きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.11.19(水)

 3ヵ月ぶりに休暇をとりました。特に目的があったわけではなく、この日なら休んでも影響がないなと思っただけです。社内では、年間に13日以上休暇をとることが義務付けられていて、守らないとブラックリストに乗ります。乗ったからといって何の影響もないんですが、私は2年続けて守っていませんから、今年度は守らないとちょっと面倒なことになるなと思っています。そうは言っても3ヵ月に1回では絶対に無理ですけどね。休める日は休む、ということぐらいしか対策はありません。

 で、休暇ですが会社に行ってきました(^^; 製造課の小集団活動の発表会があって、そこだけ顔を出しました。実は営業の連中に見に来いと言ってあったんです。営業から求められたコストダウンの小集団活動で、その成果発表会ですから応援に来るのは当然だろうと言ってしまったのです。そう言った手前、私も顔を出さないわけはいかない、という次第でした。
 一人でも来てくれれば現場の励みになると思っていましたが、4人も来てくれて私が感激してしまいました。製造課のメンバーが喜んでくれたのは勿論です。まあ、休暇はとれたしは、製造と営業の橋渡しはできたし、いい休暇でした、、、ん? 何か変だな(^^;



  詩誌『夢人館通信』21号
    mujinkan tsushin 21.JPG    
2003.11.17
東京都中央区
夢人館 発行
100円
 

    自戒    長嶋南子

   仕事ひとすじの人
   顔つきがちがう
   ことばつきがちがう

   同僚がつぎつぎなにかいっている
   ことばが立ち上がって
   聞こえてこない
   なにをいっているのだろう
   上の空とはこんな空か

   スタートでいっせいに走りだした
   二、三メートル走ったところで
   レースを降りてしまった

   降りてしまったこと
   気づかれないように
   真剣に走っているふりをしている
   ふりをしていること
   とうに見抜かれているのにね
   ふりだけでも
   うまい人とへたな人がいる

   チラッと
   難しいことを
   いいたくなる時がある

 全ての連に無駄がなく、さすがは長嶋南子詩だなと思います。特に最終連がいいですね。私にはこの切返しがなかなか出来ません。これが出来るようになればもう少しまともな詩が書けるのかな、とも思いますね。
 A3変形裏表の小さな詩誌ですが、力のある詩人だけが登場する日本屈指の詩誌と云えましょう。勉強させてもらうことの多い詩誌です。



  文芸誌『海嶺』13号
    kairei 13.JPG    
 
 
 
 
2003.11.1
千葉県銚子市
グループわれもこう・蜂須賀和子氏 発行
600円
 

    好きな絵    蜂須賀和子

   見る 見られる
   中階段から眺める
   靉光の「眼のある風景」
   わたしは竹橋の近代美術館へ通った
   ――展示が変わりました
   消えてしまった階段はどこ
   晩夏の堀は みどりいろ
   歩くしかない

 原文は筆で書かれた作品です。さすがにスキャナーでは読取れませんので、久しぶりに手入力しました。たまに手入力すると、スキャナーよりは作者の心境に迫れるような気がします。手書きにすればもっと迫れるでしょうね。
 靉光という画家は知りませんが、詩作品からどのような絵なのか想像がつきます。その作品が「消えてしまった」落胆、よく判ります。時々、伊東までハンス・ベルメールの絵を観に行って、展示してないと所蔵庫まで観に行きますからね。そんな「好きな絵」というのは誰にでもあるのだなと改めて認識した作品です。



  文芸誌『獣神』27号
    jyushin 27.JPG    
 
 
 
 
2003.11.24
埼玉県所沢市
伊藤雄一郎氏 発行
1000円
 

 伊藤雄一郎氏の「贈り物」は、贈り物に関するオムニバス形式の小説でした。80歳になる老女が敬老の日に市から貰う祝い金を、いなくなった猫の誕生祝いの餌代にするだろうという第一話「猫たちのバースデー」。気力が無くなった88歳になる母親の米寿の祝いに、祖母の指輪をリフォームしてプレゼントする娘の話がデパートの社内報で紹介されるという第二話「米寿のお祝い」。半年早く定年退職した同僚が鬱病のようになっているのに気付いた男が、Eメールでサムエル・ウルマンの詩を3度に渡って送信する第三話「詩を贈る」、という3部構成でした。

 いずれも現代の生活を題材にしながら現代人の心の奥底に潜む孤独感を表現している作品だと思います。それらの孤独感が常に同じような立場の現代人に救われるという設定は、現実味があって納得できます。読み終わって、この世はまだ捨てたものではないのだという温かいものを感じました。作者の視線に読者は救われた思いがするでしょう。こんな時代だからこそ、まさに待望されている小説と言えるのではないでしょうか。ともすれば底が浅く嫌味になり勝ちな題材だと思うのですが、作者の筆力と文体、何より作者の姿勢がそれを許していないと思います。良いものを読ませてもらいました。



  樽美忠夫氏詩集『青二才』
    aonisai.JPG    
 
 
 
 
2003.5
東京都東村山市
私家版
非売品
 

    炭鉱町

   生き生きと サイレンの音に
   明け暮れの 朝方一番
   昼二番 夜方三番
   仕事に行く人 帰る人
   工場が並ぶ ゆったりと
   大小の煙突 高高と
   白黒むくむく 陽光に
   燃え立つ空に 捲き上げる滑車
   鉄塔の 夕風黄金
   終業を告げる サイレンに
   力いっぱいに 働いて
   和気藹藹
(あいあい)と 汗を拭く
   仕事仲間の 頼もしく
   ほほえみ漲
(みなぎ)る 帰途の道

 写真でもお判りいただけると思いますが、すごい装丁の詩集です。和綴じと言うのでしょうか、古文書のような装丁で厚さは2cmを超えています。詩集は巻頭とも言うべき「独り言」は別にすると「遙音」、「自然界」、「大道」の3部に分れていて、紹介した作品は「遙音」に収められていました。私も北海道と常磐の炭鉱町に住んだことがありますから懐かしいですね。「サイレンの音」が今でも耳に残っています。
 詩集全体にも懐かしい作品が多くありました。「あぶりだし」「日光写真」などで遊びましたし「チンドン屋さん」について行ったり「サーカス」にも行ったものです。懐かしさでいっぱいの詩集でした。




   back(11月の部屋へ戻る)

   
home