きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.9.19(金)

 15時から日本ペンクラブ電子文藝館委員会が予定されていたんですが、行けませんでした。午後から休暇をとって行きたかったんですがね…。新商品プロジェクトチームの会議があって、そちらを優先しました。会社員としては当然なんですけど、私にもう少し力があれば日程変更もできたろうに…。まあ、現実的には10人近いメンバーを予定を変えるというのは大仕事になってしまいます。定年までのあと5年はそういうジレンマに陥るんだろうなぁ。



  詩誌『帆翔』30号
    hansyo 30    
 
 
 
 
2003.9.15
東京都小平市
《帆翔の会》岩井昭児氏 発行
非売品
 

    シオマネキ    岩井昭児

             ここ佐賀県有明海泥浜の干潟(潮間帯)の住人シオ
             マネキ。初夏マッチ箱1/2ほどの何百何千とも知
             れぬ仲間が一斉にハサミを打ち振る様は壮観である。

   シオマネキは 潮を招くのかな
   赤茶色い 右手の(或は左手の)鋏を懸命に振りふり
   ほんとに潮を招くかな
   最後の一匹が穴からはい出して
   やっとこ鋏を天にかざすと あら不思議
   沖の方から上げ潮のさざ波が
   ピカピカ光りながらやって来る

   そうではなくて‥‥と学者先生はおっしゃった
   「これはオスだけの武器である
   喧嘩もするし 巨大な鋏を振り上げて
   メスの気を引いているのだ」 って
   ホントかね ウソではないらしいけど
   ハサミ これは体に似つかわしくなく
   全く見事なもの 近付いたメスも怖がるのでは

   俳句の世界では春の季語で
   《田打ち蟹》なんていうらしいけど
   外国では《
fiddler crab=ヴァイオリン弾き》
   と言うんだって その堅いハサミを座節の稜にこすりつけ
   何とも言えない玄妙な音を出すんだよ
   体全体が楽器なんだね
   それがメスにはしびれる程の魅力 というわけ

   シオマネキは 実はすごい目立ちたがりやで
   寂しがりやの詩人なのです 皆んな
   同じ様に見えるけど夫々色も形も
   振り付けだって個性的 「詩を招き」なんちゃって
   みんな天と海との狭間に生きる意味を問いながら
   ブツブツ呪文を唱えるのです
   だから 「死を招き」が本名なのかな‥‥

 有明海にはまだ行ったことがなく、まだ「シオマネキ」も見たことが無いと思うんですが「体全体が楽器」の蟹とは珍しいですね。「詩を招き」とは言い得て妙で、うらやましい。「死を招き」は願い下げですが、そこまで連想できるのはお見事です。小さな蟹に仮託した「寂しがりやの詩人」に作品と思いました。



  西川修氏著『西川修全集』
    nishikawa osamu zensyu    
 
 
 
 
2003.9.26
横浜市西区
福田正夫詩の会 編纂・制作
4000円
 

    知覧特別攻撃基地

   知覧町を南北に貫く道路は特別攻撃機が離陸した
   滑走路だった
   その機影は開聞岳を目印にどれも沖縄を目指して
   いた
   戦後五〇年≠フ活字が躍る今
   特攻平和会館で赤茶けた遺書や写真を目の当りに
   すると
   戦後と言うのは「敗戦」の粉飾であることが判る
   仏を供養して花びらを撒く「散華」も死の偽装だ
   子犬を抱いた少年飛行兵を囲んだ顔はどれもあど
   けなく笑っている
   その若い血も骨肉も空中に砕けた
   昭和二〇年 春 知覧高等女学校の生徒たちは
   桜の小枝を手にかざして見送った
   いつの時代も命より爆弾のほうが重い
   片道だけの燃料で海へ向かった若武者たちはいつ
   帰還できるだろう
   未だに顔を持てない祖国を恨んでいないだろうか
   特攻の勇士たちが出撃したメッセージを同じ世代
   に告げよう
    死ニタイ者ハ居ナカッタ
    自分ノ意志ヲ公ニデキナカッタ
   松林にある三角兵舎からでると
   薩摩半島から沖縄まで一本の航空路線が走ってい
   るのが分かる
   「ススメ ススメ 兵隊ススメ」 の文字を墨で塗
   ったものの
   置き去りにされた主権は人々に返されていない
   彼等が帰ることのなかった知覧の秋空を仰いで
   車中に戻った

 昨年9月に亡くなった西川修さんの全集です。560頁近い本は一周忌が発行日になっていて、関係者のご努力が伝わってきました。詩篇のみならず書評、論文を始め年賀状の文面、旅行の日程表まで載せられていて、西川さんの全人格を知ってもらおうとする意図も明白です。後世、西川修という詩人を研究する人にとってはバイブルとなるのではないでしょうか。

 紹介した詩は第二詩集『山塊』(1996年6月 福田正夫詩の会発行)に収録されている作品です。「いつの時代も命より爆弾のほうが重い」「未だに顔を持てない祖国を恨んでいないだろうか」などのフレーズにはドキリとさせられます。正義感の強かった詩人ではなかったかと、この1編からも窺い知れます。改めてご冥福をお祈りいたします。



  季刊詩誌『竜骨』50号
    ryukotsu 50    
 
 
 
 
2003.9.25
東京都福生市
竜骨の会・村上泰三氏 発行
600円
 

    蒼天    村上泰三

   びょうびょうと 風が渡る

   蒼く澄み切って
   雲のカケラもない天は
   底知れない不安を誘う

   探すぎて 広すぎて

   雲があるから
   天と 地上との距離を
   感じることができるのだ

   昼の半月が
   ぽっかり 浮かんでいた

 創刊50号です。13年をかけたとあとがきにはありました。あえて記念号としなかったのは、「同人誌というものは一号一号が区切りのつもりで立ち向かっているわけだから、その意味では毎号が記念号と考えてもよい」との理由によるようです。ただ、記録のとしては必要なので創刊号から49号までの足跡は記したともありました。確かに華々しいことは書かれていないのですが、村上泰三氏のエッセイ「誌名『竜骨』の誕生まで」は北川冬彦氏の『時間』を引継いだ経緯が書かれてあり、『竜骨』を理解する上では参考になると思いました。
 紹介した詩は、その村上泰三氏の作品です。「蒼天」の「底知れない不安」というおもしろい視点を描いています。この感覚が大事なんでしょうね。勉強になります。




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