きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.12.15(月)

 会社の仕事が終えたのが19時過ぎ。仕事というのは切りがなくて、22時でも0時でも、居ようと思えば何時でも居られます。でも、どこかで切り上げないと際限もなく居残ることになりますから、区切りがついたところでやめてしまいました。後ろ髪を引かれるのですけどね。このタイミングが難しいところです。ま、どうでもいいことですけど、毎日そんなことを感じながら仕事をしています。



  詩誌『解纜』121号
    kairan 121.JPG    
 
 
 
 
2003.5.20
鹿児島県鹿児島市
解纜社・杢田瑛二氏 発行
非売品
 

    手紙    西田義篤

   久しぶりに実家に立ち寄ると
   庭は荒れていた
   春の嵐が乱していったせいもあるが
   人の住まなくなった家の庭は
   すこしずつ形を崩していくものだ
   伸びるにまかせた樹々は遥かに屋根を越え
   私の手の負えない高さになっている
   椎 山紅葉 犬槇 無患子 山椿 つつじ
   太い枝には谷渡りや石斛が着生している
   藤や郁子に絡みつかれた甘夏や橙の果樹は
   観念したのか花をつけていない
   魚木の照葉には間もなく端紅蝶が
   産卵に訪れるだろう
   鳥が種子を運んできた万両や青木は
   群落をつくっているし
   私が枯えた海老根蘭はいまが盛りだ
   もう庭というより
   自然林と呼んだ方がふさわしいかもしれない

   四方から新緑の繁みが迫り
   家はくらく湿っている
   何気なく郵便受けを覗いてみると
   父宛の手紙がはいっている
   父が急逝して一年近くになるのにと
   訝りながら差出人をみるとK氏からだ
   K氏は父と同郷で古いつきあいになる
   父の葬儀の時 K氏の近況を尋ねた私に
   「数年前から入退院をくりかえし
   いまは人工呼吸器をつかっている」と
   奥さんは声を密めて語ってくれたのだが…
   K氏の容態を気遣って
   父のことはまだ知らせていないのだろう

   父宛の手紙を開封するわけにはいかない
   だが封を切らなくても手紙の内容は察しがつく
   「早く会いに来て欲しい」と
   たどたどしい文字で書かれているはずだ
   K氏の最後の手紙であり
   父宛の最後の手紙かも知れない

   私は筆不精の方ではないが
   振り返ってみると
   父に手紙を書いた記憶がない
   父への頼み事や願い事
   折りにふれて気くばりを絶やさない父への
   感謝の気持ちも
   母への手紙にまぎれこませた
   正座の姿勢を決して崩さないような
   厳格な教育者だった父
   そんな父と争い背を向けたこともあったが
   父を疎んじていた訳ではない
   父はいつも遠くにいた
   そう感じていたのは私が距離をおいていたからだといまはわかる
   父は私からの手紙を待っていたのだろうか

   どんな痛みがあったのか
   父は樹を切ろうとしなかった
   不恰好に枝をのばした樹の下で
   父とK氏が談笑していた姿が眼に浮ぶ
   それはずいぶん遠い日のようでもあり昨日のようにも思われる
   K氏の手紙をどのようにして父に届けようか
   そしてどんな文を添えようか
   木洩れ日のなかで私は思案している

 「K氏の最後の手紙であり/父宛の最後の手紙かも知れない」手紙を「どのようにして父に届けようか」と困惑している「私」が良く出ている作品だと思います。また「父」という人間が過不足なく描かれていて、作者の視線の深さを感じます。導入部の第1連も具体的にイメージが浮かんできて、2連以降への橋渡しとしては成功していると云えましょう。
 肉親との、特に男にとっての父親というのは「距離」がとり難いものですが、その感覚がうまく描かれている秀作だと思いました。



  詩誌『解纜』122号
    kairan 122.JPG    
 
 
 
 
2003.7.31
鹿児島県鹿児島市
解纜社・杢田瑛二氏 発行
非売品
 

    逆転    今辻和典

   周代の故事によると
   神はふたりに夢を与えた
   苛酷な労役で瀕死にある奴隷には
   夜ごと王となり快楽を貪る夢を
   残忍な権勢を振るう王には
   夜ごと奴隷となり鞭打たれる夢を

   深夜 ふたりの地位が逆転する
   高笑いと悲鳴の輪番制となる
   神も洒落れた差配をするものだ
   いずれが真の自分なのか
   昼と夜の棒の両端を呑みつつ
   ふたりは次第に発狂しただろう

   逆転 おりおりの幻想であった
   果たされることもない革命に似て
   希望のようにポケットにあった

   神が自分に与える夢の役割は
   いつも追われて足すくむ被害者
   斬りつける殺陣師に反転したいのに

   いま世は酸素が薄れている
   不況の錘にじりじりと沈み
   どこも生ぬるい風と水温のみ
   平和もどこか破傷風気味だ
   応急手当のガーゼが貼られる
   ひそかな傷の転移は止みそうもない

   ひとときの逆転の興奮は
   贔屓チームの土壇場の本塁打のみ
   映像は再び湿ったニュースに入る
   遠く夢見る逆転の逆転そして逆転
   でも神がそっと耳打ちするのは
   生から死への確かな逆転話だけ

