きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.7.26(土)

 木曜日、金曜日と福岡県に出張してきました。今回は初めて上司と一緒で、往復とも新幹線。いつもは営業部の連中に引きずられて、嫌々飛行機です。今回は上司の意向を尊重しようと思い、尋ねたところ「新幹線にしよう!」。思わず手を出して握手するところでしたよ(^^; いやぁ、やっぱり新幹線はいいですね。上司は煙草を吸わない、私は喫煙車と行動も別々。気楽にのんびりと往復できました(^^;

 仕事もまじめにやりましたよ。呑みにもちょっと行きましたけどね。会議は効率よく、工場の視察も順調で申し分なしでした。こういう出張は精神衛生上もよろしい。いつもこうだったらいいんですが…。なかなかそうはいかないのが仕事、と相場が決まっているのが悔しいところです。



  個人詩誌『色相環』17号
    shikisoukan 17    
 
 
 
 
2003.7
神奈川県小田原市
斎藤 央氏 発行
非売品
 

    回覧板    斎藤 央

   うちの実家は組長だ
   組長って言ったって
   やくざの親分じゃない
   六年に一度回ってくる
   自治会の役割だ

   脳梗塞で親父が倒れ
   母親はリウマチで外出ができない
   私が代わりに組長会議に出席する

   フィリピーナの嫁さんに
   どう説明したらわかるだろうか
   エレメンタリースクール ライブラリー
   クミチョウサン ミーティング
   彼女はわけがわからず私に尋ねる
   クミチョウ ナニ?
   組長さんは
   回覧板を回す人
   回覧板なら 彼女は見たことがある

   七時に始まった会議が
   二時間たっても終わらない
   携帯電話が鳴って
   嫁さんが私に尋ねる
   イカウ イマドコニイル?
   ナニシテル

   ウイスティルハブミーティング
   もう少しで終わる
   そのもう少しがもう少しでない
   ようやく終わってアパートに帰るが
   嫁さんの姿がない

   イマドコニイル?
   イカウナニシテル?
   今度は私が尋ねる
   アコ イカウサガシテル
   ドコ カイランバンクバッテル

   夕飯も食べずに
   帰りの遅い私を心配して
   近所をくまなく
   探し回っていたというのだ
   今までこんなに深く
   女から愛されたことはあったか
   これほどまでに健気な
   女に出会ったことはあったか

   カイランバンではなく
   私はあなたを
   カイランガン キタ

                 註 イカウ タガログ語で あなた
                   アコ  タガログ語で 私
                   カイランガン キタ  タガログ語で私はあなたが必要です

 「フィリピーナの嫁さん」に「こんなに深く」「愛された」という話ですが、最近の日本の女性が失くしたものを彷彿とさせる作品ですね(こんなこと書くと怒られるかな?)。もちろん日本の女性だって「健気」なんですけど、「近所をくまなく/探し回っていた」なんてことは無いでしょうね。背景に文化の違いとか治安の違いなんかも考えなければならないでしょうから、一概にどうのとは言えませんが、思わず身のまわりを振り返ってしまった作品です。



  田中ひさ氏詩集『回転扉』
    kaiten tobira    
 
 
 
 
2003.6.30
千葉市花見川区
回転木馬の会 発行
1200円
 

    仮面

   亭主殿には呑気で粗忽な女房の仮面
   子供の前ではお節介やきな母親の仮面
   八百屋さんでは世帯ずれしたおかみさんの仮面
   今夜は来客
   デスデモナのようにおしとやかに
   激しい口争いには般若の面をちょいと借り
   どうしょうもない寂しさをピエロの面でかくす

   一日の終わり
   これらの面を枕元に並べ
   私は眠る

 つくづく女性は大変なんだなと思います。もちろん男だっていろいろな「仮面」を持ってますけど、基本的にはあまり変り映えがしないのではないでしょうか。亭主、父親、サラリーマンという自分の顔を思い浮かべるとそう思います。そんなつもりでこの作品を読むと、女性の大変さが行間にあふれているように思いますね。
 初めての詩集のようです。視野の広い作品が目立ちました。今後のご活躍を祈念しています。



  詩と批評誌POETICA34号
    poetica 34    
 
 
 
 
2003.6.20
東京都豊島区
中島 登氏 発行
500円
 

    旗    中島 登

   明けがた 旗をふる人がいる
   旗をふる人はこっちに向かってやってくる

   わたしの知らない人だ
   男とも女とも判別がつかぬ

   その人は霧のなかにいる
   朝霧のなかに滞れて立っている

   いつしか漂流していた
   わたしの煩悩も濡れそぼる

   煩悩とよぶほどではない
   わたしの脳の片隅に
   永年巣くっていたものに過ぎない
   肉体の襞に染みついた
   擦り切れた経験の汚れにちがいない

   絶望でも虚無でもない
   不確かな死霊の予兆

   その戦火をくぐりぬけた旗のような
   擦り切れたぼろ布に
   何を託そうとしていたか

   明けがた 旗をふっている人がいる
   旗はただ
   霧のなかで揺れてみえる

 「旗」の喩はこの場合「不確かな死霊の予兆」だろうと思います。「その戦火をくぐりぬけた旗のような」とありますから、戦争体験に根差したものと考えて間違いないでしょう。ちょっと難しい作品ですが、年輪を重ねていけば判ることなのかもしれません。「絶望でも虚無でもない」というフレーズの理解が鍵になるように思います。理解≠ナはなく、その感覚が感じ取れるかどうか、それを問われているようにも思った作品です。




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