きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「クモガクレ」 |
Calumia
godeffroyi |
カワアナゴ科 |
2003.10.10(金)
関連会社で問題を起して、善後策検討のため茨城県の工場まで出張してきました。本来なら担当者が私のもとに出向いて説明するのが筋なのですが、現場を見て説明したいというので私が出張するという次第になったものです。それも腹立たしいものでしたが、工場に行ってもっと腹立たしい思いをしました。ミスの全てを作業者のせいにしているのです。もちろんミスをした作業者は責められるべきですが、私の眼からすればミスの誘因は管理者にある。管理者としてやるべきことをやっていないので、つい声を荒げてしまいましたが、うまく相手に伝わったかどうか…。
ミスそのものは大したことはなく製品の性能にはまったく関係ないんですけど、ミスに気づいたお客様は何と思うか、それが心配で、品質管理者の私としては公表すべきと上申しました。しかし営業判断でそれはやらないということに決まった背景もあります。ミスはミスとして明らかにし、お客様が知る前に公表するというのが企業の姿勢だと思うのですが、まあ、上部の判断ではしょうがない、受け入れました。でも発覚したら謝罪するのは私ですからね、ちょっと複雑な気持です。関連会社への指導といい、サラリーマンの限界を感じた一日です。
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2003.10.15 |
東京都新宿区 |
思潮社刊 |
2200円+税 |
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ランチ
動線上には、かわりばえのしないソバ屋だ。 ひるがえ
った暖簾に押され、一時を過ぎているにもかかわらず素通
りしてしまった。 にわかに曇りだした空がどんどん低く
なってきたので、つられて坂を降り続けたら、路端のメニ
ューの字面に吸い込まれたのだった。
「刀削麺」 というのは、ぐらぐら煮え立った湯の中に、
打った粉の塊を刀で削ぎながら、落としてゆでる料理だそ
うだ。 客はもうまばらで、店の中央を占める黒御影の大
きな楕円テーブルに案内され、右端に座る。 卓上にはひ
と抱えもある鈍色の壺が三つ、空中植物と交互にレイアウ
トされていて、向かいの席は見えない。
いちばん右の壺が膨らんでみせたので辺りを見回す。
誰も気づかなかったようだ。 ためしに手を突っ込んでみ
る。 固めのぐにゃり。 ひんやりとして、粘土だろうか。
ひとつかみ掘り出し、テーブルの下でこそこそ人の形な
ど造ってみる。 猿に近い。 テーブルに乗せると、とこ
とこ歩いて壺に戻っていった。
注文した麺がなかなか来ない。 椅子ごとすこしずつテ
ーブルの中央に寄り、左手をそっとのばして真ん中の壺に
手を入れる。 水だ。 粘土で汚れた指を洗う。 店の人
と目が合いそうになり、手をそれとなく引き抜く。 また
椅子ごとすこし戻る。
暇だ。 身を乗り出して右の壺の中を確かめる。 店の
中にいる全員の視線が集まる。 慌てて手を引き抜くと、
中身はヌバタマに変わっていて、指先が消えかかっている。
ヌバタマまみれなのだ。 とりあえず、いちばん左の壺
のなかへ手先を入れてごまかそうと、勢いよくへりに手を
掛けたら、壺が大きく裏返った。 どんどんヌバタマがあ
ふれだす。 フロア全体を覆って、薄黒くもやもやしてい
る。
壺の内側に貼りついて、じたばたしているのに気がつく。
へりをつかんだ指はちゃんと復活しているが、つるつる滑
るのをこらえながら振り返ると、足元がふくふくと沸騰し
ている。 見上げると黒い背景の中に、粘土のような白い
塊を肩に担いだ料理人が、すっくと立っていた。 じゃっ
じゃっじゃっじゃっ。 小刀でいきおいよく削られた麺が、
ぼとぼとと壺の中に落ち、沈んでは吹き上げられる。
むせ返るデンプンの匂いに、喉からヌバタマがこみあげ
てきた。 手に力が入らない。 いつもの冷やし狐狸そば
にすればよかったと思うのは、あとのまつりだろうか。
