きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.7.28(月)

 職場のLANシステムの一部が増強されるというので、説明を受けました。私が直接操作することは無さそうなんですが、一応、概要だけは把握しておきたかったので出席しましたけど、それほど大きな変更は無いようです。処理が速くなって、容量が増えた程度です。民生用のソフトとしては行き着いた感じですね。コンピュータの基本なんて変るものじゃありませんから当然なんですけど…。20年も30年も前と基本が変らないというのは、設計の良さを感じさせます。そういう仕事をしたい、してもらいたいものです。



  詩誌『1/2』14号
    1-2 14    
 
2003.8.1
東京都中央区
近野十志夫氏 発行
400円
 

    捕獲作戦    薄葉久子

   帷子川のたまちゃんを捕まえようと
   網を張り巡らした人たちがいた
   たまちゃんは危険を感じたのか
   すばやく逃げて捕まえられなかった

   近所の駐車場や空地に
   ニワトリが十七羽自由に暮らしてる
   初めは雄鶏が三羽だった ある日
   迷い込んだのか放ったのか雌鶏がきた
   六羽のひよこがいつの間にか生まれ
   ニワトリは増えていった

   時々誰かがパンくずなどをまいている
   雨の日は車の下で雨宿り
   ひよこは母親の羽根の中
   北風が吹き荒れる日には 一塊になって
   空地の片隅でじーっと待つ
   近所の犬や猫がいても平気

   ニワトリ集団には序列があるようだ
   餌をあげに行くとまずボスが飛んでくる
   序列を乱すものはしかられる
   夜は森の木の枝で眠り
   翌朝道路を渡って空地にくる
   ニワトリの横断には車も止まる

   ある日男三人が鶏を捕まえようと計画した
   数日前から餌付けしておいた
   当日綱を持った男を見たとたん
   ニワトリたちは叫びを上げて逃げたという
   男たちは捕獲をあきらめた

   たまちゃんらしきアザラシが
   今度は埼玉県の川に現れた
   捕まえようとしたのが「白装束集団」だと
   渦巻き模様に覆われた車をテレビ局が追いかけた
   その頃たまちゃんの目元に釣り針が刺さって
   涙を流すたまちゃんがニュースになった

   ある日、白い集団も釣り針のとれたたまちゃんも
   テレビから消えた
   その時すでに
   国会では有事法制案が衆議院を通過していた
   世界を捕獲しょうとする者たちの争いに
   協力するというのだ

 最終連を見てああ、そうだったのか!≠ニ思いました。「たまちゃん」も「白装束集団」も「有事法制案」も、ほとんど同時の出来事でしたね。それらの中で何が一番重要だったかは言うまでもありませんが、誰もがそう思ったかは怪しいものです。例えばTVの報道時間量を考えれば一目瞭然です。想像するに、一位は「たまちゃん」かな? 60%ぐらい? 二位は「白装束集団」、30%?。肝心の「有事法制案」は10%あったかな?

 お前はどうだった?と問われれば、大同小異だったと告白しましょう。もともとTVはあまり見ないけど、意識の比率は変らないと思います。そうやって目を逸らされた隙に大事なことが決まっていく…そういう国民性、まだ成熟していない国民なのかもしれませんね。たった5行でそのことを気付かさせてくれた作品です。



  個人誌『風都市』9号
    kaze toshi 9    
 
 
 
 
2003初夏
岡山県倉敷市
瀬崎 祐氏 発行
非売品
 

    トリの形    瀬崎 祐

   水割りを軽く口に含んだところで
   Mさんが尋ねてきた
    瀬崎さんは理系のお仕事をしていますが
    科学的とはどういうことなんでしょう?
   僕は上手い説明ができずに口ごもる
   無理矢理に言葉をつないで
    科学的と非科学的の違いは
    再現性があるか ないかということです
    科学的と言うことは
    一定の手順を経たときに
    必ず期待通りのものが手に入れられるという
    まあ そんなことです

   澄ました顔をして答えたが
   本当だろうか

   決まった手順の挨拶を交わして
   いつものように彼女が微笑んでくれれば
   それは科学的といえるのか
   いつもと同じ薬を服用して
   いつもと同じような効果があらわれれば
   この肉体は科学的といえるのか

   休日の食事を末っ子ととりに行く
   君の選択は某チェーン店のフライドチキンだったが
   食べ終わった後の感想は
    思っていたのとは違っていたよ
   君の中でフライドチキンはどんな形をしていたのだろう
   以前に食べた骨付き鳥が出てくると思っていたのに
   手羽先が出てきたのがショックだったらしい
   君はこれまでの記憶にある手順に従って注文をして
   同じものが提供されることを期待したのに
   トリの形は科学的ではなかったわけだ

   そう 君がこれから経験していくのは
   科学的なものではない それが生きていくことの意味だ
   再現性のある人生なんてないのだから
   そう考えると
   科学的なことなんてこの世の中にあるのだろうか
   再現されるものはどうでも良いことだけに限られていて
   本当に大切なものは
   再現なんか されはしない
   それだけは確かなことだ

 私も科学(化学工学)を生業にしていますから、この作品には共感します。「再現されるものはどうでも良いことだけに限られてい」ると思いますね。利益を追求したり生活の便利さを追いかけるのは、本当に「どうでも良いこと」だと言えましょう。インターネットという便利なものを使わせてもらってる身がそう断言するのもヘンなんですけど、これはたまたま存在する道具を使っているに過ぎないという認識です。「本当に大切なものは/再現なんか されはしない」し、「再現性のある人生なんてない」と思います。その基本を間違えないようにしたいなと思った作品です。



  詩誌『蛙』6号
    kaeru 6    
 
 
 
2003.7.25
東京都中野区
菊田 守氏 発行
200円
 

    たぬきの月    菊田 守

   七月のはじめ
   赤いハイビスカスの咲く
   我が家の庭にたぬきが規れた
   曇った晩で
   小鳥に撒いたパン片を食べながら
   ときどきこちらを眺めている
   何処からやってきたのだろう

   ガラス戸越しに
   夕餉の食卓から
   わたしは家内と眺めている
   外灯の光りに浮かび上がる
   のっそりとした風体のたぬき
   目だけが光っている

   東京・中野の閑静な住宅街
   たぬき親父になれなかった
   痩せた夫と
   たぬきにはなれそうもない
   優しい還暦の妻の夫婦
   月を眺めるよう
   ふたり並んで
   生活の疲れを忘れて
   たぬきを眺めている
   ほんのひととき

   背の丸い
   のほほんとした
   憎めないおとぼけ顔のたぬき
   曇り空の夜の
   まあるい月のようなたぬき

        (二〇〇三年七月)

 第3連の「たぬき」に託した「夫婦」の姿が見事だと思います。情景が目に浮かぶようです。「生活の疲れ」があるとは云え、穏やかな生活を感じさせます。普通は大都市「東京・中野の閑静な住宅街」に現れた「たぬき」という衝撃の方が作品化されるのでしょうが、そうならないところがさすがだと思います。「曇り空の夜の/まあるい月のようなたぬき」という設定も見事と言うしかありませんね。




   back(7月の部屋へ戻る)

   
home