きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「クモガクレ」 |
Calumia
godeffroyi |
カワアナゴ科 |
2003.8.16(土)
終日、いただいた本を読んで過しました。充実した1日でした。
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2003.8.13 |
東京都武蔵野市 |
きょうは詩人の会・鈴木ユリイカ氏
発行 |
500円 |
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魚の目 房内はるみ
川辺にちかい町では
どこよりも つよく雨がふる
おもい雨に おされている午後の部屋
こんな日は わたしのくらい海がいっそうくらくなる
雨あがり
見つめあうような家々のあいだには
くぐもった声が しずんでいるけれど
川のほう 西のあたりはオレンジ色にかがやいている
だから わたしは西へいく道が好き
湿り気をおびた夕ぐれのなかを
およぐようにして魚をかいにいく
川辺ちかく
蚤の夫婦がいとなむ魚屋には
とれたての鮎がひかっている
魚をさばくごとに
主人の声は大きくなり
客のおんなたちは
ころして食べるという日常を ケラケラと笑いとばす
店からのぞける 夫婦の居間にも
ひかるものがあって
それが店の鮮度をささえている
光と闇がまざりあうころ
死んだはずの魚の目が一瞬ひかることがある
海への夢をたたれ
もうひとつの海にむかって くらい川をおよいでいる魚の目
つきぬけてくる光は
生の あるいは性のちから
(透きとおって美しい)
と 気づいてしまったことが痛い
そのとき しずかな陣痛がはじまるのだ
くらい海でねむっていた魚が
ゆっくりとおしだされ 小さな尾びれをうごかしながら
夢のような残照のなかをおよいでいく
「魚の目」が怖いという人は意外に多いようです。「ころして食べるという日常」に狂気を感じているのかもしれません。しかし「客のおんなたちは」「ケラケラと笑いとばす」だけです。でもそれは、あくまでも「客のおんなたち」であって「わたし」ではないのかもしれません。「わたし」は「死んだはずの魚の目が一瞬ひかることがある」のを見、「(透きとおって美しい)/と 気づいてしまったことが痛い」と感じています。そして「わたし」の中に「そのとき しずかな陣痛がはじまるのだ」と結びます。
他の生物を殺して食べるということはどういうことか、考えさせられる作品でした。
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2003.8.25 |
東京都新宿区 |
思潮社刊 |
2200円+税 |
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畳
座敷郎
という名の彼は畳から生まれた
取り上げ婆の手も借りずに
西日が強く差し込む
ばかに静かな時刻に
畳のへりの近く
夜伽の汚れと思われるシミのなかから
ゆらゆらとこの世の者となった
子どものない一対のおとことおんなは
喜びのあまり彼を鎖で繋ぎとめた
前世からの解放は彼にとって
新たな束縛の始まりだった
部屋の周囲は柵によって区切られ
陽の光と闇だけが交互にやってきた
食べることと眠ること
このふたつが彼に与えられた日課だった
昔むかしあるところに住んでいた
一対の年老いたおとことおんなは
なにをなりわいとしていたのだろう
彼も生涯なにもなさずに
年老いてゆくのだろうか
せめて 山へ柴刈りに行きたい
そこから始まる物語は
いのちの終わりに近すぎて哀しい
だが彼は終生ひとりであるにちがいない
哀しみさえ知らないまま彼の名は
どの昔話にも出てこない
著者の第4詩集です。前詩集『うしろめた屋』は1996年に出版され、第47回H氏賞を受賞しています。7年ぶりの受賞後最新詩集ということになります。
タイトルポエムの「座敷牢」という作品は載っていません。近いのは紹介した作品の「座敷郎」であるわけなのですが、それにこだわる必要はないでしょう。なぜなら詩集全体が「座敷牢」を表現していると思えるからです。その意味でも紹介した「畳」のなかの「前世からの解放は彼にとって/新たな束縛の始まりだった」というフレーズは重要でしょう。
自由を享受していると考え勝ちな現在、実は「座敷牢」に囚われているのだという視点の、まさに現在の現代詩詩集と思いました。
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2003.7.31 |
札幌市豊平区 |
響文社刊 |
2000円+税 |
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宇宙船売却
場末のバーチャリウムで
売られたボストークを見た
サザビーズが1996年に市場にかけたものだ
ヤエガワカンバにまとわりつく霧が
ぼくを揺らす
うすももいろに閉ざされた
海の天井にまたたく
葡萄畑
(Survive yourself!)
いつの時代のいつのグルの声か
コスミック・ノイズにしびれる羊水が
ぼくを揺らす
そのうしろにティラノサウルスがいて
そのうしろにアパトサウルスがいて
のたうちまわって子どもを産んでいる
そのうしろにクリンゴン生まれのウォーフが
さよならの手をふっている
ゆっくりと大陸が漂移していく
歯朶とラベンダーが低い空をうめて
ふくらんでくる過去
ぼくの脳 心臓 肝臓 手足 耳 鼻 目
40億年前の海からの拍動が
朝焼けの大地に伝わり
地球はぼくをはがいじめにしている
透明な梯子は砂州に埋まり
方舟は朽ち
行先を失ってふるえる脊髄の帆に
ジョディがとらえた赤外線も
すでに滅びた星からのものであり
砂漠にも近づく時間のなかで
ぼくはもうすぐヒトになろうとしているのだ
宇宙船が売られる
宇宙船が売られてしまう
詩集のタイトルポエムで、巻頭作品でもあります。「宇宙船売却」というから何事かと思いましたけど「ボストーク」の売却のことだつたんですね、納得しました。そんな事件≠契機として作品は掘り下げられていきます。おもしろい視点だと思いました。最終連の「宇宙船」はTVの影響でしょうか、宇宙船地球号≠連想してしまい、地球そのものとしても考えてみました。地球は「売られる」「売られてしまう」存在だとしたら、またに現在の比喩と云えましょう。スケールの大きな作品、詩集だと思いました。
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