きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.8.14(木)

 お盆ですね。嫁さんの実家に呼ばれて行ってきました。実家といっても私の家からは歩いて5分ほど。せいせいと呑んできました。もちろんご先祖様に線香をあげるのは忘れませんでしたけど。家が近くても日頃はお互いに忙しくて疎遠になり勝ちですので、お盆に訪ねるのはいい風習だと思います。新婚の甥夫婦も顔を出していました。若い夫婦を見るというのは、将来に何かを託せそうで気持が良いものです。



  沼津の文化を語る会会報『沼声』273号
    syousei 273    
 
 
 
 
2003.8.15
静岡県沼津市
望月良夫氏 発行
年間購読料2500円
 

     テレビを捨てる    高山 智

    十四年も前のことだが、大学院生だった川嶋紀子さん(現・秋篠宮妃)から、
   ちょっとした相談を受けたことがある。
    「私はテレビを見たことがないんです。だからでしょうか、報道の方々に
   どう対応したらいいかが分からないのです」
    礼宮様とのご婚約が公になって、報道陣の過剰取材に悩まされていた時の
   ことだ。当時、新聞社にいた私は、学習院大学の講師を兼ね、彼女を教えた
   ことがあった。そんなことから私にもアドバイスを求められたのだろう。
    事実、川嶋家にはテレビがなかった。読み、考え、主体性をもって行動でき
   る人に、というお父上の教育方針からだった。だが、そのことが紀子さんに
   とっては、ひとつの悩みごとになっていたらしい。
    作家の高村薫さんが似たような体験を、先ごろ新聞に書いていた。
    親がテレビを買ってくれず、弟と近所の家で見せてもらった。小学六年生
   になって買ってもらったが、許されたのは人形劇、ニュース、紀行だけ。ア
   イドルも、流行歌も知らず、学校で疎外感を味わった――。
    テレビの魅力には、抗し難いものがある。その速報性、娯楽性は活字メディ
   アの及ぶところではない。日本人が一日にテレビを見るのは、平均三時間四
   十八分(NHK調べ)。世界で最も長い方に属する。
    とはいえ、この「テレビ漬け」がもたらす幣害にも、もっと目を向ける時
   だろう。
    何よりテレビは、活字離れを加速し、物ごとをじっくり探求し、選択する力
   を人々から奪ってはいないか。短絡的な映像をあふれさせることで未知の世
   界へのあこがれ、想像力といったものを却って損なってはいないか。
    紀子さんの問いかけに私は次のように答えた、と記憶している。
    「テレビのことなど気にしなくていいですよ。それに勝る貴重なものを、
   ご両親はあなに与えようとしているのだから」。

 4編載せられていた「随筆」の中の一文です。テレビの功罪は今さら言うまでもないんですが、わが家でも捨てられないでいます。3人家族で、とうとう3台になってしまいました。おそらくほとんどの家庭が似たような状況だろうと思います。私がテレビを観る時間は1日に1時間程度とは云え、捨てるまでには至っていません。
 そんな中で「川嶋家」「作家の高村薫さん」の家は立派なものだと云えましょう。そこまで徹底しないと「『テレビ漬け』がもたらす幣害」は解消できないのかもしれませんね。考えさせらた随筆でした。



  見川瞬水氏著さらば、わが青春のアルカディア
    saraba waga seisyun no    
 
 
 
 
2003.8.15
東京都新宿区
文芸社刊
1200円+税
 

   その夜 気のふれた薔薇の記憶がよみがえる
   永遠の無を凝視せよ 宇宙は永遠の無の闇に咲いたまぼろしの薔薇にすぎない
   播かれた種子はつかのま緩慢な死を生きるだけ
   わたしは無の海のなかでゆらりゆらり揺れている

   無は力である それがすべてである(もうそれ以上遡れない)
   泡 それが生命の原型 無を掻き集める力
   みずから形として外に形をつくり
   ものに形を与えることによってみずからに形を与える
   ちいさなかがやくかすかな泡の糸 ひとつの点
   わたしたちはこの永遠の無のなかのわずかな時間に
   形に凝縮した流動する泡のひとつの表象
   心はいつだって空と大地の間をつかのまゴムのように伸び縮みし
   やがて疲弊していく
   意識とはひとつの形が自他を分けながら おのれの存続を希求する泡の
   認識のひとつの形式にすぎない

