きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.11.18(火)

 15時過ぎに営業担当者が来て、打合せをしました。最近発生した問題点の総まとめをしました。データから見える結論は、方向性に間違いはない、です。お互いに顔を見合せて、ヤッタナァ。
 方針も見えたことだから、呑むか、ということになりました。会社の近くの呑み屋さんで私が行ってみたいと思っていた店がありますので、そこに誘いました。隣町に「一膳一酒」という店があって、たまに行っていました。気に入った店なのですが、難はちょっと遠いこと。それが最近、会社のそばに支店を出したのです。一度だけ行ったことがありますけど、期待通りでしたね。そこに彼を誘ったという次第です。
 最初に訪れてから1ヵ月も経っているというのに、店の女将が覚えていてくれたのも嬉しかったですね。「八海山」「土佐鶴」と4合も呑んでしまいました。そうそう、明日は3ヵ月ぶりの休暇にしておきましたから、気も楽でした。仕事もうまくいった、気の合う仲間もいる、明日は休みだ、となったら誰だって心地よく呑めますけどね。いい夜でした。



  アンソロジー『北海道詩集』50号
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2003.11.20
北海道千歳市
綾部清隆氏方・北海道詩人協会 発行
2500円
 

    旅はまだ始まったばかり    綾部清隆

   日付変更を
   気持ちの破れ目から落としてしまい
   おぼつかない自身からの
   蘇生を試みたのだが

   見知らぬ町の知らない橋上で
   川の流れは
   今日という日の流れか
   昨日という過去なのか
   一本の朽ちた杭が
   季節に逆らうかのように洗われている

   試練てなんなんだ
   黙って朽ち果てることなのか
   貧しいこころに耐えることか
   川は黙々と流れるだけ
   水面に散乱する真昼のひかりの矢は
   わたしの身体に突き刺さる
   旅は始まったばかり

   凍裂を思わせる日常が
   真っ二つに裂けたあの日から
   刻はわたしのすべてを蝕み
   情知は凍結したまま
   ひとつの死による溝は
   それほどに闇だった

   旅はいま始まったばかりだが
   ことばなどいらない
   虚無という負の結び目を
   解きほごすためにも
   まず この橋を渡りきることだ

 毎年出版している『北海道詩集』は50年を迎えたようです。まず、地道な継続に敬意を表します。
 紹介した詩は深い哀しみを感じる作品です。「おぼつかない自身からの/蘇生を試みたのだが」「凍裂を思わせる日常」などのフレーズにそれは表れていると思います。しかしそれを乗越えようという意志が「旅は始まったばかり」「まず この橋を渡りきることだ」というフレーズには表現されていると云えましょう。詩的で美しい言葉の中にある落胆と再生への意志、作者の真摯な生き方が伝わってくる作品です。



  会報『北海道詩人』118号
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2003.11.15
北海道千歳市
綾部清隆氏方・北海道詩人協会 発行
非売品
 

 私も興味を持っていました第1回「更科源藏文学賞」の記事が載っていました。谷崎眞澄氏の詩集『喪失』(2002.2 星座の会刊)と和歌山県の武西良和氏詩集『わが村 高畑』(2002.7 土曜美術社出版販売刊)が受賞されたそうです。両詩集とも拝読していませんが更科さんの名を冠する文学賞ですから優れた詩集なのだろうと想像しています。
 「会員動静」欄では、7月に渋谷で開催した朗読会に村田譲さんが参加したことが載っていました。主催者側としては紹介していただいて感謝しています。改めてあの夜の楽しかったイベントを回想しました。



  近藤文子氏詩集『証』
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2003.11.24
東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊
2300円+税
 

    あかし
    

   切り取られた記憶
   そこに満ちてくる
   原型のない希望
   培養された愛など
   潜んだままの本質が
   沈澱しながら落ちてゆく時間
   音もなく 形もなく
   埋められない空白に
   解き放された過去

   だが瞬間に
   蘇ってくるのは
   生きていることへの
   驚きと怯え
   未知数の明るさに
   透視された真意
   静けさから こぼれてくる光
   空を抜けた無限の暗黒から
   生まれてくる力

