きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.9.30(火)

 9月もオシマイ、、、と11月8日の深夜に書いているのは実感がないなぁ(^^; 思い返してみると、9月もいろいろありましたけど、従来の生活と決定的に違っているのは日本詩人クラブや日本ペンクラブの集りには一度も行かなかったことですね。近年、珍しいことですが、それに反比例して会社の仕事に精出したのも珍しいかな(^^; 人間の持っている時間というのは限りがあって、文学活動の時間が少なくなると会社の仕事が増えるということになって、結局、ヒマという時間はないことに改めて気づかされます。生きてる間はそんなもんで、死んだら死んだで忙しいのは続くのかな。



  詩誌『交野が原』55号
    katanogahara 55    
 
 
 
 
2003.10.1
大阪府交野市
金堀則夫氏 発行
非売品
 

    げんじつ
    限日    宮内憲夫

   とほりと 疲れたならそのままに
   ほっこりと一服すればよいのだ
   無名をきままに暮らすがよい
   裏小細工で名を成した奴もやがては
   その足跡さへ群跡の中に揉み消える

   明治生命にも 朝日は昇るが
   朝日生命にも夕日は沈むのだ

 終連2行で思わず笑ってしまいましたが、ふと、何か重大なものを見落とした気がして読み返してみました。「限日」が引っかかったんですね。意味が判らない。さっそく二、三の辞書に当ってみましけど、載っていませんでした。ならば作品から意味を探るしかない。どうも日は限られているんだよ∞残されている日(生命)なんてそんなに無いんだよ≠ニ読み取って良さそうです。そうすると「裏小細工で名を成した奴もやがては」「消える」ことも、その反語として「無名をきままに暮らすがよい」というのもよく伝わってきます。終連2行も、ただおもしろいだけでは済まなくなってきますね。タイトルはおそらく作者の造語でしょうが、こういう読者の惹きつけ方もあるのかと感心した作品です。



  長谷川忍氏詩集『遊牧亭』
    yubokutei    
 
 
 
21世紀詩人叢書49
2003.9.20
東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊
1900円+税
 

    遊牧亭

   雅号というものの
   由来が、気になりましてな

   でもって
   諸先輩たちをあたってみますと
   ぞろぞろ出てまいります
   たとえば

   断腸亭に
   牡丹亭

   狐狸庵
   泥鱒庵に
   無想庵

   遅筆堂
   どくとるマンボウ
   なんてお方もいらっしやる
   (これって号?)

   それならば
   と考えた
   私はひとつ
   羊飼いに、なっちまいますかい

   できることなら仕事を全部うっちゃって
   遥かモンゴルの大平原に
   しけこみたいところ、だけれど
   まあここは
   日暮里で我慢しましょう

   なあに
   どこにいたって同じ
   美味しい水も
   豊富な草も
   おそらくは、羊もね
   ようは、それを追い求める私自身の
   姿勢
   心持ちのありよう

   浮き世と
   申します
   近ごろじゃ、世紀末
   いつの世も哀しいことが
   多すぎます
   人のさもしさは
   無くならない

   せめて今宵
   先輩たちのせつなる由来を
   ひもといたり、しましてな

 詩集のタイトルポエムです。「遊牧亭」と号する由来が書かれています。私は神奈川に住んでいますから「牧」が付く地名では横浜・本牧がすぐ思い出されて、最初はユウボクテイなのかユウモクテイなのか迷いましたけど、由来から考えると当然ユウボクテイですね。あとがきには「モンゴル」には行ったことがないとはっきり書かれていますので、この「遊牧」はまさに「心持ちのありよう」の具現化だと云えましょう。そういう意味でもこの作品は著者の基本的な「姿勢」を述べていると思います。「なあに/どこにいたって同じ」という気持で生活しているのでしょうし、詩も書いているのでしょう。詩集全体から受けるゆとりの秘密を述べている作品だとも思いました。



  詩誌『驅動』40号
    kudo 40    
 
 
 
 
2003.9.30
東京都大田区
驅動社・飯島幸子氏 発行
350円
 

    もう灰皿はいらないか    中込英次

   「角のタバコ屋でタバコを買って」
   こんなさりげない文章も書けなくなるのか この先
   おせっかい極まりない健康増進法なる法律が
   いつの間にかだれも知らない間に施行されていて
   駅も路上も会議室も食堂も一斉に禁煙の文字ばかり
   ある時肺結核の検査でレントゲンを撮られ
   ついでに肺気腫という病気も発見してくれた
   「タバコが犯人です」断定的に医者は言い
   タバコ犯人説の]線写真をご高説を加えて
   辟易するほど説明してくれた
   ガソリンやアルコール類の支払いと異なり
   この日本でただひとつ消費税を取らないのがタバコ
   その唯一の楽しみも奪われてしまうのか
   一四九二年コロンブスがタバコと出会う
   一六〇一年(慶長六年)フランシスコ会士が
   薬草としてタバコを徳川家康の病床に献上
   一六一二年(慶長一七年)タバコ全面禁止令
   一六一五年〜二四年(元和年間)再三タバコ禁止令
   二〇〇三年健康増進法の威を借りてタバコ禁止令
   タバコが身体に悪いという学説はともかく
   感情的タバコ排斥の気分を盛り上げさせたのは
   喫煙者のマナーの悪さが原因だ
   タバコを吸うことができない日本になってしまうと
   タバコ税の税収もなくなり予算も逼迫する筈なのに
   そのことには口を閉ざして触れようとしない
   酒をあまり飲めなかった漱石はタバコ大好き人間で
   我輩は猫や妨っちゃん三四郎でも喫煙場面を登場させる
   これからは文学作品にも絵画にも活動写真にさえも
   喫煙シーンは描写されなくなってしまうのか

 本当に「おせっかい極まりない健康増進法なる法律」ですね。一説には自衛隊の海外派兵と連動して、国民皆兵への下準備だとか…。「この日本でただひとつ消費税を取らないのがタバコ」というのは盲点でした。言われてみればその通り、消費税を払った覚えがありません。「一六一二年(慶長一七年)タバコ全面禁止令/一六一五年〜二四年(元和年間)再三タバコ禁止令」は知りませんでした。そんな昔から禁止令があったんですね、米国の禁酒令のように。とすると、これは絶対に禁止できないな、と安心して「灰皿」に吸殻を投げ込んでいます(^^;

 今号では周田幹雄さんの詩集『視力表』に拙文を書かせていただきました。目次では破格の扱いを受け、恐縮しています。改めてお礼申し上げます。




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