きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.8.19(火)

 娘が16歳になって原付免許を取れるようになりました。そそのかして取らせました(^^; 最近の親は子供に二輪の免許を取らせないそうですが、私は取らせた方が良いと思っています。若いうちに二輪で走った方が将来安全だからです。それに四輪の運転マナーの悪さの原因のひとつに、二輪を知らずにいきなり四輪になる人が多いからだとも思っています。交通の序列と言いますか、交通弱者への視線が足りなくなる、知らないというのが根本的な問題だろうと愚考しています。

 で、取らせた手前、原付を買ってあげることにしました。仕事を定時で切り上げて、二人でバイクの専門店に行きました。いろいろ迷った挙句、二人とも気に入った水冷4気筒のバイクに決めました。でも、値段を見てビックリ。諸経費を含めると20万円を越えるんですね。たかが50ccのバイクで! さすがに全額出すのは教育上好ましくないので、5万円は娘の負担とさせました。そんな高額のバイクでも簡単に手に入ると思われてたまるか(^^;



  門林岩雄氏詩集『泉のほとり』
    izumi no hotori    
 
 
 
 
2003.8.1
京都府相楽郡木津町
マント社刊
1000円
 

    泉のほとり

   打ち続く日照りで
   泉はすっかりかれてしまった
   夕日をあびて老人は
   ひしゃくでなにかをすくっている
   そこへこどもがやってきた
   「おじいさん なにすくってるの?」
   「大事なものだよ」
   「そう
   大分たまった?」
   「たまったとも」
   「中をみてもいい?」
   「いいとも」
   桶
(おけ)をのぞいてこどもはさけんだ
   「からっぽだ!」

 詩集のタイトルポエムです。心憎いと言いますか、奥ゆかしいと言いますか、詩集の一番最後に載せてありました。この奥ゆかしい≠ニいう感覚は、詩集全体を通じて感じます。決してでしゃばらず、ちょっと離れたところでモノを見ているように思います。それも冷ややかに見ているのではなく、あたたかく見守っているという印象を受けます。

 紹介した作品にもそれは感じますね。「泉はすっかりかれてしまっ」ているのですから、「からっぽだ!」と言うのは考えようによっては当り前なんですけど、何かワクワクするものを期待してしまいます。期待は思った通り裏切られてしまうのですが、それはニッコリ笑って許せる、そんな気持の大きさを読者に与えてしまう作品と思います。読んでいて飽きない、心あたたまる詩集だと思いました。



  詩誌『都大路』33号
    miyako oji 33    
 
 
 
 
2003.8.20
京都市伏見区
「都大路の会」 末川 茂氏 発行
500円
 

    四人家族    上野準子

   ミニあんパン五個人り 一個残る
   パスする と言って一人席を立つ
   大に小に とにかく三等分する
   「早い者勝ち」
   「はい、お父さんの分」
   最後に手渡されても満足げに食べる
   私達は こうして暮らしている

   雨の日は とても静かにすぎる
   鳥も鳴かない
   定時に走る市営バス
   定時にやってくる幼稚園バス
   大型車の振動が 中古住宅によく響く
   一日が 何事も無きようにと願い
   何事も無くすごす
   互いの
   「疲れた」を無視し
   話したい事だけを話し 聞きたい事だけを聞く
   私達は こうして暮らしている

 主宰の末川茂氏は本年6月に亡くなりました。編集後記は末川さんに代って川出氏、司氏と編集人一同として書かれていました。主宰者が亡くなって、残された同人で発行した今号は、大変なご苦労があっただろうと想像しています。今後も末川さんのご遺志を継いで継続していっていただきたいものです。

 紹介した作品は、そんな状況の中でも立派に引き継いでいることを証明するものではないでしょうか。「私達は こうして暮らしている」という繰返しがよく効いていると思います。「話したい事だけを話し 聞きたい事だけを聞く」というフリーズもおだやかな「四人家族」を巧く表現していると云えましょう。
 改めて末川さんのご冥福をお祈りいたします。



  詩と詩論誌『新・現代詩』10号
    shin gendaishi 10    
 
 
 
 
2003.9.1
横浜市港南区
出海渓也氏 発行
850円
 

    絶滅動物図譜    黒羽英二

   ドードー
    インド洋の貴婦人モーリシャス島にいた鳥。大きな丸いくちばし、ま
    るまると肥った(最近学者の研究で本当は肥ってなかったという説
    が唱えられたが)、大きなかわいい鳥。飛ぶことを忘れ、逃げること
    を知らない、人なつこい鳥。「不思議の国のアリス」でおなじみの、不
    恰好でお人好しの鳥。ヒトになぐり殺され、「まずい肉」だと罵られ
    ながら、ヒトに食われて、三百年前に地球上から姿を消した。オラ
    ンダのルーランド・サーヴエリーという画家が、一六二六年に、肥っ
    たドードーの絵を描いただけで剥製はない。

   リョウコウバト
    一九一四年 九月一日 午後一時、マーサという名の、二九歳のリョ
    ウコウバトが、止まり木から落ちて死んだ。マーサは生前からその
    優雅な姿を写真に撮られ、スミソニアン自然史博物館に剥製となっ
    てオスと並んで展示されている。かくしてこの日を境に、アメリカの
    空を真っ暗にするほど覆い尽くしていた五〇億羽とも言われたリョ
    ウコウバトが、地球から姿を消してしまったのである。ヒトによる慰
    みの大量殺戮が引金とはいえ、絶滅の原因の一つに、大量増殖で五
    ○億を越えたことと、巨大な群となって犇くようになったことも挙
    げられている。 大量増殖が始まり、 五〇億をとっくに越えて巨大
    な群となり、犇いているのはリョウコウバトばかりではない。

   ステラーカイギュウ
    ベーリング海はアジア大陸とアメリカ大陸をつなぐ海で、大昔は歩
    いて渡れたはずだが、この海に体長十メートルに近い巨大な海牛が
    泳いでいた。海藻を主食とするおとなしい動物で、かわいらしい小
    さい眼を持っていた。ステラーというのはドイツ人の医師の名前で、
    一七四一年に、当時、探険という名で、地球のすべてを貪欲の対象
    として、地球北部の海域に進出していたヒトの一人が命名したので
    ある。他の動物を襲うわけでもなく、からだが大きいだけの穏和な
    ステラーカイギュウを、捕鯨船のやり方で殺し、皮を剥ぎ、その肉
    を貪り喰ったのはヒトである。ステラーカイギュウが絶滅したのは一
    七六八年で、明治維新の、丁度百年前であつた。

   ヒト
    おこがましくも自ら霊長類などと称し、常におのれのみ正義の士
    であることを標榜し、敵に仕立てあげた者や国を陥れることに汲
    々として、相手を鬼に仕立てあげ、同族殺しを続けながら、六〇
    億を越えて増殖し、おのれを生み出した地球を汚染、破壊し尽く
    し、母なる宇宙の塵に帰してしまった醜悪、残忍、狡猾な生物。

 「ドードー」も「リョウコウバト」も「ステラーカイギュウ」もすでに絶滅しているわけで、作品では「ヒト」も絶滅した部類になっていますけど、どうなることやら…。「大量増殖が始まり、 五〇億をとっくに越えて巨大な群となり、犇いているのはリョウコウバトばかりではな」く、「ヒト」も「六〇億を越えて増殖し」ているのですから、この法則≠ノ則るとやはり絶滅でしょうか。怖い作品です。




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