きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「クモガクレ」 |
Calumia
godeffroyi |
カワアナゴ科 |
2003.12.25(木)
何年振りかで一日中分光光度計に向っていました。化学をやっている人ならお馴染みだと思うのですが、その名の通り光を波長毎に分けて、透過または吸収する光度を測定するというものです。私が扱ったのは190nmから2600nmまで測定できるという一般的なものですが、つくづく進歩したなと思います。思い出話で申し訳ありませんが、30数年前に入社して初めて教わった測定機です。当時は波長を変えるのに手回しのハンドルが付いていて、それを回しました。その後波長送りがモーターで自動化され、自記分光光度計という名前が付いたものです。今では自記は当り前になりましたから、わざわざ頭に自記なんて付けなくなりましたけど…。20年ほど前にコンピュータ化されて現在の形になっています。そこで私も初めてコンピュータの重要性を知ったというわけです。
ふう、やっとコンピュータに話がむすびついた(^^; コンピュータ化されて驚いたのは、補正ということが計算でできるようになったことですかね。それ以前も理論的に明らかに補正が必要な場合は手計算でやっていたのですが、自動でやってくれる! ここから人類の堕落が始まったように思います(^^;
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21世紀詩人叢書50 |
2003.12.28 |
東京都新宿区 |
土曜美術社出版販売刊 |
1900円+税 |
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クローン
窓もほとんどない灰色の建物は
巨大な墓石のようにも見える
中には数万ものカプセルが横たわっていて
そのひとつには私の予備の体が眠っている
いや なにか複雑な装置によって
変てこな運動をさせられているところかもしれない
もし 私が事故に遭ったり
臓器を病気に侵されたりしたときには
すぐに体の一部を取り替えられるよう
クローンは毎日 いろいろな刺激を与えられ
鍛えられつづけているのだ
なにひとつ考えることも 悩むこともなく
ここに来ると
なぜか決まって
沈んだ気分にさせられてしまう
それでも 時々来てみないではいられない
建物の中に入ることは許されないので
柵の外から眺めるしかない
それで いつも
建物全体が見渡せるこの川の堤防の上に来る
今日もここは 私と同じ思いの人で一杯だ
いつでも 夕暮れ時は 特に人が多い
誰も皆 車の窓にもたれたり
外に出て車に寄りかかったりしながら
じっと建物を見つめている
太陽は地平線近くまで沈み
濁った日の光が
人々の横顔を赤銅色に照らしはじめる
紹介した作品はすぐに想像がつくように、近未来の人類の姿です。その思いが詩集タイトルの「我らの明日」に出ていますが、もう少し詳しいことがあとがきに書かれていますので、それも紹介してみましょう。
明日を夢見るということがなくなったのはいつの頃からだろうか。子供時代
は、漠然と、人間の生活は、そのうちとてつもなく便利になり、戦争や病気な
んていうものも次第にこの世から消え果てていくのだろうと考えていた。
今や、確かに便利な物は身の回りに増えてきたが、これで人類が進歩してい
ると思える人は、そんなにはいないだろう。
我らの明日は、いつの間にか歪められ、押し潰され、暗く奇形なものに変え
られてしまっている。
いや、もはや、そんな病んだ明日さえもないのかもしれない。明日を夢見る
ことも許されず、我らは、ただただ追い詰められていくだけではないのか。
この詩集は、そんなやりきれなさの中から浮かび上がってきた作品を集めた。
その代表例として「クローン」を紹介しましたが、もっともっと身につまされる作品が収録されています。バイオテクノロジーの成果として300kgもある魚を各家庭が飼育して、その瘤を食料とする「肉瘤」、免疫機能を失くした少年が生活する「無菌室」、性の営みさえボディースーツを必要とする「SKIN」などなどあり得ない≠ニ否定できない怖さを持っています。人類への警鐘という、文学が果たすべき役割を担った詩集と云えましょう。実におもしろい!
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2003.12 |
東京都品川区 |
原詩人社・井之川
巨氏 発行 |
200円 |
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椅子 菅原克己
椅子が倒れていた。
ぼくと入れちがいに
だれかが連れられて行った。
Yシャツの袖をまくった男が
大きなテーブルにもたれて
お茶を飲んでいた。
椅子が起されると
ぼくがその上に腰をかけた。
ぼくの番が来た。
『菅原克己全詩集』が刊行されたことが一面トップに載っていました。紹介した作品はその全詩集の中のひとつだそうです。菅原克己1911〜1988とあり、このときは豊島師範の4年生19歳だそうですから1930年(昭和5年)頃の作品と思われます。
菅原克己という名は知っていましたが、不勉強でその作品にはほとんど接したことがありませんでした。今回、短詩とは云え初めて作品を読んで、その冷静な眼に驚かされました。この作品の後に続く拷問を想像しないわけにはいきません。全詩集は、私の親の世代が置かれた状況と文学を代表するようなものと思われます。
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2003.12.25 |
東京都福生市 |
竜骨の会・村上泰三氏
発行 |
600円 |
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匂うことば 松本建彦
ぽつりぽつりと いい塩梅の間合いで
語りつづける老漁師の話の中の
この魚はうまい
うまいのだが 難がひとつ
それは小骨がうるさいことでと
尖った小骨を喉(のど)に立てないように
気を遣いながら食べること
ぶきっちょうな大人にも まして子供には
なかなか骨の折れること それを
うるさいと言い表す
