きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.10.11(土)

 家屋調査というのを総務省だったかな?がやっていて、今回はわが家が該当してしまいました。別に断る理由もないので、今朝、取りに来た調査員に渡しました。調査員とは言っても近所の、よく知っている人です。臨時の公務員ということになるんだそうですね。
 家屋調査は5年に一度ぐらいやっているようですが、5年前、10年前に比べるとずいぶん変ってきているだろうなと思います。まだまだ兎小屋、マッチ箱は多いんでしょうけど、都会はともかく田舎ではだんだん大きな家が増えているように思います。子供が減った分、家にまわせるお金が使えるということなのかな? なんか本末転倒のような気がしますけど、どんな調査結果が出るやら、参加した一員としてはちょっと気がかりですね。



  詩誌SPIRAL LINE18号
    spiral line 18    
 
 
 
 
2003.10.20
横浜市緑区
大瀧修一氏 発行
1000円+税
 

    冬の遺失物    中上哲夫

   公園の遊歩道で身を寄せ合っていた落葉たちを
   ひろい集めてきて
   机の上にならべた
   そして
   図鑑片手に
   一枚一枚同定していった
   桐、榎、欅、楓、柿、桂、桜、桜……
   二十年前
   北米中西部の大学町の学生アパートの部屋で
   同じことをしていたのを思い出した
   (世界にもぼくにも夢があった時代さ)
   ぼんくらなぼくらは
   しばしばだまされてしまうけれども
   曙杉といい
   ヒマラヤ杉といいながら
   ほんとうは松なのだ
   理科クラブの生徒のように
   すこし観察をつづければわかることだが
   メタセコイヤは齧歯類の糞のような
   松毬をころころと地面にころがし
   ヒマラヤ杉は茶色の鱗片を
   木の上からぱらぱらばら撒いた
   (最後にばらの花のような芯を落とした)
   かくて
   新しい世紀に入ってもふさぎがちのぼくらの心を
   冬の遺失物たちが
   ぽっと灯してくれたのだった
   クリスマスツリーの豆電球のように

 1980年代というのは、ある意味では夢のような時代だったのかもしれません。「(世界にもぼくにも夢があった時代さ)」というフレーズで、当時を思い出しました。その反動として「新しい世紀に入ってもふさぎがちのぼくらの心」があると云えましょう。でも、作者の強みは「冬の遺失物たちが/ぽっと灯してくれたのだった」と前向きに見ていることにあると思います。「ぼんくらなぼくらは/しばしばだまされてしまうけれども」そんな気持だけは失いたくないな、と改めて感じた作品です。



  竹下義雄氏詩集『片っ方の手袋』
    katappo no tebukuro    
 
 
 
 
2003.10.10
東京都板橋区
待望社刊
2000円+税
 

    片っ方の手袋

        ――新聞配達――

   呼び止められた
   だしぬけの交番前
   「坊や、片っ方だけど
    これをあげる」

   素足も凍り
   合わない歯根
   失語症になった僕は
   もらった手袋を
   あかがりの手にはめる
          
くる
   宇宙が十一歳を包む
   始めて知った人の情

   僕の中の羅針盤は
   このとき
   一つの進路を目指した

              ※あかがりはあかぎれのこと

 著者の第一詩集です。警視庁の警察官だったそうです。紹介した作品は詩集のタイトルポエムですが、警察官という「一つの進路を目指した」由来が描かれています。「交番」の警察官はいつも「十一歳」の「僕」を見ていたのでしょうか、地域に溶け込んでいた「交番」を思い出します。今の警察官はやることが多すぎるようで、なかなか居ませんけど…。あかぎれというのも懐かしいですね。「合わない歯根」なんて経験を今の子はしたことがないんじゃないでしょうか。
 詩集は警察官らしく事件を取り扱ったものもありますけど、いずれもやさしい眼差しを感じました。ご出版おめでとうございます。今後のご活躍を祈念しています。



  田中勲氏詩集『迷宮を小脇に』
    meikyu wo kowakini    
 
 
 
