃え盛る場所で奥方が
          愛人伝説の 酒くべる。

       潮引く時刻
          潮満ちる時刻に
       わたくしは愛人伝説の指先に乗って
          奥方の髪に顔をうずめる
            陽炎まつわる羽毛のしとねに
                 頬を あずける

   燃え盛る場所で
      夏の花房が
         あなたの眸に落ちて行く
            おちてゆく おちてゆく

       夏のひとみを揺すりながら
          灰緑色の嵐の翌日 あなたは
             失うもの無く
                失われる夢みる伝説となって
               巫女たち追って旅立つしたくをする
        あなたを見送るしたくするわたくしは
   もういないあなたに手紙をかきはじめる。

 登場人物は「巫女たち」「奥方」「わたくし」「あなた」、そして「地霊」も加えた方が良いかもしれませんね。正直なところ理屈を追いかけるのが仕事の私には苦手な作品です。心を自由に解き放せないもどかしさを感じています。凝り固まった思考をほぐさないと、きっと理解≠キるのは無理でしょう。でも良い言葉には反応します。「わたくしの指が/あなたの頁を/たぐるように」「わたくしたちは 変化続けるおろちである」などの言葉には触手を動かされています。どこかで使いたい…。

 詩も様々でいいんですが、同じ人間として、この乖離には驚いています。私にはまったく出来ない発想です。出来ないからこそ放棄することだけは避けたいと思います。いずれ私にも多少なりとも判る日が来る、そんな思いを強くした作品です。



  隔月刊詩誌サロン・デ・ポエート244号
    salon des poetes 244    
 
 
 
中部詩人サロン編集
2003.6.28
名古屋市名東区
滝澤和枝氏 発行
300円
 

    望月    古賀大助

   男が産声をあげたとき
   彼の父は南の戦場で散った
   戦死公報が遅れてやってきて
   うら若い母は嫁ぎ先を出ることに
   子だくさんの祖父母はその日から
   彼を末っ子として扱った

   銃後の姉たちにくるまれ
   炭鉱長屋のなかで
   男はすくすく成長し
   とうとうガキ大将に昇進した暁
   甘えん坊の金の卵は
   関門トンネルを抜けて行く

   ノムウツカウをマスターし
   怖い物なしのいなせな胸に
   ポッカリ空いた暗い穴
   ポッカリおさまる娘が現れて
   男は心機一転
   好きな車の整備に打ち込む

   めでたく独立はしたが
   客がなかなか増えない
   運転資金の底がみえると
   姉たちに何度も無心
   ネアカがいのちの男は
   パンチパーマで乗り切る

   ウツもカウも卒業したが
   じわじわ高まるノムの潮位
   娘ふたりを立派に嫁がせ
   ほっと一息ついた冬に
   余命ひと月と告げられて
   年老いた姉たちが躯けつける

   桜が一枝ごとに
   命の極みに至るとき
   一世一代のスマイルが咲いた
   あけすけな家族につつまれ
   男は花のもとにて春死んだ
   決して願ったわけではないが

 男の一生なんて、こんなものかもしれません。でも、それを見つめる作者の眼はあたたかです。「男」につながる一生が作者の中にもあると自覚してのことかもしれません。この作品での「男」は、作者の父上と読むこともできるでしょう。実際はともかくとして、作品の上ではそう読んだ方がストンと落ちるものが多いように思います。

 それにしても「あけすけな家族につつまれ」た「男」は、結果としては幸福な一生だったと云えるのではないでしょうか。何も知らない一読者の私がそう結論付けるのはおかしい気もしますが、作品全体からそんな印象を受けました。私にも多少残された男の一生、どう生きるか改めて考えさせられた作品です。




   back(7月の部屋へ戻る)

   
home