 「いま世は酸素が薄れている」「平和もどこか破傷風気味だ」というフレーズが魅力的ですが、やはり「でも神がそっと耳打ちするのは/生から死への確かな逆転話だけ」という最終連のフレーズは圧巻ですね。「逆転 おりおりの幻想」であるのかもしれませんが、最後は本当の「逆転」なのだと納得させられます。人生の何たるかを教えてくれた作品です。



  詩誌『解纜』123号
    kairan 123.JPG    
 
 
 
 
2003.11.15
鹿児島県日置郡伊集院町
解纜社・西田義篤氏 発行
非売品
 

    冬から春へ    杢田瑛二

   いっさんに日は冬に傾く
   いっとき黄金色
(きんいろ)にきらめいた記憶すら
   過ぎてみれば あえなく消える
   いま地に丈高く立つ半開きの傘
   枝もうすく 風がすうすう通る
   しかし無機物ではない
   脈打つ鼓動はおくのほうでなお強いのだ
   衿持もって公孫樹の精
   この際 旅僧となって各地を巡ることを考える
   カラン静まる冬のはじめの日
   ついに意を決して旅に出る

   日々 見知らぬ町や村を通り過ぎていく
   いまどのあたりだろう
   もはやどれほどの野を過ぎ峠を越えたことか
   みぞれ降る町の露地をめぐったりした
   記憶たぐれば町の外れにそそり立っていた同輩や
   沼のほとりで影写し蕭条と風に吹かれていた
   また山の中腹に少しねじれて
   あるいは学校の校庭にぽつんと立つ孤影など
   冬だから葉一枚無く
   光らず豊かに撓うこともなく
   みな寒中にあった
   その同類の痩せた存在感にほだされ
   ときに旅僧の身をひたと寄り添わせようとした
   だが一度もそうできなかった
   分に応じ生きる気魄をみんな強くうちで燃やしていた

   春が近いのか
   どうやら発芽したらしい空気にうながされ
   ときどき鴬が鳴きだしていた
   すると脚は帰路に向っていた
   行くたび腰のあたりで鈴がりんりんと鳴る
   旅も無駄ではなかったのだ
   充実のおもい満ちていまわが身鈴振るごとくあるのだ
   まもなく公園の入口――
   わが常在の場所に帰り着く
   土のにおいを嗅ぐと心地よかった

   旅の衣を脱ぎわが家の幹を撫でて中にはいる
   すると樹液がゆっくりとわが身をくるむ
   快よくなり思わず手をあげて伸びをする
   と亭々と立つ梢が一揺れして
   青空にむかって
   オウーと時ならず声をあげるのを開く

                  この作品は杢田氏の詩稿ノートの最後に記されていたものを
                  西田・石峰で判読して起こしたものです。

 今号は8月に亡くなった主宰・杢田瑛二氏の追悼号になっていました。紹介した作品は註にもあるように杢田氏の絶筆と思われます。最期まで詩を書き続けた詩人の魂に敬服しています。作品にもお人柄にも接したことのない詩人でしたが、作品から詩にも人生にも真摯な態度が窺えます。ご冥福をお祈りいたします。



  隔月刊詩誌『鰐組』201号
    wanigumi 201.JPG    
 
 
 
 
2003.12.10
茨城県龍ヶ崎市
ワニ・プロダクション 発行
400円
 

    秋のはなしぶり    福原恒雄

   真っ赤なサルビアを蹴散らしてやって釆たような友なのに
   水の所望もない
   風のにおいを撫でながら
   見てくれのいい
   談笑になっていくのを気にしたのか
   腋にはさみこんで
   思いだしたように
   秋だねえ と真顔の呼吸に取り換える
   きのうの色つきトンボはいないよ
   澄ましこんだお調子者の行方は追わないよ
   ミズスマシのほうがもっと逃げ足は速かったぜ
   漆かぶれのヤマカガシも風向きを窺っているそうだ
   風のせいでも時代のせいでもないわいな
   虫食い穴のあいたことばを糊塗する
   微笑みは
   天下無敵
   どこへでも滑る
   滑る風が
   見渡す限りのぶよぶよの灰燼から
   夏から燃え燻って鼻つく髪のにおいが泡立つ日ざしを
   きょうから
   きょうまで歩いた
   句読点で
   痞える唾
   のみこむ唇を
   ざらざらの舌で舐めては
   気忙しい時間を突っつき
   診断ドックでも影つくらなかった固い胸の殻に
   韻を
   捨てそうな
   たがいの綻びをなすりつけ
   失調しそうな行方でも
   行方のありそうな窓から見る通りに
   展望を塗りたくったポスターで見た展覧会へ向かう
   絶えないながれに
   うっかり
   焦げてもまたそよぐかなと ハモるつもりのない呟き
   ススキの言い方にそっくりだ

 秋を表現するのに、このような手法があるのかと驚きますね。秋とは異質な言葉がたくさん出てきますが、よく見るとちゃんと秋と繋がっています。人間は出てきません。全部、秋。でも、秋そのものが人間なんです。季節をどう読むかによって即物になったり擬人化されたり、という実例だろうと思います。「秋のはなしぶり」を、耳を澄ませて何度も聴いてみました。




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