きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.9.27(土)

 銀座ガスホールのレビュー公演に行ってきました。親しくしていただいているシャンソン歌手・金丸麻子さんが出演するというので、ガラにもなく観劇となった次第です。いつもはソロコンサートが多いんですけど、最近はモダンダンスにも挑戦しているようです。芸の幅を広げるためには必要なことかもしれませんね。ソロとは違った面が見えて楽しい時間を過しました。
 11月は待望のソロコンサート。絶対行きます(^^;

 終って、銀座をブラブラ歩いていたら、前方から妙な男が歩いてくるのに気づきました。背が高くてがっちりした体格で、ちょっと日本人離れしている男、、、誰だろう、、、あっ! 弟だ(^^; 横浜に住んでいる弟が銀座を歩いていてもおかしくはないけど、妙な感覚に囚われましたね。向うもギョッとした顔で立ち止まり、人の流れを堰き止めての立ち話。1年振りぐらいですか、酒も呑まずに別れました。



  高石晴香氏詩集『たまごと砂時計』
    tamago to sunadokei    
 
 
 
 
2003.10.1
大阪府交野市
交野が原発行所 刊
非売品
 

    吐き出す

   もう他に呼ぶ人はいませんか?
   私たちにしか分からない光が奪われる時に
   一番言いたくないコトバ

   家人の動揺を目でとらえながら
   消えそうなこの人の数値をしっかり見る
   人生を全力で走ったかのような呼吸
   目は光を受けつけず無を見つめている
   やがて心臓が早くなり遅くなっていく

   あたってしまった 私たちの間でそう言う
   それは一つの業務

   清拭し穴にすべて綿を入れ寝衣を着せ
   化粧をする
   かいこのようにすっぽり包まれ
   寝台車に乗るこの人を見送る
   わずらわしいことが終わった
   ベッドが空いたから次の入院がとれる
   そう言って喜ぶ上司もいる

   臭いの残った部屋
   ベッドやシーツをきれいに片付け
   他の患者の部屋をまわる
   あの部屋の人どうかしたの?
   みんなが尋ねる
   私は笑いながら
   退院しましたよと平気で言う

 著者は若い看護師さんです。詩集タイトルの「たまご」は看護師のたまご≠ニいう意味でつけたのでしょうが、作品から想像すると「たまご」なんてとんでもない、人の生き死にを何度も体験している経験豊かな看護師さんだと思います。
 紹介した詩は、そんな仕事を端的に表現している作品です。私も6年ほど前に母を亡くして、看護師さんのお世話になりました。その時のことを思い出させる作品です。「私は笑いながら/退院しましたよと平気で言う」その裏で、看護師さんはどんな気持でいるのかが痛いほど伝わってきます。

 著者は10代で第1詩集を出し、今回は2冊目だそうです。社会に出る前の詩集というのも大事なものですが、やはり社会人になってからの詩集の方が広く深くなっているのではないでしょうか。今後の活躍が期待できる詩集だと思いました。



  三谷憲正氏著『オンドルと畳の国―近代日本の<朝鮮観>
    ondoru to tatami no kuni    
 
 
 
佛教大学鷹陵文化叢書9
2003.9.20
京都市左京区
思文閣出版刊
1800円+税
 

 日本ペンクラブ電子文藝館委員会でご一緒している著者よりいただきました。私の友人にも韓国人は少なからずいるのですが、彼ら・彼女らは日本に同化していますし、私自身は韓国に(というか、海外に)行ったことはありませんので、この本を読んでつくづく韓国・朝鮮を知らないのだなと思いました。隣の国でもありますし、日本文化の源泉という思いもありますから、TVで韓国の番組があると積極的に観るようにはしているのですが、この本は学術として特に日韓併合を主として論考していますので、いかに今まで表層的な面しか見ていなかったかを思い知らされました。

 序章の「オンドルとハングルの国にて」と終章の「『私』の温かい国――あとがきにかえて――」では、夫人の母国を訪ねる旅で接した公≠ニ私≠フ韓国人の違いについて言及し、これは日本に暮す韓国・朝鮮人からは知りえないもので、ちょっと驚きです。すなわち公≠フ韓国人は冷たい、自分の業務が中心で、お客さんである国民や旅行者の都合は考えないようです。しかし私≠ニなるとまったく反対で、過剰なほどの関りを持ってくる。この意識の違いはどこから来るかも本著から読み取れて興味は尽きませんでした。

 本章では、なぜ日本は日韓併合に至ったか、その当時の人々の意識はどんなだったかを雑誌『太陽』の記事を中心に論じられています。夏目漱石の「満韓ところどころ」も俎上に乗り、漱石文学を知る上でも貴重な論考と云えましょう。私にとっては文学・文化・学術という視点のみならず、日本と韓国・朝鮮の人間交流のバイブルとも云える著作になりそうです。



  詩誌『ERA』創刊号
    era 1    
 
 
 
 
2003.9.30
埼玉県入間郡毛呂山町
ERAの会・北岡淳子氏 発行
非売品
 

    追跡者    田中眞由美

    記憶を覗かれている

   塩基の配列を
   間違えたらしい
   狙ったマチエルは
   もう少しで
   できあがるはずだったのに

   倍率レンズの輪のなか
   スポットライトが眩しい
   所有していたはずの自分自身を
   見失っている
   核の哀しみは 羊水を潮り
   レッドマーダーに染まったまま

    傷として記憶されるだろう

   大腸菌は一瞬に
   マウスも捉まえた

   「畏れ」を「支配」にかえる最後のメッセージを
   蝶旋の房に植え付けるまで
   くり返し くり返し 置き換えつづける
   A・G・T・Cの四文字

   「完全な未来」を組み込むために
   くる日もくる日も
   かつて ひ・み・つ のはずだった場所を
   覗きこむ視線

    ぼくよりもぼくを
    知ろうとしている者が いる

      ※A アデニン・G グアニン・T チミン・C シトシン

 同世代の詩人16名による新しい詩誌です。私たちより上の世代には同世代の詩誌というのは多いのですが、私たちの世代では意外に少ないんですね。今後の日本の詩壇を引っ張っていく集団になるでしょう。発展を期待しています。
 紹介した作品は、もう一般的になっていますので説明するまでもなくDNA(デオキシリボ核酸)の詩です。DNAの構造を作品として良く表現していると思います。それを扱う側の人間の危険性も…。「ぼくよりもぼくを」よく知っている者が増えてくるのは確かです。それを思うとDNAの二重螺旋構造というのは、何か示唆的でありますね。




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