きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.9.22(月)

 最近は取得する企業や自治体が増えていますのでご存知の方も多いと思いますが、国際規格のISOというのがあります。弊社も日本に導入された初期にISO9002というのを取得しました。その後、環境負荷を低減する14001というものも取得しました。これが実は大変でして、やると決めたこをちゃんとやっていれば何の問題もないんですが、なかなかちゃんと出来ないのが人間の集団なんですね(^^;

 年に一度ISO協会の正式な審査があるんですが、それに備えて社内審査員による内部審査というものがあります。今日がその日にあたっていまして、一日中緊張していました。案の定、私の管轄する製品もいろいろと指摘されてしまいました。前任者、前々任者がやり残していた仕事ですから、私が責められるということはなかったんですが、現在の担当者が責任をとらなければいけないのはどこの組織でも同じことです。正式な審査は11月、それまでに完璧にしておかなければなりません。当面の最重要課題となりました。



  伊藤雄一郎氏著『ゼロの系譜』
    zero no keifu    
 
 
 
 
2003.10.15
東京都新宿区
文芸社刊
900円+税
 

 読み始めて、あれ?読んだことがあるな、と気づきました。調べてみると昨年11月に『獣神』という文芸誌をいただいていたんですが、そこに載っていたんですね。ちなみにその時に書いた文章を再掲してみます。

《 伊藤雄一郎氏「0
(ゼロ)の系譜」は雄大なスケールで描いた家族の系譜を考えさせられる小説です。江戸時代の庄屋から続く大門一族の当主・徳次郎の生き方を通して、日本経済、日本の家族について考えさせられました。自分の役割は洋菜で成功した体験をもとにして、多くの子孫を残し、大門家を永劫に栄えさせることとエネルギッシュに活動する徳次郎に、次々と訪れる長男の、孫の死。希みとは裏腹に子孫を断たれた徳次郎の報復行動とは…。末娘との結婚を断られた「私」の意外な行動…。手に汗を握るスペクタクル、ミステリーという側面も見逃せません。久しぶりに小説を読んだなという気がして、一気に拝読しました。》

 おもしろくて、単行本になった本著も再度読んでみましたけど、新たな発見もありました。この小説は現代日本の抱えている少子化も告発しているんですね。そういう読み方をしてみると、社会批判の小説とも云えます。時間に追われて再読するというのは難しいのですが、本著はその時間を遣っても惜しくない本です。ご一読を、いや、二度三度と読んでほしい本です。



  坂多瑩子氏詩集『どんなねむりを』
    donna nemuri wo    
 
 
 
 
2003.9.27
東京都中央区
夢人館刊
1700円
 

    空っぽ

   そらという字はからっぽのから

   空はやはり空っぽなんだと思うと
   すこしばかり安心する

   しかし空っぽといっても
   たてとよこと高さがあるのだろうか
   底の部分は
   と考えていたら

   あしたはあけておいてほしいな
   空っぽにしておいて
   と電話であなたが言った

   いいよと答えた

   慣れてくると
   気づかないですむものがある
   何かが空っぽになる

   かるい
   とてもかるい空が
   するすると
   こころのなかに入ってきて

   いいよと答えた

 お名前は存じ上げていましたので、おや?と思いましたが、著者の第一詩集のようです。ご出版おめでとうございます。
 紹介した詩は巻頭の作品です。「空」「空っぽ」「あけておいて」と三態が無理なく組合された作品だと思います。「いいよと答えた」という繰返しが奏功して気持を強く表現できていると思いました。今後のご活躍に期待しています。



  詩とエッセー誌ATORI53号
    atori 53    
 
 
 
 
2003.9.15
栃木県宇都宮市
ATORI詩社・高橋昭行氏 発行
非売品
 

    11――イレブン――    神山暁美

   ぼくは出ない
   言いきることばに迷いはない
   あの試合は負けでした
   負けたのに出るのはおかしいと思います

   全国大会出場の夢をかけた延長戦
   相手チームのするどいシュート
   審判の動体視力の限界を超えた一瞬
   意思をもったように転がり出てきてしまったボール
   だが たしかに入っていた

   続行された試合
   PK戦でもぎとった執念の勝利
   いやこれはミスジャッジ 誤審による勝利だ
   だれもが認めながらも「結果は有効」のルール
   背番号に疑問がふくらんでゆく

   人という文字は 人と人とが支えあっている姿という
   人は ひとりでは生きていけないものともいう
   それでも ぼくだけは出ない
   きっぱりと言う十八歳

   エースストライカーの欠けたイレブン
   組み合った肩に体温がつたわってこない
   フィールドに落ちる影がゆがんだ円を描く
   そして チームは日本一へとすすむ試合に負けた

   正義が必ずしも正しいとはかぎらない
   闇米を口にせず餓死した
   あの裁判官は正しかったのか
   小次郎を待たせて勝った
   巌流島の武蔵は間違っていたのか

   両の腕をひろげても防ぎきれない敵陣の得点エリアに
   いま私もひとり
   ネットをふるわせ吹きぬける風に
   逆らいながら立っている

          ※平成十五年一月五日朝日新聞「エースの決断」より

 この事件≠ヘ知らなかったのですが、骨のある「十八歳」もいるんですね、感激しました。確かにそうやって考えると「あの裁判官は正し」く、「巌流島の武蔵は間違っていた」のではないかと思われます。まあ、正しい・間違いの検証は必要でしょうが…。この作品の眼目は最終連にあると思います。「いま私もひとり」が生きていると云えましょう。最終連でそれらの疑問を己に向けたことが詩としての広がりを持たせたと思います。




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