土地の暮し向きにみごとに根づいて
ぴたりピントが合っていて
しっくりときまって
言いおおせている このことば
こんなにも いま
痩せて みすばらしくなってしまっている
この国のことばの有様の中で
ぴかりとひときわ光って
背骨をくっきりとさせている
この うるさいは ほかにもあるか
ないかないかと気をつけていると
ふと 見えてきた
欲得なしで 日本古来の
線香花火を造りつづけている
これも老花火師の 静かな口調
いい線香花火(もの)ってのは
点(つ)ければ 大松葉 中松葉 小松葉とうつって
最後は柳としだれてぽとりと消える これだね
思いえがく 柳の消えたあとの
ひときわ深まる闇 その匂い
確かに「うるさい」とはいい言葉ですね。まさに「背骨をくっきりとさせている」だと思います。それ以上なのが作者が採取した「大松葉 中松葉 小松葉とうつって/最後は柳としだれてぽとりと消える」という言葉です。線香花火の様子を見事に言い表していて、条件反射で「匂い」まで思い出してしまいました。詩を読んで匂いを思い出すなんて経験が無かったものですから、鼻腔に匂いが蘇ってきたときは本当に驚きました。言葉にはそういう力があるのだと改めて感じました。言葉で人間の五感を刺激する、そういう詩も今後はあっていいのではないかと思った作品です。
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○野仲美弥子訳詩集『誕生日の手紙』(テッド・ヒューズ) |
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世界詩人叢書12 |
2003.12.20 |
東京都東村山市 |
書肆青樹社刊 |
2600円+税 |
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机
君に一生使える頑丈な書き物机を
作ってあげたかった。
僕は一方の縁に沿って自然の樹皮が波打っている、
厚さ二インチの楡の板を買った、棺用の荒削りの、
棺用の楡は入った死体とともに、
大地の水にどっぷり浸かって新しい生命を見出す。
楡はぶな、とねりこ、または松などより
ほんの少しだけ長い航海へと死者を保護する。
カンナで僕は君のインスピレーションが
完全に着地する台を作った。
僕は知らなかった 君のパパの墓へと続く
地下の開かれたドアにピタリと合ったものを
作ってしまったことを。
君は幸福そうに、毎朝ネスコーヒーとともに
机に屈み込んだ。
持病に注意しながら、野生の空気の匂いをかぎ、
それから確かな薬草を見出す、一匹の動物のように。
ペンに続いて、君がその謎を解き明かす言葉を
楡から予知するのにそれほどの時間は
かからなかった。信じられなかったが
明るい日の光の中でそこを通って甦ったのを
僕は見た、君のパパが復活したのだ、
青い瞳で、君の思い出をすべて体現しながら、
まだ時を告げているドイツ製のカッコー時計。彼は
そこを通って僕たちの家にのろのろと入ってきた。
僕が眠っている間
僕たちの間にふるえながらすり寄ってきた。
僕に触ろうと向きを変えて君は彼に気がついた。
「待ちなさい!」僕は言った。
「待ちなさい!これはなんだ?」
僕の波長の外側にいる一人のドイツ人の言葉に
耳を聾されて理解できなかった。
僕は目を見開いたまま深い眠りの中に入って行った
そして鏡の中で目隠しされた俳優のように
彼の台本通りに歩きまわった。
僕は死の夫人を抱いた、君のライバルを、
あたかもその役が僕のまぶたの上に
燐光体の文字で書かれていたかのように。
君の腕を彼にしっかり巻きつけ、歓喜のなか、
彼は楡のドアを通り抜け君を連れ出した。
彼は欲したものを手に入れたのだ。
僕はくだらない塗られたマスクなどの小道具のある
空々しい舞台の上で目を覚ました。
台本は引き裂かれ散らばっていた、
符号はごちゃまぜになっていた、
粉々に砕かれた鏡のさまざまな破片のように。
そして今君のピーナツをバリバリ噛む人たちは
インクの染み、君が罵りながら懇願しながら
彼への言葉を彫り刻んだ印を見ることができる。
もはや机ではない。
もはやドアではない。再び単なる一枚の板。
君の上向きの凝視から無理に剥がされた棺の蓋。
それは表面に戻ってきた―
大西洋側から遙か遠く、きれいに洗われて、
君のために君の父親を見つけ
そしてそれから
彼のもとに君を残すため精魂傾けた
僕の汗で磨かれた 骨董品。
テッド・ヒューズは1930年英国ヨークシャー生まれで、1984年に英国桂冠詩人となり1998年10月に没しています。その最後の詩集が『Birhday Letters(邦訳:誕生日の手紙)』です。
テッド・ヒューズと云えば切り離せないのが妻の米国詩人シルヴィア・プラスです。彼女は1963年にロンドンで2歳と1歳の子供を遺し、ガス・オーブンに自らの頭を入れて31歳の命を絶つという壮絶な死に方をしています。原因はヒューズの愛人問題ではないかと噂されましたが、ヒューズは35年間も沈黙していました。そして死の直前の1998年に『Birhday Letters』を刊行して、88編の詩によってプラスへの思いを公表しました。本著はその本邦初の完訳詩集です。
紹介した作品はその中から私が最も重要と感じた作品です。ここにはヒューズがプラスのために造った「インスピレーションが完全に着地する台」が実は「君のパパの墓へと続く」ものだったことが描かれています。それはプラスが神のように思っていた父親の残像がプラスの精神を痛めていたことを暗示しています。そしてプラスの凄惨な死を「ピーナツをバリバリ噛」みながら噂している「人たち」に対してヒューズが沈黙を守ったことも書かれていると思います。
テッド・ヒューズ最後の詩集は結婚からプラスの死後までの自伝のようなものでした。研究者はすでに英文での研究は終えているのでしょうが、私のように原語で読みこなせない者にはありがたい訳詩集でした。今まで断片的にしか知りえなかったヒューズとプラスの関係が、やっとここではっきりしたという思いでいっぱいです。研究者のみならず、詩を書く者、詩が好きな人なら読んでおかなければならない1冊だと思います。
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