きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「クモガクレ」 |
Calumia
godeffroyi |
カワアナゴ科 |
2003.7.21(月)
「海の日」でお休み。終日、いただいた本を読んで過ごしました。
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2003.8.8 |
東京都新宿区 |
土曜美術社出版販売刊 |
2000円+税 |
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風向き
祖母は小指を唾で濡らし
天に差し出して
風向で空もようを占っていた
住みなれたふるさとで
育った感覚は鋭い
田舎では感性が
日日の生活に役立つ
庭にやってくる小鳥の微かな声
障子にうつる小鳥の動き
あれはジョウビタキ
今日の小さな来客がわかる
私が受けついだ感性
残雪まばゆい庭で春を探す
父の愛した水仙が伸び
例年より早く母が好んだ
紅梅がふくらんでいる
チョウが作る蛹の位置で
祖母はその年の雪の深さを感じとり
野菜に藁を被せていた
盛り上がる霜柱を踏みしめ
肌を刺す北風に向き
私も人の探さを感じ取る言葉を
自然の中に求めている
「風向で空もようを占」うのは比較的やられていますし、「庭にやってくる小鳥の微かな声/障子にうつる小鳥の動き」で「今日の小さな来客がわかる」のは、鳥好きな人なら頷けることだろうと思います。驚いたのは「チョウが作る蛹の位置で/祖母はその年の雪の深さを感じとり」というフレーズです。これは雪国の人でなければ判らないでしょう。それに蝶がそんな知恵を持っているということに驚かされます。自然はすごい! だから「私も人の探さを感じ取る言葉を/自然の中に求めている」のでしょうか。素直に納得できる作品です。
詩集は病気のこと、身辺のこと、旅のことと大きく三部に分かれています。それぞれに著者が長い年月をかけて勝ち取ってきた感情が見えて、圧倒されました。抑えた言葉の中にも噴き出すものが感じ取れ、好詩集だと思います。
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2003.7.25 |
東京都大田区 |
すてむの会・甲田四郎氏
発行 |
500円 |
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夏 青山かつ子
読経がきこえる
仏間では
死んだ祖母とちいさなおとうとが
しんとならんで
すわっている
わたしはまだ七つで
庭の合歓の木陰から
のぞいている
ふりむいた坊さまの
野太い声
「ばあちゃんと坊が会いにきたよ」
ギョロ目に射すくめられて
うごけない
アブラゼミが
いっせいに鳴きだした
坊さまの衣ずれの音
仏間には
だれもいない
「お坊さまがおかえりでーす」
不思議と、こういう光景というのは「夏」なんですね。日本人にとっての夏は、敗戦のこともあって特別な季節なのかもしれません。私事で恐縮ですが、私の生母と継母と二人の母を亡くしたのも夏。「七つ」の頃はまだ生母が生きていましたから、作品のような経験はしていませんけど、同じ年頃ならあるいは、と思わせられました。日本人のどこか心の底をえぐった作品と言えるのではないでしょうか。「坊さま」が生きて描かれている作品だと思いました。
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