きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.10.15(水)

 私の会社員としての仕事は、製品の品質管理・品質保証です。もちろん弊社の製品全てを担当しているわけではなく、限られたごく一部なんですけど、それでも大きな分野は三つ、商品名としては100を下らない数になります。それを売っている営業担当者は分野別に数名います。こちらは1名、相手は数名ですから、その対応だけでも大変なんですが、今日はそのうちの4名がやって来ました。入れ替り立ち代り、最終的には4名が勢ぞろいして私の机の前に立ちました。結局その全員と個別に打合せをしたことになるんですけど、最後にはいささか疲れましたね。そうか、オレって、たったひとりでこの連中を相手にしているのか!と思いました。どうりで忙しいわけだ(^^;

 その営業マンの向うには何千・何万というお客さんがいることになります。私が直接お客さんと接する場面は少ないんですけど、彼らの顔を見ていると、接したことのあるお客さんの顔が浮かんで来ましたね。入社以来、技術畑が長かったのですが、今の仕事に換わって1年、ずいぶんと私の意識も変ったなと思います。ムサイ男どもを前にして、そんなことを考えた1日でした。



  詩誌『鳥』41号
    tori 41    
 
 
 
 
2003.10.10
京都市右京区
洛西書院・土田英雄氏 発行
500円
 

    塗る    元原孝司

   言葉をシンナーで薄めて
   三度重ね塗りをした
   その上を布でこすって艶を出すと
   うそは輝いてとても美しかった

   三年たつと
   ところどころ色あせはがれてきた
   雨が滲みこみ始めたので
   後悔を涙で薄めて
   三度重ね塗りをした
   うそは前よりも黒く輝いて
   雨も真実もはじきとばした

   そのまま
   十年が過ぎた
   黒い染みとなったうそは
   小さな緑色の真実に覆われていた
   もう塗ることができなくなったので
   真実を涙で薄めて
   ジョウロで毎日かけることにした

 「うそ」が年月を経るとどのようになるのか、おもしろい視点の作品だと思います。第1連、第2連はすぐに想像できる範囲、あるいは私でも何とか創れそうな発想ですけど、最終連はさすがに及ばないだろうと白状します。「うそ」と「真実」の関係が見事です。「黒い染みとなったうそ」が「小さな緑色の真実に覆われ」る、「真実を涙で薄めて/ジョウロで毎日かける」なんて表現はなかなか出来ないものだと思いますね。作者の柔軟な思考とがっちりとした構成力に脱帽です。



  詩・創作・批評誌『輪』95号
    wa 95    
 
 
 
 
2003.10.10
神戸市兵庫区
輪の会・伊勢田史郎氏 発行
1000円
 

    不遜の人    倉田 茂

   「自分の心を膨らませた旅なら きっと
   他人の心を膨らますこともできるだろう」
   書く人がどきどきするのは
   そんな思いをいだいたときです

   センテンドレと呼ぶドナウ河沿いの丘の上の町で
   木製の絵皿をひとつ買いました
   おばあさんが窓辺に吊して売っていた
   セルビア風のこの町が描かれた皿を

   ありがとう 彼女の笑顔が亡き母に重なります
   ブダペストで見かけた堅い表情もここにはなく
   素朴な挨拶ゆきかい 同じハンガリーでも
   孤立したマジャールという趣はないのです

   黄や白や橙色の家並み たわわなさくらんぼ
   一日をあるがままに受容しているかのような静謐
   「もしかしたら不遜なことではあるまいか
   他人の心を膨らまそうなどと企てるのは」

   とうてい平坦とはいえない歴史を生きぬいた
   この国のいたるところ 民族の光と蔭が層をなし
   旅のあいだ中どきどきしている 書く人は
   やはり不遜の人です

 「一日をあるがままに受容しているかのような静謐」を持つ「セルビア風のこの町が描かれた皿」を見て「不遜」の概念が変化していくという作品ですけど、グングンと思考が深まっていくのが判って、考えさせられますね。「書く」ということがどういうことなのか、作者はその本質を知っているのだと思います。私はまだ判っているようで本当は判っていないのだなと、この作品を拝読してつくづく思いましたね。
 倉田茂という詩人は、お逢いしたこともない方なんですが好きな詩人です。作品を拝見するたびに、そんな文学の本質を教えられるのです。やさしい言葉、あたたかい文体の中に本質を語る、稀有な詩人と云えましょう。



  詩誌『火皿』103号
    hizara 103    
 
 
 
 
2003.9.30
広島市安佐南区
火皿詩話会・福谷昭二氏 発行
500円
 

    だんご虫    荒木忠男

   婆の背中が丸くなってゆく
   年々歳々だんご虫のかたちに似てくる
   手押し車と杖で己の歳を支え
   土をなめるように歩いている

   みっともないから背を伸ばせ―
   爺はくしゃみと鼻をかみかみ叫んでいる
   爺の苦も背負いこんでいるのに
   それ以上は言われない

   婆はいつも足を引き摺
(ず)っている
   足裏に魚の目をいっぱい貰って
   どんな種子を蒔いたのか
   芽は薹
(とう)が立つかに頑固で離れない

   婆は魚属に回帰しているのか
   魚の目は踏み潰されまいと抵抗して
   いたいいたいと
   婆の口から悲鳴を上げている

   健康のためとか何とか言ってまだ
   この世を未練がましく泳ごうとしている
   鰭
(ひれ)も浮輪も持ち合わせないで
   海にも河にも泳げない様なのに

   年季のはいった強情の意固地で
   きょうも泳ぐように朝光
(あさかげ)に挑戦している
   だんご虫のように背を丸めて

 「年季のはいった強情の意固地」の「婆」を作者があたたかく見ていることが伝わってくる作品です。それは「爺の苦も背負いこんでいる」のが判っているからかもしれません。「足裏に魚の目をいっぱい貰って」いることまで知っているのですから、作者に近い人なのかもしれません。詩作品ですので作者の私生活に直接結びつける必要はありませんけど、創作の域を越えているものは感じますが…。いずれにしろ、いつまでも「この世を未練がましく泳」いでいてほしいと読者に感じさせる作品だと思いました。



  詩と童謡誌『ぎんなん』46号
    ginnan 46    
 
 
 
 
2003.10.1
大阪府豊中市
ぎんなんの会・島田陽子氏 発行
400円
 

    頭からゆげが出る    柿本香苗

   ドッチボールが強くてテストの点がよくて
   足が速くて本もたくさん読んでいる
   くやしいくやしい
   あの子をみると 頭からゆげが出る

   なんでもできるのにちっともいばらない
   一人でいてもキリッと前をみている
   くやしいくやしい
   あの子が笑うと くやしいよ

   どうしてこんなにくやしいんだろう
   くやしがるわたしが
   なさけなくてまたくやしくて
   ギャオオー さけびたくなる

   今日も頭からゆげが出る
   なのに
   どうしてあの子と 友だちなんだろう

 誌名の通り同様や子供向けの作品が多く収録されています。紹介した作品のその一環なのですが、とても子供向けとは思えませんね。おそらく小学生を登場させていると思うのですが、これは子供に限らず大人の世界でも同じことが言えるのではないでしょうか。もっとも、基本的には子供も大人もあまり変ったところはないので作品はどちらでも読めるというのはあり得ることです。むしろ、この素直さは大人が見習わなければことでしょう。歳を経ることで捨てたものがいかに多いか、そんなことを考えさせられた作品です。




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