きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.12.29(月)

 連休2日目。読みに読んでいます。もう30冊は読んでいるかもしれませんね。でも、昨日今日で10冊ほど新たに加わって、12月にいただく本はやはり多いです。12月合計で70冊を越えるのではないかと思います。通常の月は50冊ほどですから、やはり12月は特別な月のようです。がんばって読んでますよ。返事が遅いとお思いの皆さま、愚直にいただいた順番で拝読していますので、もうしばらくお待ちください。



  李承淳氏詩集『風船に閉ざされた肖像画』
    fusen ni tozasareta syozoga.JPG    
 
 
 
 
2003.12.23
東京都千代田区
花神社刊
1905円+税
 

    風船に閉ざされた肖像画

   私はいつも小さくなる
   核兵器もなしに
   燃えきってちらつく焼け跡で
   小さくなる
   人肉を食む同胞を思い浮かべ
   片足で歩く戦争孤児を見ながら
   小さくなる
   針で突かれた風船のように縮まる

   空気を吹き込まれると
   しばらくは膨らみ活気に充ちて
   虚空に浮き立つが
   戦争の騒がしいニュースに
   また小さくうずくまる

   罪人を扱うように畳み掛ける
   ひそひそ話のたらい回しの
   声に身を縮め
   怖気づく手の内に握られ
   腑抜けになる

   空中を徘徊しては
   小さく小さくしぼんで
   海を隔てた外地の
   狭霧渡る
   無気力のトンネルを潜り抜け
   ぼろぼろに裂けて
   闇の泥濘
(ぬかるみ)深く沈む

   眼を瞑ったせいで
   闇なのか
   夕暮れが暗闇を生んだものか
   べとつく暗闇の
   土の底に吸い取られていく

   夕闇がせまる大地に
   逃亡者のように腹ばいになって
   しわだらけの母の
   悲しい眼を浮かべる

 詩集のタイトルポエムです。「私」は「風船」であり、様々な事象に「いつも小さくなる」という設定を新鮮に感じました。「核兵器もなしに」「焼け跡で」「片足で歩く戦争孤児」「戦争の騒がしいニュース」などの詩句からは、この作品が反戦詩の側面を持っていることが窺えます。しかし声高に反戦を叫んでいるのではない。あくまでも「小さくうずくまる」にすぎません。「身を縮め」「腹ばいになって」「悲しい眼を浮かべる」にすぎないのです。そうすることでしか意思は伝えられないもの、それが詩人のやり方、と言っているように思います。もちろん反戦に限らずあらゆる事象について…。
 詩人の清心な内面を見た思いのする詩集でした。



  山波言太郎氏詩集『地球が晴れて行く』
    chikyu ga hareteiku.JPG    
 
 
 
 
2003.12.25
神奈川県鎌倉市
でくのぼう出版刊
1400円+税
 

    赤い風船(2)

   ヒモだけが見えている
   風船は消えて、握っている子供の手
    だけが見えている
   ビュルルン と、通信が上から来る
   ビュルルンと、通信だけが届く
   子供は無心をそんな風に受信して
    それから大人になる
   ヒゲが生えたり レディになって化粧したり
   それから後は死を迎える準備に
   忙がしく日を過ごしたり
   ふと、死ぬ間際に赤い風船を
    思い出して
   手遅れのように、手応えのする
    上の方を見ると
   赤い風船が飛んでいる
    (そんな事を繰り返して)
   人は風船が一つ空にある真実を知る

  <癒しの朗読歌詩> という副題が付いていました。紹介した作品にもそれは現れていると思います。「無心を」「受信」するなんて、いい詩句だと思います。「死を迎える準備」も考えなければいけないんでしょうね。最期に「赤い風船が飛んでいる」ことに気付くかどうか、私なんかはちょっと心もとないかもしれません。なんとか「風船が一つ空にある真実を知る」ようになりたいものです。
 著者も勧めていますが、朗読や歌唱を前提とした詩集で、声に出して読んでみると良いでしょう。今までと違った魂の震えが感じられる詩集です。



  隔月刊詩誌サロン・デ・ポエート247号
    salon des poetes 247.JPG    
 
 
 
 
2003.12.25
名古屋市名東区
中部詩人サロン・滝澤和枝氏 発行
300円
 

    体内ゲーム    足立すみ子

   首の付け根
   重い頭を支えるからか
   固く浮き出る疲労の塊
   「またか」
   本を閉じて首を廻す
   指で押してもみほぐす
   それでも駄目なら鍼を打つ

   プスッ!
   細い針先が皮膚を切り
   鍼体は
   ゆっくり筋繊維に刺さっていく
   二度三度四度五度

   それに気付いた体内分子は
   こぞって
   刺し傷の手当をし始める
   血管が開き酸素が来る
   要らないものは運び去られる
   そして
   固いしこりがほぐれる時
   私は痛みに似た快感を得る

   「まるでゲームをしているよう」
   プレーを終えて
   持ち場に帰る分身
(なかま)を思う
   けれどいつかは
   ゲームが戦いに変わる日が訪れる

 「それに気付いた体内分子は/こぞって/刺し傷の手当をし始める/血管が開き酸素が来る/要らないものは運び去られる」というフレーズに驚きました。「鍼」のメカニズムはそういうことだったんですね。そして「ゲームが戦いに変わる日が訪れる」というフレーズにはちょっと戦慄を覚えます。避けられるものなら避けたいと思うのが人情でしょうが、作者はそれを真正面から受けようと向き合っているように読み取れます。考えさせられる作品でした。




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