きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.8.22(金)

 娘のバイクが来たというので、仕事を定時で終えて取りに行きました。20万円の現金を持って…。久しぶりに20万円なんてお金を手にして震えましたね、毎日呑んでも1ヵ月は呑めるなぁ(^^;
 バイク屋から自宅までは約5km。免許取立ての娘は運転する自信がないというので、私が運転しました。途中、国道246号線というトラックばっかりの道もありますからちょっと緊張しましたけど、大丈夫でした。50ccの原付なのに水冷エンジン、パワーはありましたね。ご存知のように原付の最高速度は30km/H。順法精神で走りましたけど、クルマの流れに乗るのも大事なので、ちょっと流れに合わせましたが(^^; 問題ありませんでした。うーん、40年前のホンダ・スーパーカブとは雲泥の差だ!

 帰宅してから娘に乗り方を教えましたけど、大丈夫かな…。16歳、自転車は乗れるけど初めての原動機付き車両ですからね。まあ、多少の怪我はしょうがない。小さな事故はいいから、大きな事故を避ける感覚をつかまえてほしいものです。



  隔月刊通信誌『原詩人通信』110号
    gen shijin tsushin 110    
 
 
2003.8
東京都品川区
原詩人社・井之川 巨氏 発行
200円
 

    平和の敵(後)    ポン・山田塊也

   空爆に傷ついた娘を抱きかかえる父親の姿に
   泣き叫ぶ母親の振り上げたこぶしに
   涙もなく 合掌もなく 関心すらなく
   平和の敵はメディアを操作して死をふりまく

   イラクに次ぐ獲物を物色する平和の敵は
   シオニストと組んで中東全域を餌場に変え
   北朝鮮にも民主化を強制して暴発を促せば
   半島と列島は人間バーベキューの火の海だ

   このイメージが戦争も飢えも知らないくせに
   情報過多で“癒し中毒”のデジタル世代に
   果たしてインパクトを与えうるのかどうか?
   だが誰だって殺されるのも殺すのもイヤなはず

   平和の敵に対峙できるのは政府でも国連でもなく
   ひとり一人の想像力と 非暴力アクション
   かってベトナム戦争をくい止めた偉大な呪文
   「ラヴ アンド ピース」を唱え街に出よう

   伝えておこう 公然たる秘密を
   ヒッピーたちの非暴力パワーの源は
   平和の敵が“麻薬”として非合法化し
   地上から抹殺しようとした大麻なんだよ

   知ってるい 大麻は対米依存のバロメーター
   経済援助と引き換えに 大麻取締法を制定した
   アジア・アフリカの大麻文化圏の国々では
   上層はアルコール 下層底辺はアンチ・アメリカ

   アメリカのペテンを見破ったヨーロッパ連合は
   昨年ついに大林の個人使用を非犯罪化し
   今年の反戦デモはローマやパリで バルセロナで
   ロンドンやベルリンで 50万 100万 200万・・・

   マッカーサによる「大麻呪縛55周年」の日本では
   上層も下層も未だ「大麻汚染」の最低レベル
   野球場並みでも 史上最高の反戦デモだが
   車優先で分断され ソフト管理に気勢上がらず

   そこでポンコツのポンは 東や西のインディアンに
   思いを馳せて「ボム シャンカール!」
   と詩のラストを結んで シンバルを鳴らし
   破壊の神のマントラを唱えて 舞台を降りた

   ムショ帰りで静養中の山口富士夫の代役として
   トリは山根麻衣と ニューアルカイック スマイル
   縄文インディアンの巫女が締めたエンディングは
   「イマジン」をベースに全員起立のヒッピー乗り

   平和の種蒔きを終え 新宿駅のホームに立てば
   闇夜に聳える摩天楼の“虚栄の間”にて
   総理の座を狙う 極右ファシストの平和の敵が
   ミス・テポドン相手の変態ごっこが丸見えよ

 驚きを持って拝見しました。「ヒッピーたちの非暴力パワーの源は/平和の敵が“麻薬”として非合法化し/地上から抹殺しようとした大麻なんだよ」というのは知っていましたが、「大麻は対米依存のバロメーター/経済援助と引き換えに 大麻取締法を制定した」というのはまったく知りませんでしたね。単純に大麻は麻薬としか考えてきませんでしたが、調べてみるとおもしろいことが判明しそうな気がします。そういう意味でも刺激的な作品でした。



  詩とエッセイ誌『焔』65号
    honoho 65    
 
 
 
 
2003.8.10
横浜市西区
福田正夫詩の会 発行
1000円
 

    「捨てる」考    山崎豊彦

   可燃ごみ 不燃ごみ 資源ごみ
   その仕分けとまとめ 捨てに出るのが
   家居の多くなつた私の役目のひとつだ

   義父母が逝き 子らが巣立ち
   以前とは比較にならないほどごみの量は減つたが
    ものにまつはるいささかの思ひ出などのために
    古いものをすぐには捨てられない性質
(たち)の私は
    これも あれもと残しておき
    いつのまにか子らのゐた部屋は物置同然
    そこで早く捨てたい妻と諍
(いさか)ひが生じる

