きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.10.4(土)

 初めて日本ペンクラブの京都例会に行ってみました。場所は南禅寺近くの「ゆうりぞうと洛翠」です。講演は米原万里さんが予定されていたんですが体調を崩したということで(後になって判ったんですが、母上が亡くなったんですね)、急遽、阿刀田高さんに変更になりました。米原さんの講演を楽しみにしていたんですけど、阿刀田さんの話もおもしろかったですね。短編小説の真髄を聞かせてもらいました。

 洛翠は庭が良いという評判だったんですが、こちらも期待を裏切りませんでした。琵琶湖を模したという池が見事で、しかも実際に琵琶湖から水を引いているとのこと。京都例会でも何人かの顔見知りがいて、彼らと一緒に池を愛でながら散策していると時間が経つのを忘れるようでした。はっきり言って気に入った例会です。東京の例会と違って屋外というのがいいですね。出されたお酒もまあまあ。冷酒の入ったグラスを片手に庭を歩くというのは最高の贅沢です。機会があったら是非行ってほしいですイベントです。



  詩誌『饗宴』37号
    kyouen 37    
 
 
 
 
2003.10.1
札幌市中央区
林檎屋・瀬戸正昭氏 発行
500円
 

    石を拾う   塩田涼子

   それにしても 何なのだろう
   路上に落ちている
   その石は

   落ちている場所の
   目印のように 落ちている
   その石

   筋も 模様も 斑点もない
   タイヤの跡も 消印もついていない
   灰色の ただの石

   ならば
   そこを通ろう
   その石を拾う
   その石を握る

   あとは野となれ
   日も暮れよ

   冷たい水に放たれた
   ササガキゴボウの香り

   はるばるとした
   クロアゲハの道を
   握る

   セミのヌケガラから生まれる風
   素早く現われて たちまち消える雲 を
   握る

   石が見た
   空 に沈む め め め を
   握る

 今号の特集は「塩田涼子の世界」。紹介した作品はその特集中のものではなく、通常の作品群の中に載せられていましたが、いい作品ですね。視点が最後に「石が見た」へ変っていくのがおもしろい。「目印のように 落ちている/その石」という感覚も新鮮ですし、「あとは野となれ/日も暮れよ」という突き放した感じもよく効いていると思います。たかが「灰色の ただの石」でこれだけのことが書けるのかと感心しました。

 今号から始まった代表者・瀬戸正昭氏の「健康日記」も楽しみです。他人の生活を覗き見るという楽しみ(^^; もありますが、詩作品を深く鑑賞するにはその人がどんな仕事をしていて、どんな生活でどんなことを考えているのかを知るのも重要だと思っています。表現を志す者には世間一般のプライバシーなんか無い、というのも持論なんですけど、それ以上に今後瀬戸正昭詩を読む楽しみが増えそうです。



  季刊詩と批評誌キジムナー通信20号
    kijimuna tsushin 20    
 
 
 
 
2003.10.1
沖縄県那覇市
孤松庵・宮城松隆氏 発行
100円
 

    鞄    宮城松隆

   毎日の勤務につき合わされ
   疲弊しきった大きな鞄
   大きな欠伸と共に思考停止
   ゴソゴソ音がする
   かまわずにコーヒーを喫る
   再びゴソゴソ
   鞄はチャックが開かれ
   不意に本が飛び出す
   机上の書類をメチャクチャにして
   独り歩き始める

   AさんBさんの机上を荒らす
   意味不明の言葉で語っている
   相手にもされず
   振り向きもされず
   鞄はチャックを開いたまま

   勝手に動く一冊の本
   あんた誰?
   ぼく『家畜人ヤプー』
   女権支配の世界を創造した
   男は全て女の奴隷
   エロシズム満載の世界
   ある部屋の女はオナニーにふけり
   ある部屋ではレズビアンたちの悦楽
   男権世界でのタブーは/
   全てエロシズムへと反転する
   鞄はチャックを開いたまま

   本は投げ捨てられ
   住まいを忘れ 発禁になる
   鞄はチャックを開いたまま

 なつかしい『家畜人ヤプー』の文字が飛び込んできましたが、60年代終りか70年代初めに一世を風靡していたと思います。あれから30年を過ぎて、再び回帰しそうなことを作者は感じ取っているのでしょうか。そういう意識で現代を考えてみると、外れていると言い切れないものを私もまた感じます。
 今号では宮城隆尋氏の「沖縄現代詩史論<上>」も良かったと思います。副題に「世代交代が行われなかったのはなぜか」とある通り、新聞投稿欄で詩が採り上げられていないことなど切口鋭い論を展開しています。今後も<中> <下>と続くのでしょう、楽しみです。



  清岳こう氏詩集白鷺になれるかもしれない
    shirasagi ni narerukamosirenai    
 
 
 
 
2003.10.1
東京都新宿区
思潮社刊
2400円+税
 

    おとこ塾

   墨痕あざやかな太い文字
   いったいぜんたい何を教える塾なのか
   みそ汁のだしの取り方 米のとぎ方
   釣りたての鰹のしめ方 猪の解体の仕方
   なんていうのもあるかしら
   そうそう 何といっても肝心なのは
   女との別れ方
   女に振りまわされない方法と法的基礎知識

   ある日 その看板をしみじみと眺めれば
      
   おこと塾 の文字
 
   私は自分の中の女性ホルモンをそっと呼んでみる
   ちょっと 出ておいで 隠れてないで

 これは私も勘違いしたことがあります。著者とは逆に、女性に「おとこ」のことを教える塾かと思いましたが。でも「女との別れ方/女に振りまわされない方法と法的基礎知識」、これは知りたいなぁ。
 それはそれとして、この作品は最終連がポイントだと思います。他の作品から著者が様々な手術を受けたことが覗えます。詩作品ですから必ずしも実生活と同じと考える必要はありませんけど、そういう背景も鑑賞の手助けとして良いと思っています。そんな生活の機微を描いた詩集と云えましょう。




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