 
2002.10.20
東京都新宿区
思潮社刊
2200円+税
 

    冬の耳あるいは猫撫で声

   冬の夜は、
   耳の底に吹き溜まる
   空の音譜がある、銀の音色である、凍える銀の
   鈴の音である
   鈴の音に、誘われたひとが
   ひっそり地上に帰ってきては
   白い椿の木の根方に
   思いの丈の怨みを埋めていくのだと
   言ったひとは帰って来ない、
   銀の音色に誘われて、
   夜の耳がのびる
   ……
   「耳無し芳一」の切り取られた耳の話だったか。ラフカディオ・ハーン『KW
   IDAN』の「耳無し芳一のはなし」の英文を辞書と首っ引きで予習しながら
   震えていた頃。暗い窓硝子で自分の耳の形を確かめながら。紫蘇の葉のような
   耳。茸のような耳。海月状の耳。琵琶の溌に似た耳。それとも孫悟空のとんが
   った耳。一体芳一の耳はどんな形をしていたのかと。走り書きに夢中だった。
   ……
   夜の耳がのびて
   影は猫の世界にまた一歩近づく
   日々、爪が伸びる、白髪がふえる、背骨が丸くなる
   舌も小さく痩せて
   ホットミルクを流し込みながら咳き込んでいる
   私を想像しながら、
   明日の音譜を聞き分けている
   「なんで猫は十二支にはいっていないの?」
   いきなりのメールは小学生の甥である
   「わからん」と書いて送る
   ごめん、そのうちわかる日が来るだろうから
   近ごろはわかっても「わからん」に統一している
   冬籠るわたしの部屋には
   わからないことがごろごろしている
   七〇年代のピンク・フロイド、イエス、クリムゾンのように
   ロックを超えるはずのロックの悲しい残響が
   猫の首の鈴の音のように震えている
   手におえない幻覚の鈴の音が、
   あらゆる種類のサプリメントが転がっている
   毒にもならない薬を抱えこんでいる
   近代の冬に吹き溜まる薬の浪費、空の音譜に、
   冬の耳がのびて、
   ……
   海馬補腎丸。汗斑酊。活絡健歩丸。強力八ッ目鰻キモの油。銀翹解毒丸。血府
   逐痰丸。降圧丸。参茸薬酒。至宝三鞭丸。十全大補酒。精華黄連解毒丸。精華
   槐角丸。精華香砂養胃丸。杞菊妙見丸。精華牛車腎気丸。精華鼻炎丸。清肺治
   喘丸。太上安宮丸。知柏壮健丸。中国感冒丸。天王補心丸。当帰養血精。冬虫
   夏草。風失濕舒筋丸。複方土槿皮丸。蘭州金匱腎気丸。八仙宝寿丸。潤腸丸。
   原料や効用は知らないが妙薬の力が漲っている。これも漢字の力だろう。
   ……
   宇宙波の画像がふぶく夜は
   屋根上の耳も凍えているのであるか
   画面の奥から、
   おいでおいでと誘う手がある
   さっと手のひらを返す、あやしい手先があったりする
   犬の忠実さに比べられるのは不本意だろうか
   たとえば伝統的な短歌、短歌と別れて、
   しぐれに打たれたうしろ姿が淋しかった俳句、俳句が
   いまは地球を駆け巡っている、孤独な詩のことばを尻目に羽ばたいている
   俳句や短歌と断絶している、断絶にこそ、
   詩という生きものに、
   私の自由があるのだろう、不自由が更にあっても、
   いつもやさしくみえる人間に限った
   残酷な拒絶の美意識や、排除の方法は数え切れないがそれでも、
   ひとを人とも思わない猫に、猫の読者には多分勝てない
   猫には猫の美意識があるのか
   猫なで声だけの、謙虚な馬鹿になりきれなくて
   くらい贅肉を削ぎ
   私は恋する猫の世界に近づくことばかり考えていた、冬の夜は
   銀の音色に誘われて、
   ……
   「なめ猫」は何処へ消えたのか。
我輩は猫である』のすぐれた叡智もユーモア
   もなければ『猫は知っていた』の繊細で鋭敏な感受性もない。まして『三毛猫
   ホームズ』の鋭い瞬発力や持続力など望めそうもない。夢中で読んだ「北村太
   郎の愛猫」の詩も壮絶な「入江たか子の怪猫」の映画も吹雪の彼方で誰かのた
   めに瞬いているのではない。旧い世界の通俗的な耳は宙の音譜を逃がさないた
   め。それとも、ミサイル弾道弾の先端の震えにさえ敏感に反応するためか。ふ
   ぶきはひとを凶暴にする。
   ……
   耳の底に吹き溜まる、
   空の音譜がとぎれるまもなく
   あ、稲妻が走る
   白い椿の根方に
   とつぜん屋根雪が轟音をたててなだれこむ
   うわべばかりの人間の足音が
   つっと近づいて来る

