きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.7.29(火)

 8月2日から夏休みに入りますので、管轄する実験室の事前点検をしました。最終的には1日金曜日に見廻りますので簡略化しましたけど、特に問題点は見つからなかったです。私はその部屋に日に一度行く程度で、実質的には部下の女性が取り仕切っています。任せておけば大丈夫。形式的な事前点検ですけど、やっておかないとね。所要時間10分で義務を果たしました。



  個人誌『むくげ通信』17号
    mukuge tsushin 17    
 
 
 
 
2003.8.1
千葉県香取郡大栄町
飯嶋武太郎氏 発行
非売品
 

    なぜ、韓国語なんですか?    飯嶋武太郎

   ハングルの手紙が読めなかったんです
   先生はNHKのラジオなんです
   五十の手習いでしたが私は凝り性ですから
   始めたことを途中で止めるのは嫌なんです
   「シージャギ パギダ」(始めが半分だ)
   という韓国の諺にも啓発されましたし
   少し分かってきたら文化や歴史も知りたいし
   詩やエッセイも訳してみたくなりましてね

   「むくげ通信」の礼状に
   「これほどの翻訳ができるようになったのですから
    単語の数も相当覚えられたでしょう」
   と言うのがありましてね
   嬉しい便りでしたが実を言うと恥しいです
   満足に会話はできないし
   覚えた単語は簡単な散文が読める程度なんです
   詩は難しくて一行とて訳せないんです!
   辞書を使ってもまともな訳なんて
   とても出来ません
   ほんとに!

   ハングルをみると
   「お前にこれが読めるのか?
   読めるなら読んでみな!」
   と誘ってくるんです
   「ハミョンハルスロ オリョッスムニダマン」
   (やればやるほど難しいですが)
   翻訳というのは
   ハングルという暗号を解く謎解きですね
   或いはハングルに命を植える挑戦とでも言いますか
   たった一行が分からず登りきれない
   エベレストのような詩が幾つもありましたよ
   訳せても日本語のお化けになって
   意味の分からない詩が幾つもありましてね
   こんなときは作者に申し訳ないやら
   悔しいやら 情けないやら
   浅学を嘆いておりますが
   この野郎 いつか見ていろ
   と新たな闘志も湧いてくるんです
   そして 命を吹き込んだように訳せたときは
   自分の詩ができた以上に嬉しいんだな―
   これが!

 ハングルの翻訳に挑む作者の姿勢が素直に表現された作品だと思います。「自分の詩ができた以上に嬉しいんだな―/これが!」という最後のフレーズにそれが良く現れていると思います。私は英語の化学工学文献の翻訳ぐらいしかやったことがありませんが、「たった一行が分からず登りきれない/エベレストのような」ものは確かにありましたね。
 それはそれとして、韓国にはいい諺があるんですね。<「シージャギ パギダ」(始めが半分だ)> には新鮮な驚きを感じました。



  詩と評論誌『PF』30号
    pf 30    
 
 
 
 
2003.8.1
静岡県浜松市
ピーエフ生活研究所・ピーエフ編集部 溝口 章氏 発行
500円
 

    花に寄せて     武士俣勝司

   今年の春はやけに桜の花が身に染みる
   −喰らうことに追いつ追われつ愛でる心なき我が身ありて

   実を付け損なった庭の大根草が菜の花となって
   心地よげに咲きそろっている
   草むしりの手がたじろぎ 見とれている忘我のひとときがある
   花々の明るさが尽きかけたところに
   おぼろげな光のふちが生まれ
   ふちに沿って 私は
   空の向こう側に入り込んでいく

   イラクの北部では
   今 菜の花が咲き乱れており
   かってこの地に生息したネアンデルタール人が
   埋葬の花として手向けたキンポーゲだというが
   降り立った狙撃兵たちは
   花に何を伝えたか
   誤爆で片腕を吹き飛ばされた少年は
   花に何を語ったか
   私の油彩したテーブルを棺桶だと評した
   山に憑かれた男は
   嵐に向かって飛んでいったが
   そのまま鳥となって流離っている
   だから 我が愛すべき朋友は
   今も コマクサの花の群落に憩うているか
   あれからの私は空を見上げて鳥の囁き声を聴いている

