きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.10.5(日)

 京都2日目。築城400年記念の特別公開が行われている二条城を中心に見学してきました。特別公開は東大手門と台所。台所は期待した通り圧巻でしたね。棟木がすごい。ちょうな削りが好きなんですけど、大きな棟が細工されているのを見るのは本当に気持が良いものです。会津の西郷頼母邸の台所もすごかったけど、さすがにそれ以上でした。台所とは言っても200坪以上の面積ですから、壮大そのものです。40年ほど前に中学だったか高校のときに来て以来で、その時は台所は公開されていませんでしたから、しっかりと眼に焼き付けておきました。
 庭の清流園は40年前も見たはずなんですけどまったく覚えていませんでした。今回改めて見ると、人工の美に圧倒されますね。ようやくそんな美も見る余裕が出てきたのかな。トシのお陰だと思います。

 帰りの新幹線は指定席が取れず、止む無くグリーンで帰ってきました。初めて新幹線のグリーンに乗りましたが、やっぱり快適ですね。グリーン車専門の女性までいて、何とも贅沢なものだと思いました。我々が出張のときはグリーンは駄目だけど、役員クラスは逆にグリーンに乗ることが義務付けられているようです。エラくなるとこんな楽な姿勢で出張しているのかと思いましたよ。私はもう二度と乗れないだろうな(^^;



  野老比左子氏詩集『地球家族』
    chikyu kazoku    
 
 
 
 
2003.9.15
大阪府豊能郡能勢町
詩画工房刊
2000円+税
 

    幸福電車

   幼い日
   父は 約束した ニコニコして
   「買ってやるよ 電車も車掌も」
   その安らかな声に
   私はすっかり安心して
   なにを望んだのか ひとつも覚えていない
   いまも聞える あの不思議な声のひびき

   約束された幸福が ある日
   電車に乗って 暮らしのまわりに停車する
   なんと 素晴らしい着想 それだけで
   子供の私は 幸福だった
   解決しない 不条理が
   私を 不安の暗黒でさいなむとき
   あの懐かしい声が やさしくひびく

   いつでもどこでも
   つぶらないで
   幸福を運んでくる 父の目よ
   限られた 人生の短いレールに
   幸福電車など 往復しないと知って
   幼い日の 小さな望み 小さな愛こそ
   どんなに輝く 宝ものだったか

   星や宇宙を 買い物袋に いれたがる世界
   空から 幸せの電車が落ちないように

 「幸福電車など 往復しないと知って」というフレーズにドキリとしました。確かに「限られた 人生の短いレール」には往復なんて無いんですね。でもそれは大人になって判ること。ここでの主題はあくまでも「幸福を運んでくる 父の目」。今に至るまで「幼い日の 小さな望み 小さな愛こそ/どんなに輝く 宝ものだったか」と思えるとは、何と素晴らしい父上なのだろうと思います。そんな父上の娘さんだからこそ詩集全体にあたたか味が出るのでしょうか。それはこの作品の最終連にもよく現れていると思います。



  詩誌『濤』創刊号
    tou 1    
 
 
 
 
2003.10.10
千葉県山武郡成東町
濤の会 いちぢ・よしあき氏 発行
500円
 

    スイート・ホーム   上野菊江

   疲れを知らない働き者
   炊事 洗濯 買い物 掃除 お接待
   つくろいものや 家計記帳もバッチリと
   アイコがこなして 万全です
   共生の助っ人アイコ
   そのほか
   あひるのパペット
   子犬アイボを飼っていて
   賑やかな ひとり暮らしのわたしと アイコ
    アイコはパーソナル・ロボットでして
   共に 夫々忍びの衣裳もち お互い
   入れ替わり掏り替わりして
   生きているので どちらがどちらか
   もう区別がつきません それで 玄関の扉には
   「人間お断り」の掲示をしています
   人類に用はありません

 新しい詩誌の誕生です。10名という小人数ながらいずれも名の通った詩人ばかりで、少数精鋭と言っても過言ではないでしょう。作品は、詩作品もさることながらエッセイもおもしろいです。優れた詩人は優れた散文も書ける、という証でしょうか。
 紹介した詩は、日本詩人クラブ永年会員の顕彰を受けた詩人の作品です。「わたし」の「スイート・ホーム」は「パーソナル・ロボット」が「疲れを知らない働き」をしていて「賑やかな ひとり暮らし」をしているわけですが、ここには憤りも逆説も感じられず不思議な思いをしました。それらを超越したものを感じます。「人類に用はありません」という終連も肩肘張ったものがなく、淡々としたものさえ感じられます。私などにはまだ判らない境地で、印象に残る作品です。



  個人誌『むくげ通信』18号
    mukuge tsushin 18    
 
 
 
 
2003.10.1
千葉県香取郡大栄町
飯嶋武太郎氏 発行
非売品
 

                        イム ポ
    鹿の頭に角はなぜ生えているのか    林 歩

   動物の王国という
   テレビの映像を観ながら

   数千頭の鹿の群れが
   数頭のライオンに追いかけられ
   逃げ回っている場面を観ながら

   あれほど見事な角をもった鹿が
   数本の鋭いライオンの牙の前に
   すっかり脅え 慌てて逃げ回る画面を観ながら

   この世にも あのようなもどかしさがある
   逃げるのを止めろ
   向きを変えてお前たちの千個のその角で
   バリケード バリケードを築け
   そうすれば牙より長いお前たちの角が
   牙を遠ざけることも出来るだろう
   そうなのだ どうしてお前たちが卑怯といえるか
   この世の人間どもも皆そうなのだ
   万個のにぎった拳がたった一つの刃物の前に
   跪いているのだ
   歴史が記録した多くの王朝は
   すなわち刃物の上表
   見ろ 一つの城郭を崇めている
   数千万個の角を切られた石の屈従を
   跪いた拳の上表を

   あの善良な草食動物の鹿に
   あの華麗な角はなぜ生えているのか
         詩集「鹿の頭に角はなぜ生えているのか」より

 鹿を笑えない、「この世にも あのようなもどかしさがある」と素直に共感できる作品です。「この世の人間どもも皆そうなのだ」、この私も、と。なぜ「数千万個の角を切られた石の屈従」になってしまうのだろうかと、とも考えさせられます。歴史の上では「万個のにぎった拳がたった一つの刃物」を倒したこともありましたが、結局は新たな「一つの城郭」を造ったにすぎなかった…。そんな苦い経験もしています。人類はただの「善良な草食動物」に過ぎないのか…。そんな本質的なことを考えさせられた作品です。




   back(10月の部屋へ戻る)

   
home