きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「クモガクレ」 |
Calumia
godeffroyi |
カワアナゴ科 |
2003.11.28(金)
特になし。淡々と一日は過ぎていきました(本当はバタバタしていましたけどね(^^;)。
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2000.12.24 |
高知県高知市 |
文月奈津氏 発行 |
500円 |
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はなばいろ
花葉色の 萱野笛子
冷えこみが
続いて
わたしの家の三階の窓から見える
大慈山護国寺禅寺の
おおいちょうが
よもぎ もえぎ ちゃ こん
萌葱 ひわ萌黄 ひわ茶 う金
はなばいろ
花葉色へ
わずかながら移ろってゆく
時の流れ
色の流れの朝
娘を車にのせて
いちょう並木の
国道33号線の電車通りを
五丁目から二丁目
ますがた
升形から左に折れて
道が狭くなって並木の
いちょうは空でまじわって
花葉色
花葉色のなかへ
娘をおろす
娘はせきをしながら
花葉色から熱に浮いた
うす桃色の細い顔をのぞかせて
ふあんげに首をかしげて□をゆがめる
わたしは首を小さく振って
なかないで ね
目で言う
娘は花葉色にうたれながら
くるりとまわる
花葉色の病院の入口は
しろねり すみぞめ
白練 墨染
さかい
この世とあの世の境界の
色いろ
娘はいやいやをして
それでも境界をこえた
せきこみながら足早やに
白練色がうす桃色に移ろってゆく
夢を見た
花葉色の
車のなかで
浅学にして「花葉色」の正確な意味が判らず辞書で調べてみました。「花葉色」そのものは無く「花葉」はありました。かよう≠ニ読み、意味は花と葉=B花と葉の色、と言葉通り解釈すれば良さそうです。「娘」さんが「この世とあの世の境界の」「境界をこえた」と受止めてよいのかどうか迷うところですが全体のトーンで哀しみは感じられませんから、「この世とあの世の境界」を「この世」へ「境界をこえた」と受取った方が良いのかもしれません。むしろ「わずかながら移ろってゆく/時の流れ/色の流れの朝」へ重点を置いて読むべき作品かな、とも思います。ちょっと緊張感があって、おもしろい作品です。
インターネット上の日本語処理の未熟さからルビがきちんと表現できません。無理をしてルビを入れていますので行間が不揃いになり、ちょっと見苦しいですね。お詫びします。
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2003.4.15 |
高知県高知市 |
文月奈津氏 発行 |
500円 |
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団結 文月奈津
ありが
からだの千倍もありそうな
ビスケットのかけらを運んでいく
その回りに
百匹の仲間を取りつかせて
まるで
小さな子供たちが団結して
地球を運んでいくようだ
作者による5編の作品の中の1編です。最終連で思わず笑ってしまいましたね。比喩の妙と云うのでしょうか、デフォルメもここまで来ると詩になるのだなと感心しています。大人の詩としてももちろん通用しますが、児童詩としても立派に通用するのではないでしょうか。詩の新たな分野が開けそうな作品だと思います。
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2003.8.15 |
高知県高知市 |
文月奈津氏 発行 |
500円 |
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祝い餅 木野ふみ
栄丸が美しくなった
浜は
祝福のざわめき
祈願の鼓動
猫も犬もカラスも人も
同じ姿勢
栄丸船主
少し涙ぐむ
良い天候のもと跳ねる魚 出漁のたび網に掛かり
化粧直し終えたばかりの栄丸波間ぐんぐん今日も
明日もその先も疲れ知らずの働きぶり 闇夜にも
映えよ速乾ホワイト塗料 青い大きな大きな目玉
家内安全海面温厚大漁豊漁
満載の祈願ぜんぶ引き受けた祝詞
やや疲れ海に砕けるころ
お待ちかねの
餅投げ
腹にまっ赤な祝の字浮かせ
栄丸の触先から
踊りながら降(ふ)り
降(ふ)りながら踊る
餅
女も男も
子どもも老人も
視力ほとんど指先に集め
身のこなし軽やかにしなやかに
繰り返される
掴んでは保存の流れ
ちっとも崩れず美しく
みんなで
栄丸と繋がる
船主と繋がる
跳ねる祝
乱れる祝
食紅鮮やか
祝い餅
栄丸も
一つ拾う
最近では見られなくなった「祝い餅」の風習ですね。「船」の「祝い餅」というのに私はまだ出会ったことがありませんが、生き生きと描かれていてその場にいるような気分です。特に最終連がいいですね。詩としての昇華があると思いました。
こちらのルビは数も少なかったことから新聞方式で表現してみました。いずれにしろ原作の雰囲気を損ねることになって、申し訳なく思っています。
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2003.11 |
大阪府岸和田市 |
後山光行氏 発行 |
非売品 |
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雨の日 後山光行
雨が降ってきた
まだ傘をさすほどでもないと
早足で歩く
通りがかりの
ちいさな池の水面が
おどろくほど
輪をひろげていて騒々しい
ひろがっては消え
ぶつかっては
大きなものに飲み込まれる
傘をさしていないことが
不安になる
雨の日
第2連から最終連への展開がすばらしい作品だと思います。「大きなものに飲み込まれる」というフレーズと「不安になる」というフレーズが見事に呼応していて、何気ない日常の話なのに大きなものを内包していると云えるでしょう。そうやってオレたちは「傘をさして」いくのかな、と思わず我が身を振り返ってしまいました。「まだ傘をさすほどでもないと」思いつつも…。
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