きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.8.9(土)

 近所のおばあさんが亡くなって、お通夜に行ってきました。この地に住んで10年余になりますが合ったことはありません。でも3軒隣ですからね、行かないわけにはいきません。永らく寝たきりだったようです。ご冥福をお祈りします。



  たに みちお氏詩集『寝付けぬ街』
    netsukenu machi    
 
 
 
 
2003.8.8
東京都あきる野市
私家版
非売品
 

    喪失

   僕ガ夜中ニ目覚メルノハ
   迫リ来ル不安二押シツブサレソウニナルカラデス
   僕ガ怒ラナクナッタノハ
   空シサガ先ニタツカラデス
   僕ガ話ヲシナクナッタノハ
   真剣ニ聞イテクレル人ガイナイカラデス
   僕ガ笑ワナクナッタノハ
   アマリニモ笑イヲ強イルカラデス
   僕ガ希望ヲ持タナクナッタノハ
   神々ヘノ不信ガアルカラデス

   僕ハ人間デスガ
   沢山ノ人間ヲ殺シテミタイト思ッテイマス
   ブラックホールヘ落シテミタイノデス
   ソレデモ僕ハ臆病デスカラ
   壁ニ向キ合ッテイルシカナイノデス
   僕ハ一体ドウナッテシマッタノデショウ
   僕ガ自由ダト感ジルノハ
   ジットシテイル時ダケナノデス

 詩集中唯一カタカナ交じりで書かれた作品です。「僕ガ怒ラナクナッタノハ/空シサガ先ニタツカラデス」「僕ガ話ヲシナクナッタノハ/真剣ニ聞イテクレル人ガイナイカラデス」というフレーズも良いと思ったのですが、「僕ガ笑ワナクナッタノハ/アマリニモ笑イヲ強イルカラデス」というフレーズには愕然としました。笑いを強要された付き合い、底の浅いお笑い番組などをすぐに思い浮かべました。痛烈な文明批評だと思います。

 「僕ガ自由ダト感ジルノハ/ジットシテイル時ダケナノデス」という最終のフレーズにも共感しました。何もしない自由が、今こそ無い時代だと言えましょう。カタカナも奏功している佳作だと思いました。



  個人詩誌『思い川』14号
    omoigawa 14    
 
 
 
 
2003.10.1
埼玉県鳩ヶ谷市
思川舎・桜庭英子氏 発行
非売品
 

    うさぎ    桜庭英子

   天の河を泳いで
   ゆうべ夢のなかに逃げ込んできたのは月の兎だ
   南の空のいちだんと深い流れの岸辺に
   さそり座のアンタレスが不気味に赤く光る夏だから
   何か起こるのではないかと
   長い耳を震わせて怯えていた

   地の川のにびいろの淵のあたり
   沈めたはずのわたしの地雷は
   いさかいの余炎にけさもまだ燻ぶっている
   地の涯てで脚足を失くした子供たちの
   おびただしい嘆きのしずくが降りそそぎ
   やがてこの川は氾濫するだろう

   水面を渡ってきた風も
   妙になまあたたかく
   砂あらしの戦さのなごりを引きずって吹いてくる
   雲を切り裂いていったミサイルの軌跡を
   ざらざらと洗いながら通りすぎてゆく

   人の住む星は
   滅びの予兆にいっそう熱くなって
   火照りを冷ます涼しい風を待ちわびる
   わたしは寝苦しい地球の傾斜に身を横たえて
   今夜もやってきそうな兎の跳ね音に耳を傾ける

 起承転結にきちっと嵌って、しかも最終連が見事な作品だと思います。「うさぎ」とイラク戦争の対比というのもおもしろいし、「さそり座のアンタレスが不気味に赤く光る夏」というとらえ方も奏功していると云えるでしょう。視野の広い作品でもあります。それにしても「人の住む星は/滅びの予兆にいっそう熱くなって」いるという感覚、「わたしは寝苦しい地球の傾斜に身を横たえて」いるという感性は詩人ならではのもの、という思いを強くした作品です。



  『ポエム横浜』'03アンソロジー
    poem anthology 03    
 
 
 
 
2003.7.25
横浜市緑区
横浜詩誌交流会・大瀧修一氏 発行
1000円+税
 

    廊下トンビ    新井知次

   肥えたトンビが
   悠々と廊下を俳掴している
   終業まじかの事務所
   鶏たちが行儀良く首を揃えて
   いまだペンをはしらせている

   赤提灯に付き合えよ
   羽根が柔らかく鶏を包むと
   もう誰だって逃れられない
   懐の暖かそうな鶏よ
   しかし獲物はするりと逃げていく

   鶏の秩序を変えようと
   ハタを振った奴がいた
   尻馬でトンビは強く羽ばたいたが
   馬が速く走りすぎたのか
   ほとんどの鶏が落馬していった
   気が付くとトンビの机は窓際に移され
   あろうことか馬が 馬が骨折していた
   それならそれで俺はオレ気楽に行けやと
   廊下の囁きがなぜか耳にとどいて
   俳桐する羽根の揺らぎに鼻唄さえもれた

   鼻唄はだが時にエレジーとなった
   かつて手取り足取り教えた鶏たちが
   今はトンビの頭に座っている
   全てに喉の渇く重さがずんときて
   酒でも飲まなければ脱水してしまう

   気楽さはしかし後戻りなんかない
   ひっかけられた鶏糞を払いのけ
   酒に焼けた赤い鼻のトンビが
   今日も鼻唄まじり
   磨きぬかれた廊下を俳桐している

 会社や官庁の人間模様を描いた作品だと思いますが、「かつて手取り足取り教えた鶏たちが/今はトンビの頭に座っている」というフレーズには実感がありますね。私にも身に覚えがあります。どこにでもあるんだろうな、そういうのって…。
 「鶏の秩序を変えようと/ハタを振った奴がいた」というフレーズには、時代を感じます。合化労連の大田ラッパ℃P下の一組合員だった私には、このフレーズはよく判ります。連合になってから世の中は変った、と言っても言い過ぎではないでしょう。
 「トンビ」「鶏」という比喩は、まるで現代の鳥獣戯画のようで、ふふっ、と笑ったあとに何やらわびしいものを感じた作品でした。



  矢口志津江氏詩集『月長石』
    moon stone    
 
 
 
 
2003.8.20
東京都東村山市
書肆青樹社刊
2200円+税
 

    五月のカミナリ

   気分が沈む そんな日は
   雨が降りそうでも 傘を持たずに出かけてしまう
   用意周到で 健全な心構えがうっとおしく思えて

   帰り道 雨に濡れながら歩く
   カールしておいた前髪が下がり
   顔が濡れ 靴の先が湿ってきても
   気持ちがすこしずつ晴れてくる

   気ままに吹く夙
   刻一刻と形を変える雲
   無彩色の空の中へ
   わたしの心を放り投げてやる

   突然 激しい雨に変わって
   五月のカミナリがあらわれたりして

 17年ぶりの第2詩集だそうです。この詩集にも載っていますが、どこかの詩誌で「心配ないよ」という作品を拝見して、それ以来注目している詩人です。
 紹介した作品は、第1連から唸ってしまいました。「用意周到で 健全な心構えがうっとおしく思えて」というフレーズに思わず○印を付けてしまいました。心理の機微を見事に具体化したフレーズだと思います。第2連、第3連も巧いですね。最終連もピシリときまっていると思います。素晴らしい感性の詩人が復活したことを証明した詩集だと思いました。




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