きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.9.7(日)

 午前中は地域の防災訓練に参加しました。しばらく前までは自治会の役員でしたから、こういうイベントのときは大変だったんですけど、今はフリーの身、のんびりと参加しました。
 終って畑仕事。耕耘機で90坪ほどの畑の半分を耕しました。後の半分は里芋が植わっています。これは30分ほどで終って、午前中には義務はすべて終り。あとはいただいた本を読んで過した休日でした。



  詩誌『流』19号
    ryu 19    
 
 
 
 
2003.9.9
川崎市宮前区
宮前詩の会 発行
非売品
 

    色について    中田紀子

   音には色があって
   けさ聞こえてきた音楽は深い緑色です
   何故なら
   その音は湖を渡ってきたからです

   文字にも色があって
   a はひよこ豆の黄色
   b はフラットの淋しい青
   c はキュンキュン泣いている赤
   d は暗闇の黒
   e は霞んでいて色がありません

   野菜にも不思議な色があって
   今晩茹でて食べたほうれん草は薄い紫色です
   何故なら
   その色は畑の地下水から盗まれたからです

 「音には色があ」るという視線が新鮮な作品です。作者が絵描きさんかどうかは知りませんが、絵を描く人はこういう感覚を持つのかもしれませんね。「文字にも色があ」るというのも絵描きの視点なのでしょうか、それとも詩人だからこそ感ずるものかも…。最終連は一転して生活者の視点のようですが、「その色は畑の地下水から盗まれた」だから、というあたりは柔軟な思考の詩人ならではのものでしょう。刺激される作品でした。



  詩誌『潮流詩派』195号
    choryu shiha 195    
 
 
 
 
2003.10.1
東京都中野区
潮流詩派の会・村田正夫氏 発行
500円+税
 

    怒ることはたやすいが    鈴木茂夫

   乗客もまばらな土曜日の
   朝の地下鉄の座席で
   初老の夫婦が話をしている

   「ドーンと、やっちゃえばいいのよ」
   勇ましいのは妻の方で
   どうやら
   拉致事件をめぐる政府対応への不満らしい
   いかにも短格的な言葉に夫は
   「日本も、ひどいことをやってきたんだよ」
   と歴史をふまえていさめるが
   妻の怒りは収まりそうにない

   国と国が
   互いにドーンとやってしまったら
   両方とも負けなのである
   怒りは不発のままに保つこと
   そして言葉で
   戦い続けることだ

 特集〔怒〕の中の1編です。〔怒〕はイラク戦争を主体にした作品が多くありましたが、ここでは「拉致事件をめぐる政府対応」になっています。
 私もどちらかと云えば「歴史をふまえていさめる」方ですが、職場ではちょっと浮いてしまいますね。どうしたもんだろうと思っているところにこの作品と出会いました。「
怒ることはたやすいが」その対案が見つからなかったのです。最終連で納得しました。「怒りは不発のままに保つこと」という発想はありませんでしたので、救われた思いです。



  季刊文芸同人誌『青娥』108号
    seiga 108    
 
 
 
 
2003.8.25
大分県大分市
河野俊一氏 発行
500円
 

    彫像    河野俊一

   まぶしい人は
   東に尻を向けている
   まぶしい人は
   毎日裸の尻を
   東に向けている
   まぶしい人の尻は
   黒くて硬い
   晴れれば
   黒光りして照り返すのだ
   まぶしい人の尻は
   毎日朝日を浴びてはいるが
   西日に染まることは
   一度だってない
   ぼくたちは毎朝
   黒い尻のそばを通って学校へ行く
   三年間
   毎日毎日
   俯いて
   黒い尻黒い尻黒い尻
   (学校では誰も
   尻のことについては語らない)
   まぶしい人は
   永遠に恥ずかしい
   だからずっと
   顔を手で
   覆っているのだ
   ぼくたちのかわりに

 学校の玄関の脇にでもある「彫像」なのでしょうか。「裸」で「黒くて硬い」、「顔を手で/覆っている」彫像だと読み取れます。問題はなぜ「永遠に恥ずかしい」か、にあると思います。「裸」だから恥ずかしいのかもしれませんが、キーワードは「ぼくたちのかわりに」でしょう。私たちの恥を一身に引き受けている彫像、と読み取るべきだろうと思います。
 私たちの何が恥なのか、それについては書かれていません。それは読者一人一人が考えよ、ということだろうと思います。思い至ることはいっぱいありますね。



  たかとう匡子氏詩集水よ一緒に暮らしましょう
    mizuyo issyoni kurasimasyou    
 
 
 
 
2003.9.15
東京都新宿区
思潮社刊
2200円+税
 

    揺曳

   坂道をくだって
   ガードレール沿いに歩いていると
   卯の花のにおう垣根に出た
   ゆらりゆらりゆらりゆらり
   日本の国は夢見心地です
   ひょっとしてここは卯の花のつぼみのなか
   中空に
   薄暮
   そこからは
   あなたの肩
   あなたの背中
   あなたの腰
   てさぐりでなお
   ゆらりゆらりゆらりゆらり降りたそこ
   なんと呼んだらいいのだろう
   ぎんいろの大きな鳥が空をわたり
   飛行機雲の軌跡が
   はるかむこうの岩山に消えていくのを見ている
   ひろがる黄土色がすっかり廃墟になるのも

 詩集はタイトルと同じ「
水よ一緒に暮らしましょう」と「八年目の記憶」の二部構成になっています。紹介した作品は後者に載せられていました。あとがきによると「八年目」とは阪神・淡路大震災から8年目という意味です。著者は神戸市在住。
 「揺曳」の正確な意味が判りませんでしたので辞書で引いてみました。ゆらゆらとゆれてなびくこと。響きなどがあとに長く尾をひくこと≠ニありました。そこから、この作品は震災後の「日本の国」の状態をうたっていると読んでも良かろうと思いました。「ひろがる黄土色がすっかり廃墟になる」まで「夢見心地」でいるのかな、と読んだのです。

 もちろん、そんな読みにこだわる必要はなく他の読み方も可能ですが、ここはやはり警告と受け止めたい。8年も経ってしまうと何もかも忘れられてしまいそうですが、被災者はそうはいかない。それを改めて感じた作品であり詩集でした。




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