きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「クモガクレ」 |
Calumia
godeffroyi |
カワアナゴ科 |
2003.12.12(金)
出張3日目。水戸線沿線の会社で13時から18時まで会議。途中で工場視察もありましたが、それも無事に終了。さあ、帰ろうという段になって、忘年会を、と申し込まれてしまいました。こちらはひとり、相手の会社は5人ですから、私ひとりのために忘年会を開いてもらうのも申し訳ないので断りましたけど、駄目でしたね。断り切れなくて小山まで戻ってつき合いました。まあ、会社通しのつき合いですから、無理に断るのもヘンですからね。
小山駅のそばにある、一度行ったことのある寿司屋に行きました。ちょっと店はきたないんですけど、日本酒もワインもあるという変った店です。女将さんがソムリエだそうで、寿司屋との組合せがおかしくて、結構気に入っている店です。もちろん何とかというワインもしっかりいただきました。でも出張3日目ともなると、帰りはさすがに疲れました。辛うじて0時前に帰宅して、長い出張も無事終了。出張は1泊ぐらいがちょうどいいところです。
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2003.11.20 |
大阪市北区 |
竹林館・水口洋治氏
発行 |
800円+税 |
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ダンゴムシの暗喩 金田久璋
ふとした拍子に
ダンゴムシが犬走りのうえで
ひっくり返ったまま すでに小半時
もとにもどろうと もぞもぞあがいている
そこで 底意地悪くわたしはつぶやく
いくら駄々をこねても
手助けなんか金輪際してやるものか
という言葉も 所詮
ダンゴムシにはとどかない
なんなら ひまつぶしの手慰みに踏みつぶすこともできる
お望みならジェノサイドも 生殺与奪の権はわれにあり
かといって わたしは神ではない
ひざかりのひとときを
永遠の時間がながれている
すこしばかり風がふいて
ダンゴムシは鼻糞をまるめるように
ころがり そこからふたたび
なにもなかったように歩きだす
暗喩の彼方へ
無聊なひととき
神さまも鼻糞をほじくられることがある
白い鼻毛が風になびき
夏だというのに 地上にとどろくような
おおきなくしゃみをした
だれか神さまの噂話をしている 比類ない例え話で
最終連の「神さま」はGODとも「わたし」とも採れます。双方のイメージで鑑賞してみました。「暗喩」ですから、どちらを採ってもおもしろいと思います。「底意地悪」いのはGODでも「わたし」でも同じこと。むしろGODの方が意地悪いことを私たちは体験的に知っていますね。「ダンゴムシの暗喩」「暗喩の彼方へ」「比類ない例え話」と、使ってみたい詩句も多く、惹かれる作品です。
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2003.11.28 |
鹿児島県日置郡吹上町 |
天秤宮社・宮内洋子氏
発行 |
1000円 |
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空を創る 宮内洋子
半球のドームの骨組を整え
天を貼り合わせる
鉄骨を
クレーンでぶらさげて
空気圧を調整する
五階建て位の高さがいいでしょう
広さは東京ドームの三倍位
柱の無い空
天を突き抜ける樹を
あしらいましょう
空の色は
コロラド川の水底に潜んでいる色と
青いペンキを混ぜてつくり出す
地球創生期からの四十六億年の地層壁は
運べないから
おとぎの国の家のイメージで
三角屋根や丸い尾根を配置して
窓を精巧に造ること
子供達には 決して
創った空だとは思わせないこと。
雲の形は
セスナ機と同じ高さに浮かんでいた
雲をそっくり浮かべましょう
スケッチしておいたの
ラッコが水に浮いた姿
天使が飛ぼうとしている様子
白くまの親子が並んで坐っている姿
リスのシッポも
創った空に雲をスケッチして
かたまったままの雲に光を当てる
天と地、雲の形で
おとぎばなしがひろがっていく
おいしい
パンとジュースを手にして
散歩する
始めて空を飛んだライト兄弟のように
まばたきをしてみた?
砂漠に陽が
ゆっくりと落ちていく色づかいが
空を映してライトアップ
不夜城はつくりものであることを忘れていく
空の上に空があるというのに
「半球のドーム」なら「子供達には 決して/創った空だとは思わせない」「空を創る」ことは可能ですね。最初はそれが「創った空」であることを誰もが意識していますが、そのうちに「不夜城はつくりものであることを忘れていく」。そんな人間の愚かさをうたっている作品だと思います。「おとぎばなしがひろがってい」っていっても、最初に気付くのは意外にも「子供達」かもしれませんね。
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2003.12.10 |
石川県金沢市 |
祷の会・中村なづな氏
発行 |
500円 |
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火星とキンモクセイ 江田恵美子
あれが 赤く煌めいている
火星であろうか
夜風にキンモクセイの花がのって
星の匂いが届けられた
赤い光へ向けて嬰子を抱えあげる
闇のなかでゆらっと地にむいて身を捩る
生れて八ケ月目のその重みで
私の血流が熱くなる
乳房に響いてくる深くから甦るものを抱いて
炎の微粒子をまとう嬰子よ
キンモクセイの匂いのなか
草の芽のような掌と老いの掌が
天体を撫でる
雲のただようオリンパス山
ペルセウスとアンドロメダの神話を
未来という優しさを小さな掌に握らせる
同じように 何万という幼い命に握らせる
あの夜も 星だけは光っていた
軍神マルスから逃れ
凍った十歳のからだを土の穴に
家族重なり潜んだ恐怖
いまも消えていない
古人の言う
この「ほのおぼし」が
災いの凶兆となるのか
人間の知識が腐蝕するのか
星との語らいが土砂の闇に没した彼の地の
悲嘆の声は聞こえている
「軍神マルスから逃れ/凍った十歳のからだを土の穴に/家族重なり潜んだ恐怖」というのは、旧ソ連軍が旧満州に侵攻したときの状況でしょうか、そんなふうに読み取れます。そう云えば、昔から火星は「災いの凶兆」でしたね。今年の大接近はマスコミに踊らされてすっかり忘れていましたが、この最終連を拝読して思い出しました。「何万という幼い命」が「土の穴」で「恐怖」に陥らないよう祈るばかりです。
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