詩集タイトルの意味は、ツベルクリン反応検査の結果で陽性に近い反応が表れたもの、ということのようです。陰性ではない、陽性でもないけど陽性に近い、そんな著者の思いが込められていると思います。ちなみに「擬陽性」という作品はありませんでしたから、詩集全体でそれを表現したものと云えましょう。
紹介した詩は、そんな著者の思いが端的に表現されていると思います。決して陰性ではない、かと言ってノーテンキな陽性でもない。どちらかと言うと陽性に近い、まさに「擬陽性」な作品です。なかなかおもしろい感覚です。特に最終連の「いつもの冷やし狐狸そば/にすればよかったと思うのは、あとのまつりだろうか。」という言葉が効いていると思います。
著者の第一詩集です。現代の感覚で武装した新しい詩人の登場を祝します。
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2003.10.25 |
東京都小平市 |
木々の会・鈴木
亨氏 発行 |
700円 |
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足の男 所
立子
部屋に馳け込みざま
ズボンを脱ぎ捨てた男の足は
二本ともピノキオのような木の足だった
男は片方の足をやにわに引っ掴み
ヤッとばかりに引き伸ばした
グキリと鳴って関節が倍ほどに伸びる
もう片方もグキリ グキリと引き伸ばす
膝丈ほどに短くなったズボンを穿き
廊下の突き当りまで馳けていった男は
並んでいる部屋のドアを片端から
バタンバタンと手荒く開閉して
執拗に誰かを探している様子
最後にバタンとひときわ大きな音を立てて
ドアを閉じると
不意に振り返ってこちらを見た
ハッとしてかくれようとしたが間に合わない
「見たな!」
というが早いか
ニョッキリ伸びた二本の足が
全速力でわたしを目掛けて走ってきた
走りながら
ポキリポキリと自分の足を折り取っては
つぎつぎに投げつけてくる
飛んでくる木片を
飛び上り飛び上りして避けながら
わたしはいっさんに走り続けた
もう心臓が破れそうだ
おもしろい作品ですが、何かの喩でしょうか、正直なところそこが良く判りません。仮に夢としてしまえばそれで済んでしまいますけど、どうもそのようには感じられません。「ピノキオのような木の足」「関節が倍ほどに伸びる」「自分の足を折り取っては/つぎつぎに投げつけてくる」あたりがキーワードで、「わたし」はあまり表に出てこない。その辺が解読できればこの作品のおもしろ味が倍加するのでしょうけど、私の能力を超えているようです。
うまく説明できませんけど、でも、おもしろい。言葉も洗練されていると思います。おそらく詩集になって他の作品と読み比べると判るのかもしれません。妙に気になる作品です。
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2003.9.30 |
千葉県香取郡東庄町 |
東総文学館・山口惣司氏
発行 |
700円 |
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チェ スンボン
洗足図 崔 勝範
洗足図「訳者解説」 古い時代、野遊びの一つに浅瀬で足を
浸しての戯れがあった。貴人や一般の人を問わず、山野
での遊びは健康そのものであったろう。チマをそっと持
ち上げお色気さえ漂わせる開放的な遊びは「洗足図」と
して多く描かれているらしい。
尾の短い小鳥が巣を抜け出して
透き通る水辺に
足を下ろした
ごらん
羽の一本一本に
力がみなぎって
とても元気がよさそうだ
木々の間に
風が香り
星を砕いたように
光っている
露草の水で喉を潤すと
ぱくんと開いた空から
歌声が溢れてくる
足先をくすぐっていた
オイカワもメダカも離れて行った
肌がうっすらと汗ばみ
足元もけだるそうだ
と その時
白昼夢のように
遠い昔の
「洗足図」が甦ってきた
(山口惣司
訳)
美しい詩だと思います。「尾の短い小鳥」は文字通り小鳥とも読めますし若い女性のようにも読めます。その双方をダブらせながら読むのが本当かもしれませんね。韓国語を勉強して4年という訳者が辞書と首っぴきで翻訳したそうですが、原語は判らないものの立派な翻訳になっていると思います。それにしても美しい作品で、訳者としても楽しかったのではないかと想像しています。
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