きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.11.11(火)

 今日から3日間の予定でJQAによるISO9002の定期審査が始まりました。ISOは取得している工場・事業所・自治体が多いのでご存知と思いますが、結構キツイものがあります。私の勤務する工場も5〜6年前、もっと前だったかな?取得していて、慣れてはいるんですが、いつも緊張しますね。最初の1年・2年に比べるとずいぶん楽になりましたけど…。
 今回は、事前の社内審査で私の担当する分野が指摘されていましたから、余計に緊張しました。もちろん準備は万全で、どんな質問にも対応できるようにはしてありましたけど、本審査ですからね、どんな準備不足が指摘されるか、ヒヤヒヤしていたというのが本心です。
 今日は私の所属する部が対象でしたが、結局、何の指摘事項もなく終了しました。私の担当分野は対象から外されたようで呼出しも無し。無事に終ってホッとしています。



  原和子氏詩集『蓮華谷』
    rengedani.JPG    
 
 
 
 
2003.11.15
大阪市北区
編集工房ノア刊
2000円+税
 

    枯れた花

   スナックの裏通り
   うす汚れた ポリバケツに
   つっ込まれ はみ出した
   枯れた花々は
   いつも 私の足をひきとめて
   うなずく

   人の世の勝手に
   季節なく 咲かされ
   剪りとられ
   売られ
   飾られて
   淀んだ
   脂粉の香の 片隅に
   虚しい 愛の言葉に
   さやぎ
   枯れて
   いま やっと捨てられた

   花はどんなに嬉しいだろう

   あとは 通りがかった神さまが
   こう言って下さるのを 待つばかりだ
   ――さあ、私といっしょにおいで

 「枯れた花」に対する視線の新鮮さを感じます。「いま やっと捨てられた」「嬉し」さ、なんて発想はなかなか出来るものではないと云えるでしょう。最終連で「通りがかった神さま」が声を掛けるというのも救われた思いがします。
 著者は本質的にこういうところに視線が行くのでしょうか。「サバンナへ」「暮れ方」「蓮華谷」「マンドリンの男」などもそれに近いものを感じ、個性的な印象を受けた詩集です。



  児童文芸誌『こだま』23号
    kodama 23.JPG    
 
 
 
 
2003.11.3
千葉県流山市
東葛文化社・保坂登志子氏 発行
1000円
 

    大掃除    陳秀枝
            保坂登志子 訳

   成績表が「シユー」
   ゴミ箱に入ってしまい
   弟がうっとうしいものを掃き捨ててしまいました

   ラブレターが「シユー」
   破れてゴミ箱に入ってしまい
   姉さんがたくさんの秘密を脱ぎ捨ててしまいました

   貸し付けメモが「シユー」
   ひきだしの中にしまいこまれてしまいました
   お父さんはかくしこんだのです
      家族の心の痛みを
                  (笠222)

    大掃除    陳秀枝

   
成績單「」―
   
進了拉
   
弟弟掃掉了陰影重重

   
書「」―
   
撕碎在拉拉中
   
拔除了秘密叢叢

   
貸款單「」―
   
藏進了抽巷弄
   埋藏了
     家人心中的痛


 この「大掃除」は愉快ですね。特に最終連は身につまされます。作者は台湾の子のようです。女の子か男の子か判りませんが、名前から女の子ではないかなと思っています。子供の眼は怖い!
 原文も載せてみました。まだまだインターネットでの日本語処理が不備で、「文字鏡」という特殊なソフトを使って画像で貼り付けています。ちょっと見苦しいのですが、これがインターネットでの日本語(漢字)の現状だとご認識ください。そんな意味も含めて紹介しました。



  岡耕秋氏詩集『もう一つの岬へ』
    mou hitotsu no misaki e.JPG    
 
 
 
 
2003.11.20
東京都東村山市
書肆青樹社刊
2300円+税
 

    問い

   幼い子が小さな拳で
   ママのおなかをぶっている
   数年前の家族の写真を見て
   兄や姉にまじって
   自分が写っていなかったからだ

   「どーして ぼくはうつってないの」
   「なっちゃん まだ生まれていなかったから」
   「じゃぁ ママのおなかにいたの」
   「まだ おなかにもいなかったのよ」
   「じゃぁ ぼくはどこにいたんだよ」
   幼い子は泣き顔になった

   幼い子は自らの始原への問いをはじめた
   ものすごく大きな不安と
   生まれてはじめてのものすごい弧独を
   ママのおなかをぶって
   心死に救いを求めている

   私たちはどこからきたのか
   私のはじまりはいつからだろうか
   私たちはどこへいくのか

   誰でもがいつかは
   問わなけれはならない
   とてつもない大きな問い

 著者第二詩集の冒頭の作品です。それこそ「とてつもない大きな問い」で、「私たちはどこからきたのか」という根源を問われていると思います。「じゃぁ ぼくはどこにいたんだよ」という問に誰が応えられるか、哲学的な命題かもしれません。
 優れた詩篇の多い詩集だと思いました。「翡翠 ―家族の肖像―」「乞食」は著者の子供時代の戦争体験と思われ、詩を書かざるを得ない理由が判ったように思います。「U」は諫早湾に材を採った作品が多く、著者の自然への接し方が理解できます。良質な、良心の詩集と言えましょう。




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