きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.8.28(木)

 久しぶりに休暇をとってプロ野球を見に、横浜スタジアムに行きました。もっか最下位の横浜ベイスターズが私の贔屓の球団でして、それを知っている後輩がタダ券をくれたものです。横浜―広島戦でしたから、そんなもの誰も見に行かないよ、という嫌味とともに(^^;
 実は球場での観戦というのは初めてなんです。芝生はきれいで、TVではあまりお目に掛かれないイニング毎のパフォーマンスなんてのもあって、楽しめました。ビール片手に大声をあげて応援するというのは気持のいいものですね。残念ながらベイは負けてしまいましたけど、双方ともホームランが何本も飛び出して、おもしろい試合でした。タダ券が入ったらまた行ってみたいですね。



  鈴木比佐雄氏詩集『日の跡』
    hi no ato    
 
 
 
 
2003.8.15
宮崎県東諸県郡高岡町
本多企画刊
2000+税
 

    日の跡

   日の跡を見つめる
   日の光と影のはざまに
   ぼくは引きずり込まれる

    1
   苦灰石
   古代シルル紀
   四億数千万年前
   カナダのバーリントン
   ナイアガラ渓谷で
   ウミユリ類が生きた日があった
   その肢体が岩石となって
   今は板橋の公園の片隅にある
   前を通るたびに
   ぼくは、ふいに
   ウニやナマコの祖先を想い
   時間酔いにめまいする

    2
   カジイチゴが熟した日だ
   少女漫画を読んでいる娘たちを連れだし
   野生のキイチゴつみにいく
   先客の蟻と羽虫をおしのけ
   母の乳房をもぎ取るように
   ジャムの空壜が一杯になっていく
   刺で顔を傷つけていることも忘れて
   苺とは娘たちにとって
   草の中にいる母なのだろうか

    3
    兄さん 眠れないんだ
   弟が失踪した日
   小鳥の鳴き声が
   けたたましかった
   少年が樹木に招かれ
   死んでいく少年を
   小鳥と虫たちだけが見ていた

   あの日から
   小鳥の鳴き声は
   死者のおしゃべり
   虫たちは死体をむさぼる
   樹木は死者の住みか
   七月の緑陰は死者の眼

    4
   娘の寝るころ電話が鳴る日
   母の添い寝を邪魔された娘は
   電話に嫉妬する
   ボランティアの相談ごと
   尽きない長電話に飽きて
   娘は母の足元で眠りにつく

   今日も電車の中では
   携帯電話によって
   嫉妬が渦巻いていたな
   沈黙を破壊し
   会話を不可能にするもの
   ディスコミユニケーション
   本当の伝達とは何だろうか

    5
   原家族に病む
   それを原家族症と名付けようか
   突き詰めると死に至る

   姉は父を見取ったあと
   酒におほれた
   深夜 電話が鳴った
   手首を切ったの すぐ来て
   姉の団地へ車を飛ばす
   驚きながら どこか冷めていた
   コンビニエンスストアでガーゼと包帯を買った日

    6
   人はほんとうに疲れると
   眠れなくなる
   ほんとうに弱ると
   食べることを拒絶する
   燕下障害
   人は水の飲み方さえ忘れる
   最悪のことしか思い出さない
   血を地へしたたらせた日
   姉は薬の力で死んだように眠り
   少し正気になって
   この世に戻ってきた

    7
   南千住
   ぼくが生まれた町だ
   上り電車が止まる
   下りの鉄路の脇は
   シロツメクサが敷き詰められ
   背の高いビロードモウズイカの
   黄色い花が天を突き刺すように
   立ちすくんでいる

   二匹のモンシロチョウが
   美しい曲線を描いて
   じゃれあっている
   この世の天国のように

    もう、たまらないんだな
   嵯峨信之さんの肉声が聞こえてくる

   
ドクダミ
   十薬 昼顔 ノカンゾウ
   夏が近づいてきた日

    8
   コンビニエンスストアに行く
   若い女がおむすびを買う
   サラダ、ペットボトルを買う
   食べることもファッションか
   ここは母殺しの場所だ
   家族に止めをさした日だ
   自動車が父を殺し
   テレビが兄を殺し
   ゲームが弟を殺し
   母と姉はここでいま殺し合いをしている
   便利なものは必ず 人を殺すか

    9
   日の跡には血が点々と落ちている
   ぼくは血痕を辿って迷子になった
   家族の誰もいなくなった場所で
   空の青さを
   緑葉の濃さを
   大気の移動を
   眼球に感じていた

    10
    そういうもんですよ
   浜田知章さんの口癖がよぎった

   タンポポ 朝顔 オオバコ
   思い出していた
   赤子のぼくが立ち上がり
   一人で歩き始めた日を
   父、母、兄、姉たちがそのことを賛美し
   背を押してくれた
   日の跡を

 詩集のタイトルポエムです。ちょっと長かったのですが全行を紹介してみました。詩作品ですからそのまま受け取る必要はなく、あくまでも詩作品として読めば良いのですが、実際の著者の「日の跡」が表現されていると思っています。著者の詩を書く根源が示されている作品と考えて良いのではないでしょうか。
 特に「8」は私を刺激しました。何が人間をダメにしているのか、改めて考えさせられています。「便利なものは必ず 人を殺す」というフレーズは肝に銘ずるべきでしょう。



  個人詩誌COAL SACK46号
    coal sack 46    
 
 
 
 
2003.8.25
千葉県柏市
コールサック社・鈴木比佐雄氏 発行
500円
 

    8桁の数字   内田良介

   気がつくと
   わたしはそこにいた
   夕暮れの見知らぬ町並み
   行き過ぎる人々
   目の前のコンビニの眩い光
   わたしはめまいを覚えた
   思い出せない
   自分がどこから来て
   何をしようとしていたのか
   いやそれどころか
   自分の名前や年齢さえも・・・
   街に流れているはやり歌の
   歌手の名前なら覚えているというのに

   藁にもすがる想いで
   コンビニの店員に聞いてみた
   わたしは誰なのかと
   交番での様々な質問
   困惑する警察官の顔
   コンパクトと口紅
   ヘヤーカラーのチューブ
   幾つもの部屋の鍵
   判読できないメモ
   まるで誰かが消し去ったような
   手がかりのない鞄の中身
   ぽっかりと開いた空洞のなかの
   奇妙な不安と安らぎ
   かすかに痛む左腕の傷痕
   頭の隅で点滅していた8桁の数字

   その数字によって
   わたしは自分を探してもらった
   やがて父や母や恋人まで現れて
   わたしは家に帰った
   断片的に回復する記憶
   どうしてもなじめないわたしの名前
   思い出せない肝心なこと
   わたしはその空白が埋まることを
   ひそかに恐れている
   このままの方がいいのかもしれない
   ふと我に返ると
   謎に包まれている
   他人の人生のように

 「8桁の数字」とは住民基本台帳に記載されている数字のことだと思います。紹介した作品は、その数字さえあれば誰であるかが特定できる一例として読んでも良いのでしょうが、やはり怖さの方が先に立ちますね。誰であるかが特定できるということは、その人の全てを知られることと同意義と考えてしまいます。「わたしはその空白が埋まることを/ひそかに恐れている」というフレーズは、本人も知らなかった本人の過去、信条、思想があからさまになる怖れととらえて良いでしょう。本人に判るということは、当然、その情報を取り扱う者にも判るということになります。
 最近は住基ネットについて書かれることも少なくなりましたが、決して無くなったわけではないということを改めて思い起こさせてくれた作品です。




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