   −踏みとどまることが生きるということなのか

   東海道の抜け道の古道のはずれ
   光のふちを 烏が群れをなして飛んでいる
   その下の第二東名工事で爛れた山肌に
   移しく白骨が出ているという
   −この岡に上ったところで打ち首だったんですがのう
    骨を埋めたとこだけは花は咲かねえんですがの
   年老いた農夫が穏やかに語る
   理由知り顔にうなずいてはみるものの
   閉塞にあらがう逸る心を抑えがたくて
   またしても 光のふちに旅立っていく

   遠ざかる落花の舞に酔いしれながら

 「菜の花」に寄せる思いが古今東西と自由に羽ばたいている作品だと思います。その中で「光のふち」という言葉は重要な意味を持っていると言えるかもしれません。この世とあの世の境界に出現する光、そんな捉え方もしてみました。「第二東名工事で爛れた山肌に/移しく白骨が出ている」という具体化も作品に緊張感を与えていると思います。広い視野と深い洞察、その両方を持った作品だと感じました。



  詩誌『素』15号
    so 15    
 
 
 
2003.7.15
東京都中野区
池田 剛氏 発行
非売品
 

    頬紅色の朝に    関 久子

   折り目の揃った新聞と、
   熱いお茶と、梅干しひとつ、
   何十年も続いた一日の始まり・・
   だった。

   彼の躰に病魔が棲みついて二年、
   胃の腑を食いちぎり、骨をしゃぶり
   脳味噌を嘗め尽した。

   いつの頃からか、彼の時差が狂い出し、
   日差しを浴びての熟睡、
   夜の静寂が五感を呼び起こす。

     酒・ワイン、サンドイッチ、お汁粉、
     時には昔懐かしい夜店の焼そば。
     思いつくとすぐに食べたい。
     一晩に二度も三度ものデート
     ごきげんの彼の話は
     お母さん、おかあさん、と
     少年の日に戻って
     私はどこにも出てこない。

   平成十四年十一月三十日午前五時三十二分
   頬紅色に染まりかけた朝に逝った。

   旅仕度は
   着慣れた服装に帽子とスニーカー
   ナップザックには
   詩誌「素」、原稿用紙、ペン、眼鏡
   娘が手紙、息子が時刻表を、
   一柳さんの作ってくれた詩集が
   何よりのおみやげになりましたね。

    御両親様
     幼な子に還ったあなたの息子を今お返しいたします。
     「おう、来たか、きたか!」と
     出迎えてやって下さい。
     四十六年間、有難うございました。

 作者は本詩誌前発行者の関雄次郎氏の奥様です。ご主人への哀惜に満ちた作品だと思います。関雄次郎氏のお名前は存じ上げていましたが、お会いしたことはなく作品もほとんど読んだ記憶がないのですが、ここに描かれた関氏の人物像は活き活きとしていますね。作品の持つ力だと思います。最終連の「御両親様」という内容が詩としてもひとりの女性としても素晴らしいものだと思いました。
 故人のご冥福をお祈りいたします。



  詩誌『スポリア』13号
    suporia 13    
 
 
 
2003.7.25
愛知県知多郡武豊町
スポリアの会・坂口優子氏 発行
非売品
 

    イメージ三行詩

    最後の選択

   「メメント モリ! いつか みんな骨になるのね」
   「せめては 美しい骨になるのが 今のぼくの夢さ」
   「メメント モリ! 骨まで愛するわ 世界がどんなに闇だって」(星水)

   「ぼくは望んで骨になったわけではないし
    きみの美貌も努力して手に入れたわけじやない」
   意志とは無関係に 二匹は一体になり始めた。         (熊崎)

   「おたがいを知ることは愛の始めなのね」
   二匹は蒼く沈んだ目をして バランスをとっている
   時々 験すように片目をつぶってみせて            (森)

   生きて愛して
   死んで愛して
   二人の秘密の箱                       (長谷)

   生死に直面した時にこそ
   真実の愛に出会えることもある
   たとえば 今の私達のように                 (村田)

   二人で一匹になれるなら
   あわれな生き物たちのため
   おいしく味な死に方が できる?               (村山)

   「いいえ 私達は愛と死のどちらかしか選べない」
   愛は苦渋 死は末梢
   最後の選択はどちらを……?                 (坂口)

 いわゆる連詩とはちょっと違うようです。詳しくは知りませんけど、連詩には前の詩の何行目の文字を受けて、というルールがあったと思いますが、ここではそれが緩やかになっているのかなと思います。
 最初の「メメント モリ!」から「最後の選択」まで無理なく見事につながっていますね。それぞれの作者の個性も垣間見えておもしろく拝見しました。同人の皆さまのまとまりの良さが見えるようで、楽しみました。




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