きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.9.14(日)

 新製品の性能にイマイチの不安があって、16日に東京本社で打合せを持つことになりました。会議の鍵は私の提出する報告書になります。先週末は出張が続いて報告書をまとめられませんでしたので、出勤して作成しました。報告書の出来映えは上々と思うんですがね、そんなことはどうでもよくて、どうやって解決するか、だなぁ。その方策を考える基礎資料の位置づけですけど、会議はどう進むか。私の担当する商品の中では儲け頭の1、2を争うものになるはずです。今年一番の難問かもしれません。



  詩の雑誌『鮫』95号
    same 95    
 
 
 
 
2003.9.10
東京都千代田区
<鮫の会>芳賀章内氏 発行
500円
 

    モナルコマキ(暴君殺し)    大河原 巌

   やさしいひとは がんさんと呼んでくれますが
   わたしが生まれたころ
   大山巌という陸軍大将の偉い将軍がいて
   親馬鹿の願いをこめてか
   大将ならずとも大人物になれと
   巌という名前をいただきました
   さざれ石の巌となるどころか
   がんさんは 細石のままの分節をくりかえして
   ゴン ガン ゲン
   戦争反対の砂塵となって一つの声を結ぶときがきています

   エルサレムの自爆テロ 風に消えない一粒の砂塵の声だ モナルコ
   マキ テロルに善悪などがあるものか モナルコマキ それは暴君
   に対する民衆の最後の救済手段 暴虐から人権を救済する抵抗の権
   利 民衆の叛乱権として認知されているはずだ イスラエルの圧倒
   的な武力に立ち向かう自爆テロ モナルコマキ パレスチナ民衆の
   生存をかけた権利の救済 テロルとは何か テロ撲滅の戦争をしか
   けるアメリカ大統領は 人間の行為としての革命権を認めたヴァー
   ジニア権利章典を思い出せ

   晴れた世界の空にモナルコマキの砂塵の声を結ぶときがきました
   ゴン ガン ゲン
   やさしいひとは がんさんと言ってくれますが
   わたしが死ぬまでに
   さざれ右のがんさんが
   名前のような巌となることはありえません
   わたしは巌ですが
   がんさんは 細石
   さざれ石のがんさんは その身を削って
   アフガンの山々の空にもモナルコマキの星屑をささげます

                         (未刊詩集『自画像U』より)

 作者のお名前の「巌」から連想していく作品ですが、いくつか重要な言葉があります。「民衆の叛乱権」「人間の行為としての革命権」という概念は20世紀になってから発達してきたものと思いますが、「テロル」を考える場合には欠かせないものと云えましょう(決してテロに賛成しているわけではありませんが、理論として)。いわゆる文明国≠ナは「自爆テロ」に対する非難がありますけれど、そういう権利としてのテロという観点も必要かもしれません。そこをこの作品は言っているのではないでしょうか。教条的、画一的なモノの見方をするな、と戒めている作品だと思います。考えさせられました。



  詩誌『地下水』169号
    chikasui 169    
 
 
 
 
2003.8.15
横浜市港南区
横浜詩好会・保高一夫氏 発行
500円
 

    砂遊び    保高一夫

   盛り上げ 叩き
   迷路のような回廊やスロープを作り
   わが城らしきものが完成
   と、思った瞬間
   意地悪な奴の足蹴によって城は無残に崩壊
   喧嘩をしても勝てない相手なので
   仕方なく泣きべそを掻きながらまた城作りを始める

   城の頂上に砲台らしきものつくり
   ビー玉を転がす
   ビー玉はきれいな絵模様で滑り落ちていく
   さんざんビー玉で遊んでから
   今度は自分の足で蹴って思い切り城を破壊する
   気分爽快だ

   手は砂だらけ 足も砂だらけ
   顔も砂だらけで
   家に帰れば叱られるだろうが明日も
   また新しい城を作ることを心で決めて
   そのイメーージを描く

   最近の都会の遊び場では
   砂遊びをしている光景が見られない
   砂場に入れるような砂がないとか
   不衛生だからと大人たちが反対しているだとか
   色々な説があるようだが

 作者が最近出した『じゃんけんぽん』という詩集に通じる作品だと思います。他人に壊されるのは嫌なものですけど、自分で壊すのは「気分爽快だ」。よく分りますね。「不衛生だからと大人たちが反対している」というのは事実のようですけど、昔の子供って、それで病気になったなんて聞いたことがありません。過剰な清潔観に警鐘を鳴らしている作品だとも思います。「色々な説があるよう」ですが、多少は汚れないと駄目なんでしょうね。




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