きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.7.22(水)

 日本ペンクラブの電子文藝館委員会が予定されていましたが、欠席しました。とても休暇をとる余裕がありませんでした。月に一度に休暇をとるタイミングとして電子文藝館委員会をあてていたんですけど、ちょっと無理でしたね。会議会議でクサクサしていますけど、まあ、それも仕事。電子文藝館も仕事のひとつと考えていますけど、当面は生業を優先するしかありません。



  詩誌『砕氷船』7号
    saihyousen 7    
 
 
 
 
2003.7.15
滋賀県栗東市
苗村吉昭氏 発行
非売品
 

    風    苗村吉昭

   会議の休憩時間 ビルディングの屋上に出る 爽やかな
   風が頭上を抜けていく 手すりに肘をつき 缶ジュース
   を飲む

   ベランダの洗濯物 保育園の黄色い送迎バス ヤマハピ
   アノ教室に入っていく子供たち 美容院から出てきた若
   い女性 ベビーカーと共に歩むお母さん 両手を空へむ
   かって伸ばす赤ん坊・・・

   ここはマンションが立ち並ぶ若い街 僕は足元から遠く
   の方へ目を移す 民家が建ち並ぶ間をJRの線路が走り
   遠くの方にポツンと神社の緑が見える それから僕の髪
   を風が揺らし過ぎていった

   僕は考える 多分 神様ってこんな風みたいなものだ
   祈っても 拝んでも 何にもしてくれないけれど ただ
   ただ僕たちを見守りながら 上空を飛び去っていく一陣
   の風のようなものに違いないのだ と。

 作者が昨年上梓した詩集『バース』は、日本詩人クラブ新人賞とH氏賞の双方にノミネートされましたから、お読みになった方が多いかもしれません。『バース』ではまだ幼いご子息が亡くなる直前まで書かれています。今号の『砕氷船』では亡くなったあとのことが小詩集『リ・バース』として5編載せられていました。「棺」「火葬」「骨壷」「復活」、そして紹介した「風」です。

 作品の内容は5編の詩のタイトルを見ても判る通りですが、この5編の中では小鳥に子息の魂を託す「復活」と紹介した「風」が重要だと思います。特に「風」は神についてのことで、「祈っても 拝んでも 何にもしてくれないけれど」という言葉は重いと言えましょう。ただし、そこには否定の意味はなく「風のようなものに違いない」とすることで作者の中でバランスを保っているように思います。作者の転換点になる作品のように感じました。



  阿部堅磐氏編集『研究紀要』29号
    kenkyu kiyou 29    
 
 
 
 
2003.7.15
名古屋市千種区
愛知中学・高等学校 発行
非売品
 

    テーマ    阿部堅磐

   学生の頃
   私の敬愛する
   恩師はこう言われた
   自分の中に
   卵を見つけ
   それを温め
   雛を孵し成長させなさいと

   その日から
   現在
(いま)に至るまで
   その連続の年月だった
   野や山や
   あるいは街中を歩きながら

   せっかく照っても
   夭折する小鳥達もいた
   雄々しく成長する鳥達もいた
   ちょっとひ弱な鳥達もいた
   朝焼けの空に
   これら育てた鳥達を
   勇ましく飛び立たせよう
   思いっきの祈りを込めて

 阿部堅磐さんの連載「詩歌鑑賞ノート」は「蔵原伸二郎の詩」。1899〜1965。名前は知っていましたが、作品はほとんど知りません。11編の詩が引用されていて、少しはアウトラインを理解した気でいます。熊本の生まれですが、ほとんどを埼玉・飯能で過ごしたようです。詩はきれいな作品が多いようですね。孤高だったようですが、温かみのある作品と紹介されていて、私もそのように読みました。

 さて、紹介した詩ですが、実ははこれ、「編集後記」なのです。こういう編集後記も味がありますね。中学・高校の「研究紀要」の編集後記ですから、ちょっと硬くなるかと思いましたけど、そうでもありません。変に力んでいないのが奏功していると思いました。「自分の中に/卵を見つけ」よ、というのは新入社員にも言ってあげたい言葉です。




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