きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「クモガクレ」 |
Calumia
godeffroyi |
カワアナゴ科 |
2003.10.24(金)
15時から日本ペンクラブの電子文藝館委員会が予定されていましたが、行けませんでした。同じ時間に新製品の開発打合せがあって、やはりそちらを優先せざるを得ませんでした。電子文藝館の方は私がいなくても支障はありませんけど、打合せの方はそうはいきませんからね。現役のツライところです。定年まであと5年弱、それまではこんなジレンマが続きそうです。
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2003.11.1 |
大阪府交野市 |
交野が原ポエムKの会・金堀則夫氏
発行 |
非売品 |
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実体 美濃千鶴
ワタクシが雲を動かした
とその男が言ったので雲は仰天した
ワタクシの念力で雲は動いたのダ
雲には身に覚えのないことだが
男のことばを信じた人間もいた
流れる雲 風の声
遠くに見える
緑の揺らぎ
意思の力で動かないものは
受け入れられず
空を見上げることもない
人間の時間割
そこで雲の方から地を見下ろせば
子供部屋の壁紙にも
ハイジの山小屋の上にも
孫悟空の足もとにも雲はあった
けれどもそれは雲にとって親でもなければ孫
でもなく
気象予報士の指先に広がる天気図さえ
人工の星が描いた地図
たまりかねて飛行機の窓から顔を出せば
あれは水蒸気でできたガスだと
子どもたちは言う
だから雲は意を決して
降りることにした
本物の雲を確かめるために
そして本物の雲を見せるために
だが
雨になった雲を
もはや雲とは誰も、呼ばない
「雨」の「実体」は「雲」という作品で、それに対する「子どもたち」の反応などがおもしろいのですが、私はむしろ第1連、2連に注目しました。「ワタクシの念力で雲は動いたのダ」と言いそうな人、「男のことばを信じた人間もい」ますよね。段々だんだん、世の中がそんなふうになっていって、作者はそれを敏感に感じているのではないかと思います。「意思の力で動かないものは/受け入れられず」というフレーズも気になりますね。私も意外とそういうところがあるのではないかと思っています。「実体」というものの本質を考えさせられた作品です。
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2003.10.20 |
大阪府豊能郡能勢町 |
詩画工房・志賀英夫氏
発行 |
600円 |
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春枝さんのこと 北村愛子
パリで旅行中に倒れたあなたは脳腫瘍でした
コバルトを照射したので髪が抜け落ちて
39歳のあなたが丸坊主
ながい療養生活があって
病気が溶解したあなたは
「かつら」をかぶり
中学の家庭科教師として復帰したのです
廊下で元気よくぶつかった勢いで
「かつら」がふっとび
そこに丸坊主のあなたが立っていました
びっくりした中学生は
「丸坊主」「丸仏功主」とはやしたてたのです
その時あなたは言いました
「丸坊主になった人間の悲しみがわかりますか?」
その日から「かつら」をかぶらず
中学生たちに面とむかって立ったとき
誰ひとりはやしたてる人はいなかったのです
まもなく再び病に倒れたあなた
すでにおきあがる力はつきていました
あなたを思い出す時
あなたの太い濃いまゆげと
つぶらな優しい目
一緒に子育てを励ましあった
手のぬくもりが今も
わたしの手の中に残っているのです
「春枝さん」への鎮魂歌ですが、「丸坊主になった人間の悲しみがわかりますか?」というフレーズに感動しました。そうやって立ち向い、教育した「春枝さん」は立派な教師だったのだろうなと思います。そういう意味でも「春枝さん」という人間像が生き生きと描かれている作品と言えましょう。そんな「あなたを思い出す」「わたし」もまた、「ぬくもり」のある人なんでしょうね。元気をもらった作品です。
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2003.10.20 |
埼玉県所沢市 |
ポスト・ポエムの会
伊藤雄一郎氏 発行 |
非売品 |
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四行詩集
無視された虫たちの歌 伊藤雄一郎
毛虫
夢の中に出てきて
いつもうなされる
毛むくじゃらの大男の切られた
小指
蜂
企業戦士のように
毎日あちこち飛び廻っている
何故か我らに似ているようで
おかしく そして哀しく
百足(むかで)
頼むから変な気を起こさないでくれよ
お前が靴屋に行き
それぞれの足に合う靴を注文したら
どうなると思う? パニックだぜ!
今号は短詩特集でした。1行詩、2行詩、4行詩と多彩な中で紹介したのは、10編の4行詩の中の一部です。ユーモアがあって、ホッとさせられました。特に「百足」は笑ってしまいました。こんな詩があってもいいですね。「後書き」にもありましたけど病や死別の作品も大事ですが、明るい詩も必要でしょう。実は明るい詩というのは難しいものだと思っています。下品になってはいけないし、バカ騒ぎのような作品は見たくもありません。紹介したような作品なら大歓迎ですね。
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2003.11.1 |
大阪市北区 |
編集工房ノア刊 |
2000円+税 |
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私の中を流れる川について
一滴が絶えることなく海へ流れていくように
人の中にも一すじの流れがある
たましいの亀裂のその傷口で
ちろちろ流れる川を見つける
朝の光が戸の隙間から射しこむ
一すじの光に似ている
閉ざされる身の内から
せせらぎの音が聞こえてくる
雪がしんしんと降る
凍る川に白い花が積まれる
時間という流れに
愛という碑の上に
いつかすべてをのみこんで
生まれたところへかえっていくのだ
川の源流を訪ねて旅した日
女のように揺れていた樹
男のように背を伸ばした樹
それらの葉の間から
次から次 滴り落ちていた雫
無数の眩しい光る玉は
限りないいのちの根源のように
私の眼前で舞っていた
掌にほとばしった水の感触
しみとおって背や腹へ
そのときから
人の中を流れる川の存在を
どんな風に
あなたに伝えればよいのか
考えている
娘よ
詩集のタイトルポエムです。「流れる川」と「人の中を流れる川」を重ねた見事な作品だと思います。その流れは「一滴が絶えることな」いのですが、「いつかすべてをのみこんで/生まれたところへかえっていく」もの。つまり、個としては絶えるが「流れ」としては絶えることがない。それは「たましいの亀裂のその傷口で」「見つける」ことができるもの。それを「どんな風に/あなたに伝えればよいのか/考えている」。伝えたい相手はもちろん「娘」さんです。この最終連の呼びかけが作品を引き締めていますね。
哲学的な命題を日常の中に具現化した秀作と思いますし、そんな作品が満載された詩集だと思いました。
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