   今日という一日のために
   今という一刻
(ひととき)のために

 詩集のタイトルポエムで、巻頭の作品でもあります。「空を抜けた無限の暗黒から/生まれてくる力」としての「証」を表現しているのだと思います。それが「今日という一日のために/今という一刻のために」ある、と読取って良いのではないでしょうか。
 詩集全体に形而上的な作品が多いのですが、根底にはご自身が生れたふるさとの自然があると思います。それが見えて読者は安心して頁を繰る。大自然と人間の頭の中で創り出した感覚とを行き来する、そういう知的な楽しみを持った詩集だと思いました。



  文芸誌『蠻』135号
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2003.11.30
埼玉県所沢市
秦健一郎氏 発行
非売品
 

    ヒバク    浜野茂則

   この前「ヒバク」という映画を見ました
   イラクではレッカウランで都市も農地も砂漠もいたる所で
   放射能に汚染されているそうです
   植物は放射能をうすめるが、その種には濃縮されるそうです
   ヤギも人間もみんな濃縮されたトマトやオクラを食べてます
   この放射能が消えるには 億年かかるそうです
   取材に行ったカントクもスタッフも汚染された食物を食べたそうです
   だからヒバクしたそうです
   弱い子供たちがヒバクしてどんどん死んで行ってるそうです
   抗生物質も兵器に使われる危険性があるということで輸入制限されているので
   末期ガンを抑えるのに食塩水を点滴しているそうです
   お金や医療品は直接イラクに持って行かない限り、米軍に行ってしまうそうです
   カントクたちは日本の広島・長崎のヒバクシャを取材し
   アメリカへも渡りました
   プルトニュウムを製造して第一の工場のある都市です
   その都市では工場の風上住民は工場を誇りにしている賛成派、風下住民の多くは反対派
   一家の誰かがヒバクしているのです
   でも抵抗運動はままならず病気になり廃屋になる家もあります
   それでもリンゴやジャガイモ干し草などを作ってがんばっている農場主もいます
   「女房もガンになり、兄貴や何人かの人は汚染だのなんだのって言ってるけど
    オレには関係ないね、ハンバーグはでかくてうまいし、どんどんジャガイモ
    や干し草を作って売ってるよ。日本でも沢山買ってくれるので助かるよ」
   と言っている
   他人事ではない
   牛乳や肉、干し草、ハンバーガー店の食材もヒバクしているのだ
   カントクは日本からもイラクからも戦争賛成のアメリカからも
   ヒバクシャの輪を広げて行こうとしている
   私はこの「ヒバク」という映画に心打たれました
   カントクの命を張った取材にも圧倒されました
   身近な問題として真剣に向き合わなければと思いました
   でも本当のことを言うと、この映画を見るまでは「トコヤ」に行こうか
   知人との義理で「ヒバク」の映画に行こうか悩んでいたのです
   ああ、ああ、本当に私はヒバクの重味とトコヤの重味の均衡に揺れていたのです
   今でもトコヤの重みの心を糾弾できないでいる私です

 「ヒバク」という映画は残念ながら観ていませんが、この作品を通しておおよその内容を知ることができました。機会があったら観てみたいものです。作品としては最終行に心打たれました。「今でもトコヤの重みの心を糾弾できないでいる」ことに詩人の良心を感じますし、口先だけでない反戦の意思をも感じます。ここから出発するのが真摯な態度というものだろうと思います。
 毎号楽しみにしていた秦健一郎氏による長編連載「『地果つる処まで』―油屋熊八物語―」は今回が最終回でした。別府、湯布院について単なる温泉地という意識だったものを転換させてくれた小説でしたので、ちょっと残念ですがいたし方ありません。小説としてはいつかは終りを迎えなければなかないものですから、その意味では納得しています。最終は熊八の死で終っていますが、その描き方は美しく、この小説によって育てられた一熊八ファンとしては心洗われる思いをしました。久しぶりに歯応えのある小説を読ませていただいて感謝しています。




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