 雪国に住んでいたのは、もう40年以上も前のことですから忘れていましたが、「冬の夜は、/耳の底に吹き溜まる/空の音譜」「銀の音色」「凍える銀の/鈴の音」があったことを思い出しました。静かに降る雪、あるいは吹雪の夜をこのように表現しているのだと思います。「近代の冬に吹き溜まる薬の浪費、空の音譜に、/冬の耳がのびて、」という表現もおもしろいですね。「猫」と「冬の耳」の関係はあまり考え過ぎない方が良いのかな、と思います。表面からちょっと掘り下げた程度で考えた方がこの作品の本質に迫れるのではないか、とも思います。
 正直なところは、この作品を含めて詩集全体の作品にどこまで迫っていけるのか心もとない気がしています。かなり難しい詩集です。でも、表面的な捉え方でも紹介した作品のように充分楽しめるのです。不思議な詩集だと思いました。



  会報『栃木県詩人協会会報』15号
    tochigiken shijin kyoukai kaiho 15    
 
 
 
 
2003.10.10
栃木県芳賀郡茂木町
森 羅一氏 発行
非売品
 

    どこかで春が   岡田泰代

     《つまみ絵》

   芽吹いた季節を薄絹にたたみ込んで それは
   赤児の頬のような梅の絵に仕上がっていた
   指先でつつくと香りが漂いそうな
   花粉がこぼれそうな……
   小生意気に口を尖らせた鶯が羽を寝かせて
   折れそうな枝に掴まっている
   梅を独り占めにしている鳥の眼に
   軽い嫉妬を起こすと
   たちまち八号の額に嵌め込まれてしまった

 5月に開催された「詩のオブジェ展」の記事が大きく占めていました。私も観に行きましたから懐かしかったですね。「来場者メッセージ」には拙文まで載っていて、ずいぶん傲慢な書き方をしているなと反省しています。
 紹介した作品は「会員の作品」として載っていたものです。「どこかで春が」という総題にもとに3編の作品が収められていました。紹介したのはその冒頭の作品です。「鶯」を「小生意気」と見ている点、それを8号の絵にしてしまったというところがおもしろいと思いました。いかにも「どこかで春が」という雰囲気の作品ですね。



  隔月刊詩誌『叢生』128号
    sosei 128    
 
 
 
 
2003.10.1
大阪府豊中市
叢生詩社・島田陽子氏 発行
400円
 

    美女と野獣    姨嶋とし子

   美女が巷を行く
   お臍が出てる
   そのうちお尻も出るんだろ
   いやもう出てるか Tバック
   ところでそのお尻
   縞馬のお尻とどっちがきれい?
   決っているよ 縞馬だ
   どのみち人間の裸なんて
   なんぼのもんでもないんだから

   それでも美女たちは脱ぎたがる
   ヘアー写真 だとか 何だとか
   いっそすっぱり裸になったらどうだろう
   その方がすっきりさっぱりするんじゃない?

   ん?
   裸になったら寒いって?
   いいよそのうちマンモスみたいに
   毛が生えてくるだろうから
   尾底骨だって延びてくるかもね
   声もだんだん動物じみた吠え声になり
   喧嘩
(いさか)いすれば牙をむいて咬み合うんだ
   まあその方が原爆使うよりは
   ハタ迷惑にならないだろうから

   今日も美女たちは巷を行く
   美女の姿に野獣の姿を
   オーバーラップさせながら

 今までの常識では「美女と野獣」は対立するものだったのですが、この作品では美女=野獣となっていて、その発想がおもしろいと思いました。しかも最近の「美女」たちを見ると確かに「声もだんだん動物じみた吠え声にな」っていて「喧嘩いすれば牙をむいて咬み合」いますからね。それでも「まあその方が原爆使うよりは/ハタ迷惑にならないだろう」というのですから、作者の皮肉も堂に入っています。最近「美女」にモテなくなっているオヤジとしてはとても共感した作品です(^^;




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