       △

    「いつまでたつても片付かない。少しは捨てるなり
   整理を心がけて下さいな」と妻
    「うん、まあそのうち」と私
   ″片付けるとは捨てることだ″とテレビの番組で聴
   いた
   妻はこれを金科玉条として
    「それごらんなさい」と私を責める
    形勢の悪くなった私は 胸のうちで
        ・・・・
    「『娘が片付いてホツとしたわ』と言つただらう。で
        ・・・
   は母が娘を捨てたといふのか」
    と ひどい屁理屈をこねて我慢する

       △

    何かを捨ててあるいは何かを失つて人は変る(こと
   がある)
    変らなければならないもの(捨てなければならない
   もの)もあれば
    変つてはならないもの(失つてはならないもの)も
   ある。
    その中間のものもあり 諍ひは大抵これに発する
    いささかの思ひ出のもののなかに 人の顔がうかぶ
   人の心を感じる
    だが思ひ出が本人だけのものだとすれば
    それにも耐用年数や賞味期限が伴ふのだらう

       △

    かくて古いものが多く幅を利かせてゐるわが家では
    ごみの袋と亭主の座が小ぶりになりつつ日常が過ぎ
   て行く
                 ('03・3・27)

 「捨てる」というのは本当に難しいものだと思います。私も「これも あれもと残してお」く方です。特にいただいた詩誌や詩集は捨てられず、自分の部屋どころか実家にも置いて保管しています。1万冊ぐらいになるのでしょうか。現在は平屋住いですので、二階をあげて図書室にしようと提案したら家族の猛反発に合いました。
 まあ、そんな私事はおいておくとして、紹介した作品はアイロニーがあっておもしろいですね。「亭主の座が小ぶりにな」っていくのはしょうがないのかもしれません、家庭の平和のためには。



  詩誌『鰐組』199号
    wanigumi 199    
 
 
 
 
2003.8.10
茨城県龍ヶ崎市
ワニ・プロダクション 発行
400円+税
 

    夏・歌    福原恒雄

   さいきんあどけなくなった旧友もいる報を包んで
   熟れていく夏に
   ことんと配達されたフォークソング全集のテープには
   掠れた声もくっついていた
   こいつらに戯れたままでは酔いたくなかった言い分も
   しまい忘れた旗にからまる
   おれらの熱いうた
   くすむ詞を内懐にねじこんで
   カラオケマイクを握る飲んだくれ花柄ポーズを聞きつけたのか
   唇噛む献呈の次第だったかもしれないが

   荷を解いた手で 置いてみる 頭で持ってみる
   うたの終りにはまだ金ぴかの風が槌る
   そして舌が乾く
   乾いた息のうえに         *
   「うらぶれた海底に黄色な花が咲いたら」と
   焼けトタンで囲ったバラックの天井の割れた穴から
   海のような月のひかりを吸った
   坊主頭の唇がある
   浚われた悲鳴も悲鳴を叩かれた夜も忘れてしまいたいいい気な朝に
   掘り返され舗装されてしまった道を
   暑さ除けにパラソル代りの洋傘などをさして女が通る
   男が手をつなぎたがって爪のなかまでも汗ばむ

   もぎ取られて目も耳もない風景を掠めて
   女も男もしっかり死者になってしまった
   くずれた頭蓋をいまどんな風が擦
(こす)るかを
   おれらは 十何万人が一瞬に という言いかたでは近寄れなかった
   母を母と呼べず母を母と呼びたい剥がれた皮膚を
   湿らせたかった
   風の巣にやどる虫のようにひとであったひとの影が
   聞こえにくいきせつにはなったが

   さわさわと戦
(そよ)ぐ目つきを
   返礼にしたくて
   負けても負けても負ける術が身につかない腕まくりを
   日除けファッションの欠けた屋台ビールの成分分析もくっつけて
   あしたの正気で送る

   逃れられないあの街から通じるこの街は
   萎みきれない暑さに叩かれて
   蝉に似せた詠嘆調がひしゃげると お! おう
   きみの全集にもおれの思いにもなかった耳鳴き止まない

       *一九五〇年ころ田中伊左夫氏らによって発刊された、同人誌名。のち「海底の花」「海底」と変った。

 「夏」の「歌」は様々なことを思い出させます。「ことんと配達されたフォークソング全集のテープ」は「しまい忘れた旗にからまる/おれらの熱いうた」を、「十何万人が一瞬に という言いかたでは近寄れなかった」広島・長崎を。第2連のような同人誌の経験はありませんでしたが、高校の頃にノート回覧で作った同人誌≠ェ近いのかもしれません。「男が手をつなぎたがって爪のなかまでも汗ばむ」というのは経験があるなぁ(^^; 「負けても負けても負ける術が身につかない腕まくり」というのは労働組合青年部を思い出しますね。

 もちろんこれらは作品を読んだ私の勝手な想像(創造)です。作者の意図とはちょっとズレているのかもしれません。でも、どこかで同じ「夏」を共有していたのではないかと思います。それが感じられれば良いのではないでしょうか。福原恒雄という詩人の作品に接すると、いつもそれを感じます。




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