きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.7.31(木)

 今日は私の誕生日です。54歳になりました。だから何だ?という声が聞えてきそうですが、それだけのことです。早いもんだと思いますね。まだ、なーんにも仕事してないな、とも思いますね。すぐに陳腐になる小さな発明と、すぐに消えてしまう詩史への小さな足跡。子供たち。そんなものかな。
 うれしいのは定年まで6年を切ること。会社人生の5分の4を過ぎて、あと5分の1がんばれば好きなことに時間が使えます。残された時間は少ないけど、書きたいことを書き続けていきたいです。



  長津功三良氏詩集『影たちの葬列』
    kagetachi no souretsu    
 
 
 
 
2003.8.6
山口県玖珂郡美和町
幻棲舎刊
2000円
 

    変わったか

   ひろしまは
   変わったか

   変わった
   あれから
   生き残った人たちが
   ピカドンについて
   なんも いわんようになった

   ひろしまは
   変わったか

   変わった
   若いもんは
   原爆のことなんか
   興味ありゃぁせん
   知ろうとも せんわい

    広島を訪れる 修学旅行生も
    年々 逓減している そうな
    平和運動の 掛け声ばかりで
    語り部たちは 次第に 死んでゆき
    詩人たちの 記憶も 薄れ始めているのか
    だんだんと 声が 小さくなっているではないか

   ひろしまは
   変わったか

   変わった
   街は 凄く綺麗になり
   緑も多い 政令都市
   ドームのあたり 遊覧船乗り場があり プレジャーポートが係留され
   でも 他所から来てみると ちいっと 物価が高いげな

   ひろしまは
   変わったか

   変わらない
   変えられない
   影たちの 傷の痛み
   生き残ったものの
   心の中の 廃墟となった遺跡

   きみよ 忘れないでくれ
   ひとらの 重い思念の塊を 語り継いでくれ
   ひろしまを 風化させないでくれ

 著者は1934年広島市生れ。1945年の原爆投下時には広島に居なかったようですが、生地広島の悲惨を告発し続けている詩人です。原爆をテーマにした詩集はこれで4冊目になりました。なぜ今に至るまでヒロシマを書くのかというのは、生地であれば当然のことながら、その深い意味を紹介した作品は述べていると思います。最も敏感であるべき詩人にしても「詩人たちの 記憶も 薄れ始めているのか/だんだんと 声が 小さくなっているではないか」と問うてきています。この言葉は重い。「ひろしまは/変わったか//変わらない/変えられない」という著者の言葉をもう一度噛締める必要があると思います。「ひろしまを 風化させないでくれ」という著者の願いを引き継ぐのは、私たちの世代の責任でもあると感じた詩集です。



  詩誌ZERO7号
    zero 7    
 
 
 
 
2003.8.1
北海道千歳市
「ZERO」の会・綾部清隆氏 発行
非売品
 

    モノクロのモナド    森 れい

   見えていないものへの
   おそろしさが
   震動をふくらませて
   目の前に近づく

   降ろされる遮断機の速度に
   右往 左往 する

   持ち時間の中に閉じこめられた
   モノクロのモナド

   新しい意識のかたちを
   生みだしているモンタージュ 急げ
   その中でしか開けない予感の領域
   に向かって

   詩(ことば)でしか進めない未来がある

   総立ちする畏怖
   総立ちする
   火と水と風 とそれら純粋なもの
   とに あぶられて遠去かっていく
   見えていたもの

 浅学にして「モナド」の意味が判りませんでした。辞書では次のようになっています。
(ドイツMonade 英monad フランスmonade)(モナッド)哲学で、万物を実在させる究極的な構成要素。実在の形而上学的単位。特にライプニッツ哲学の用語。単子。→モナド論:国語大辞典(新装版)小学館 1988
 ついでにモナド論も調べてみました。
ライプニッツのモナドに関する形而上学説。彼によれば、宇宙は、広がりも形もない不可分な実体モナドから構成されている。このモナドは互いに作用し合うことなく独立して小宇宙をなすが、宇宙は最高のモナド、神によってつくられた予定調和に従って統一されている。単子論。

 これで少しは作品の意図が見えてきました。ポイントは「詩でしか進めない未来がある」という1行1連の言葉だと思います。詩=「モノクロのモナド」と言えるのかもしれません。詩とは何かのひとつの解釈と考えてよい作品だと思います。難しいけど、啓示を与えてくれた作品です。



  詩誌『獣』58号
    kemono 58    
 
 
 
 
2003.8
横浜市南区
獣の会・本野多喜男氏 発行
300円
 

    音    ひらた きよし

   夜明けの夢は
   季節の風で渦を創り
   だんだん ふくらんでいく

   いくつかの音が
   渦の中に入って
   夢自体を動かしている

   体はまだふとんの中にあるのに
   風が頭を支配して
   欲望の階段を昇るように
   せかせる

    ――早く 起きるんだ――

   時間を刻む音は
   骨を刻む音に変った

 最終連が強烈な印象を与える作品だと思いました。死の予感のようなイメージを受けます。私の経験では夢の中で音を聴いたという記憶もなく、それも意外な思いをしました。作者の敏感な感性に驚かされる作品です。
 それにしても「時間を刻む音は/骨を刻む音に変った」というフレーズはどこかで使ってみたくなりますね。




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