きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.11.22(土)

 午前中は裏の畑で耕運機を駆っていました。義母に頼まれていたもので、また何か植えるようです。どうせ食べるのは私たちですから、喜んで働きましたよ。
 午後からは会社。13時に出て18時まで掛かってしまいました。これで4週連続で休日出勤したことになります。まあ、忙しいときはしょうがない。いつも忙しいのがちょっと残念ですが(^^; 充実した一日ではありましたね。



  詩とエッセイ誌『橋』110号
    hashi 110.JPG    
 
 
 
 
2003.11.30
栃木県宇都宮市
橋の会・野澤俊雄氏 発行
700円
 

    時の流れに身をまかせ    戸井みちお

   時の流れに身をまかせ
   という歌があったような気がする
   あらがうには力がいる
   流れている方がらくだ
   そう思うとなおらくだ

   お父さん頑張って!
   きれいな奥さんに手を振られ
   朝の小路を曲って行ったお父さん
   振り返ってまた手を振ってるお父さん
   あれはテレビのコマーシャル
   ゆめ まぼろし
   本物は足早やに
   せっかせっかと
   駅へと急ぐお父さん
   ぬぐえぬ後姿の哀愁は
   家のおもしか きぬぎぬのつかれか
   額にはもう汗にじませて 黙黙と
   駅へと急ぐお父さん
   今日一日頑張らねば
   子どものためにも ねば ねば ネバー
   ネバー セイ ダイ お父さん

   お−お−ノーノー
   ネバーマインド お父さん
   ――必要ならばはっきりと不服従の態度を表わしうる勇
    気をいま日本人は持っているか?
   大江健三郎さんはきついことをおっしゃるが
   ネバーマインド
   気にしない
   不服従の態度などとろうものなら
   即刻クビか遠くへ流罪
   きこえるは近くの憐憫遠くの嘲笑
   世のならい ゆめ忘れずに お父さん

   流れる石は丸くなる
   時の流れに身をまかせ
   流れ流れて川口まで行けば
   そこは海
   おわりだね
   うきこともゆめみしことも
   なんの意やある
   丸まった石は
   今日も波に打たれて転がっている

 思わず「そうだよな!」と声に出してしまった作品です。「流れている方がらくだ/そう思うとなおらくだ」というのは納得。「きこえるは近くの憐憫遠くの嘲笑」というのも身に覚えがありますし、「流れる石は丸くなる」と、この10年ほどを振り返ってしまいます。そして最後は「おわりだね」。何か、一生なんてはかないものに思えてきますが、作品の底の方ではナニクソ≠ニいう気持があるように見えてそれでもいいじゃないか≠ニいう呼びかけが聞こえてきそうで、それがこの作品の魅力になっていると思います。だから、もう少し「時の流れに身をまかせ」てもいいかぁ、と思えてくる作品ですね。



  月刊詩誌『柵』204号
    saku 204.JPG    
 
 
 
 
2003.11.20
大阪府豊能郡能勢町
詩画工房・志賀英夫氏 発行
600円
 

    中国語    平野秀哉

   次の中国語を和訳せよ 
カタカナ
    (ヒント 日本人には横文字でしか和訳できない)
   (1)互聯網 (2)伊妹児 (3)一級方程式 (4)形象大使 (5)下崗

   〔正解〕
   (1)インターネット (2)Eメール (3)F1レース
   (4)イメージキャラクター (5)リストラ

   日本人が文明開化期の和魂洋才を忘却し
   カタカナの便利さに安住している間に
   中国人は漢字だけで涙ぐましい創意工夫を重ねて来た

   外来語ばかりでなく
   携帯電話は手機 自由選挙は海選 造語である
   格安ホテルは平民賓館で失脚した流行語
   「地球にやさしい」は「環保」で形容詞になった略語
   写真集・鉄板焼はずばり日本直送の熟語
   多彩な出自とジャンルの新語たちが激動の社会を支える

   中国で「性感・性感」と声をかけられても
   逃げ出さなくてもいい
   あなたは「セクシー」だ
   と褒められているのだから

 これはおもしろいですね。特に「互聯網」「形象大使」は言い得て妙で感心します。まさに「中国人は漢字だけで涙ぐましい創意工夫を重ねて来た」んですね。片仮名は表音文字としての便利さがありますけど「安住している」という指摘は重要です。中国のこの努力が「激動の社会を支える」というのも見逃せない指摘と云えましょう。「性感・性感」は、やはり「逃げ出」してしまいそうですが。
 (1)〜(5)は、原文では丸数字でした。丸数字は機種依存文字で、Macでは■や●になってしまうようです。止む無く変更しています。「互聯網」の未成熟を露呈してしまいました(^^;



  詩誌『杭』41号
    kui 41.JPG    
 
 
 
 
2003.11.15
埼玉県さいたま市
杭詩文会・廣瀧 光氏 発行
500円
 

    郷土史    大畑善夫

   BC3千年〜4千年頃
   東京湾は関東地方の奥まで延びていました
   私の住んでいるところは
   「岡手山」という丘の上でした
   潮風の中を降りていくと
   アサリやハマグリが拾えました
   今も近くに貝塚や遺跡が沢山あります
   特に近くの「天神前遺跡」は
   8千年前から人が住んでいました
   鏃や土器をつくり子供を育て
   今はもう誰の顔も分かりません
   土器だけが残っています
   このたび遅ればせながら
   出土品のベストテンを選びました

   氷河期は何度も繰り返しました
   このあたりをマンモスが歩いていました
   多くの生き物がここを通りました

   数え切れない時間がながれましたが
   その前は
   地上の生き物はいません
   海の底でした
   珊瑚がありました
   クロダイが泳いでいました

   さらにその40億年前は熱い溶岩でした

   さらに50億年前は
   私の立っている地球はなくて真っ暗でした
   周りは遠ざかっていく星ばかりで
   銀河の中にありました

 「郷土史」というのですから、第1連は素直に読みました。「今はもう誰の顔も分かりません」というフレーズはいいな、と思いながら…。2連目もその延長で考えられ、でも「氷河期」までも「郷土史」に含めるのか、とちょっと意外でした。3連目、4連目、そして最終連では本当に驚きましたね。そんな「郷土史」は見たことがありません!
 この作品は「郷土史」という狭い人間の思考を批判しているのかもしれません。もちろん「郷土史」を否定するものでなく、そこに安住してしまう思考への警鐘と受止めていますが、表面的には一種の笑い≠誘いながら読者にはそこまで考えさせる力を持っていると思います。「私の立っている地球はなくて真っ暗」だったんだから、国境だの地域だの「郷土史」なんて狭い狭い、と言われているように感じます。おもしろいくて、考えさせられる作品です。




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