きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.7.17(木)

 定年退職者の祝賀会があり参加してきましたが、お酒は一滴も口にしませんでした。ここのところ連チャンで呑み会が続いていて、明日も呑み会が決まっていますから、今日だけは呑まないと決めたのです。わざわざ車に乗って会場に行きました。そうしたら絶対に酒は勧められませんからね。

 でも皆にはさんざんにヤラレました。呑み会で酒を呑まないなんてことは私の場合珍しいので、嫌味をやられましたね。ウーロン茶のグラスに間違えたフリをしてビールを注ごうとする者、日本酒をわざわざ近くに持って来て、掌で煽って匂いを嗅がせようとする者、まあ様々でした。普段から如何に嫌われているかが判りましたよ(^^;
 明日は絶対にモトを取ってやると決意した呑み会です。



  詩誌RIVIERE69号
    riviere 69    
 
 
 
 
2003.7.15
大阪府堺市
横田英子氏 発行
500円
 

    弥生の昔の物語(23)    永井ますみ

    産み小屋

   私たちのムラの片隅に
   ちいさな小屋が建っている
   お日様の昇る方に
   明り取りの窓がひとつある
   踏み均した土間があり
   湯を沸かすカマドがあり 枯れ技がある
   小屋の片隅にはワラが積み上げてある
   ワラを編んで作った敷物と
   洗い尽くした布
   屋根から吊り下げられた黒光りのする綱
   子どもの頃
   その意味が分からなかった
   こっそり入っては母(あも)に叱られた

   ムラの姉たちがこの小屋に入っては
   赤子を抱いて出てくる
   赤子を授けられる神聖な場所だと分かったのは
   自分の腹に赤子が宿ってからのことだった
   次々に子を産む姉がいるけれど
   初めての子の為に死んでしまう姉もいる
   取りすがって泣いても戻ってこない身体と心
   産まれた赤子が一人で泣いている時もあるが
   その子の息さえ無い時もあって
   赤子が姉を連れていったんだと思う

   私たちのムラの片隅に
   ちいさな小屋が建っている

   何人もの姉を生かしたり殺したり
   魔物が
   その小屋のどこに棲んでいるのか
   私ももうじき その小屋に入る
   晴れた日には
   湯を沸かす枯れ枝と
   横たわるワラ草を少しずつ運んでいる

 連載の「弥生の昔の物語」も23を数え、「私」もいよいよ「赤子」を産む準備に入ったようです。現代まで営々と続く出産というものが基本的には何も変わっていないことを改めて感じますね。クローンや男女産み分けなどの技術が取り沙汰されていますが、それはほんの表層でしかない、この作品を読むとそう思います。もちろん「赤子」の死亡率が激減したことは喜ばしいことですが、女性が子を産むということは何も変わっていない。そこに安心感を覚えるのは私が男だからでしょうか。
 「私」が子を産んで、どう変化していくのか、これからも楽しみな作品です。



  詩・エッセイ誌『天秤宮』19号
    tenbingu 19    
 
 
 
 
2003.6.20
鹿児島県日置郡吹上町
天秤宮社・宮内洋子氏 発行
1000円
 

    桜前線    宮内洋子

   桜の満開の木の下で
   雨にぬれた躰をさらしている
   花びらが体中にはりついて
   うすべに色のうろこが
   頭上にも指先にもはりついた
   洞穴の入り口で
   花びらは風に舞い
   体中にこびりつく
   洞穴に棲む大蛇が
   蛇の化身だと思って
   大口あけてのみこんだ

   アクセルを踏む
   BGMはサンバの曲
   高速道路のトンネル
   オレンジ色の胎内
   そっと踏むだけで
   時速八十キロメートル
   サンバの曲は心臓の鼓動
   今夜の会議は桜前線についてである
   身ぶるいしてウロコを落す
   桜の化身のままでは
   トンネルは抜けられない
   「料金は三百十円です」
   桜前線が 料金を取る
   葉桜になる為の関所である
   ゲートをくぐって
   スピードをゆるめて
   高速道路を降りていくと
   桜前線の花のトンネルが
   バックミラーに映っていた。

 「桜前線」の感じ方なんて人によって違いがあるだろうことぐらいは想像つきますけど、詩人の感じ方は一段も二段も違うと認識させられた作品です。「花びらが体中にはりついて/うすべに色のうろこ」になっていくなんて、普通の人は思いもしないでしょうね。「桜前線が 料金を取る」ことも「葉桜になる為の関所」なんてことも考えつかないことだろうと思います。詩らしきものを書いている私だって思い至りません。人間も植物も気候も自由自在、そんな作者の柔軟さに脱帽した作品です。




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