きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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1990.5.6 |
長野・五竜とおみ上空 |
2004.1.5(月)
今日から仕事始め。暖房が1週間以上切れていた状態ですから、朝のうちは寒かったですね。コンクリートの建物というのは冷えると、本当に寒々とします。まあ、10時頃には温まりましたけど…。暮から積み残していた仕事を思い出しだしやったのですが、予定以上に進みました。会議は無い、電話もほとんど掛かってこない、Eメールも数件だけ。普通はそういうものにどれだけ時間を費やしているのかと、しみじみ納得しましたね。当然、終業は17時。明日からは何時に帰れるか判りませんから、こういう日はどんどん早く帰ることにしています。でも、何か心配なんだよな、早く帰って来た日って。
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2004.1 |
埼玉県所沢市 |
書肆夢ゝ・山本
萠氏 発行 |
200円 |
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(わたしは)壊れた 赤木三郎
時計が
メリー・ゴーラウンドを
まねている
なつかしい音楽 を
おいかけたり
おいつけないのに おいぬこうとして
はしる馬の 背で
うつくしく 歌を
うたってみたり
して
*
(わたしは)壊れた
針を失った時計は回っても 時を示せない
(世界の 追憶ばかりが
よりそってくる)
卵という時計で あったなら
内側から砕かれるとき は
なにもかも 可能性のため に
(わたしははじまりに もどった)!
「壊れた」がタイトルですけど「(わたしは)」と括弧付きのわたし≠ェ付いています。「壊れた」の主語は「時計」なんですけど、「(わたしは)」とあることからわたし≠煢れたのだと理解できます。おもしろい遣い方ですね。ダブルイメージで作品を楽しむことが出来ます。「おいつけないのに おいぬこうとして」「針を失った時計は回っても 時を示せない」などのフレーズも具体的にイメージが浮かんできて魅了させられました。
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2004.1 |
埼玉県所沢市 |
書肆夢ゝ・山本
萠氏 発行 |
500円 |
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りふれいんが …きこえ 赤木三郎
ひとを ころさない ために たたかえ なにものも うしなうな自分自身も
語れ 語りすぎない ために ききつづけよ ひとのことばもひとのことばでないものも
そして また 立ちつくせ理不盡な銃口の前に 胸を 射たれるために
そして また 去れすぐさま 去るべき場所からは
‥死ね 死なない ために こそ とどろかせよ ‥死んでなお こころ を
捨てよ (なにをか なにほどをか 惜しむべき)尊厳と自由の ほか は
尊厳と自由 みずからと 他の
それらの なかに (目をみはり) 存在というものらの ひとつひとつの謎の なかに 完全さの なかに
黙して あるものらと ともに しずけさの なかに 目を伏せて
ひとときを 歌によって あるいは ことばなく 声によって
非常に無粋な紹介のし方で申し訳ありません。原本では1頁にひとつのクレヨン画があって、それに1行の詩篇が添えられています。「りふれいんが …きこえ」が表紙で、かつタイトルと考えました。次の「ひとを ころさない ために たたかえ なにものも うしなうな自分自身も」という詩編は1頁目に…。最後の詩篇は裏表紙です。
無粋と知りながらこうやって並べてみると、やはり1編の詩篇ですね。タイトルと思っている「りふれいんが …きこえ」が「尊厳と自由」のリフレインとして考えられ、すごい詩だなと思います。
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2004.1 |
埼玉県所沢市 |
書肆夢ゝ・山本
萠氏 発行 |
500円 |
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あるひ ――――――
はながえるは
はなうさぎのよこをすぎて
(わたしは日々を違う者であり
年すぎて違う者である)
はなへびと であった
また無粋な紹介をしています。こちらはクレヨン画ではなく、書です。基本は1頁に1行ですが、書だけの頁もあります。書についてはまったく判りませんが、上の写真の書は「あるひ」と読むのかな、と思っています。今回の詩篇にはタイトルと思われる言葉がなく(あるいは「あるひ」がタイトルかもしれませんが)、詩片≠ヘ赤木さんだそうです。「はながえる」「はなうさぎ」「はなへび」はおもしろい言葉ですが、( )内は難しいですね。書と合せて考えなければいけないのかもしれません。
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