   わたしは点である この永遠の無のなかに浮かんでいる
   わたしが生まれる前に無限の無が流れ
   わたしが死んだ後に無限の無が流れる たとえまだ人が生きていようと
   暗い蒼穹のかなたに犇
(ひし)めく一点
   おお わたしの腐った臼歯の奥が疼く
   宇宙の形骸のような眼も眩む深淵を抱えて蹲
(うずくま)る巨大な悲哀のヒエラルキー

   わたしといえば 泡のなかの限りなく縮小された薔薇の花びら
   それゆえわたしたちは紡ぐほかないのだ 与えられた細い哀しみの糸で
   それぞれに一枚の色彩々のタペストリーを
   きれいな露の模様をみごとに織り出している小さな機織りたちのように

 時は1970年代初頭。内科研修医として長崎県福江島の病院に赴任した27歳の清宮達以が主人公です。1年間の研修医生活で体験した患者の生死によって、主人公がいかに成長していくかを扱った小説、と紹介したらあまりにも簡単すぎるでしょう。ことはそう単純ではありません。32歳の若さで末期胃癌で死亡する原直樹、清宮の指導をする41歳の千々石(ちぢわ)医師の壮絶な死、重症身障施設園長の中浦医師の意外な内面など、医師の世界を掘り下げながら人間の生死とは何を問う異色の作品です。医師という極限に置かれた人間だからこそ見えるもの、それは詩人・芸術家が見ているものと通底していると著者は主張しているように思えてなりません。

 実は著者は、大塚欽一という名の詩人で、実際のお医者さんでもあります。だからこそ上述のような見方ができるのだと思いました。紹介した詩作品は「序」の一部として載せられているものです。正直なところ、小説を読み終わるまではあまり意味がつかめませんでした。しかし読み終わって改めて詩作品を振り返ってみると、その意図するところが如実に浮かび上がってきます。そういう詩もあるのだと衝撃を受けています。各章ごとに、冒頭に詩作品が収められていますが、同じように章を読み終わったあとに再度読み返すと良いでしょう。小説の語彙も比喩も豊富です。それらも勉強になりますが、何と言っても人間の深層を描いた秀作と云えましょう。お勧めの一冊です。ちなみに「アルカディア」とは理想郷のこと。何が人間にとって理想郷なのか、考えさせられる作品です。



  井奥行彦氏詩集『しずかな日々を』
    shizukana hibi wo    
 
 
 
2002.10.21
東京都東村山市
書肆青樹社刊
2800円+税
 

    しずかな日々を

   季節はだいぶ傾いていたろう
   植込に射す陽は色を帯びていたし
   虫の音は母のまな板の音のと切れを縫うように湧いてい
    た

   庭に放置された細長い木箱の下でも鳴いた
   何ごともない日々だった けれども
   ある朝日覚めるとひそひそ話が聞こえた
   兄が死んでいるらしかったが私は眠りをよそおった
   庭は掃除され 木箱も片付けられて葬儀が終ると
   風が移動して季節は急速に冬に向かったが

   年が暮れて節分を迎えるとまた明るく動き始めた
   姉は御馳走だと言ってヒヤシンスに溶け残った雪をやり
   祖母は福寿草だと言って鉢を家に入れた

   掃除の時に削ってしまったはずの菫が咲き
   気がついた時にはタンポポは綿になって浮遊していた
   多分ペンペン草もイヌフグリも逆光に隠れて咲いていた
    のかも知れない

   キュウリはまだ花をつけたままの生り子に滴を含み
   母は油虫を取るように言ったが私は手伝わなかった
   風雨の後 小川が急に澄み始めた頃

   もらって来た鶏を父は庭に放した
   少し塩をまぶして祖母の作ったジャガイモを入れ
   食べたことのない白米の肉めしを食ベ

   鶏がいないと言うと父は答えなかった
   それくらいのことしかなかった しずかな日々を
   何日過ごしただろう 幾度の秋を重ねただろう

   今年は下手なままかと思うと急に虫の歌は上手になり
   まばらになった茂みから昔の木箱の縁が ふたたび
   夏の名残の花のように見え始めていた

 本年度、第36回日本詩人クラブ賞を受賞した詩集です。紹介した作品はタイトルポエムであり、巻頭詩でもあります。人生の中でも大きなドラマであったはずの出来事を、「しずかな日々」として抑制されたタッチで描いたことが評価されたと思っています。「兄が死んでいるらしかったが私は眠りをよそおった」「鶏がいないと言うと父は答えなかった」などのフレーズはなかなか書けるものではないでしょう。おそらく4、5歳頃、1935(昭和10)年頃を設定していると思いますが、その時代の日本をも彷彿とさせる作品です。
 まさに日本の抒情詩の本流を行く詩集と思いました。




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