きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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1990.5.6
長野・五竜とおみ上空

2004.1.10(土)

 会社は休みですので、荷物を会社に届けてもらうことはできません。止む無く、関連会社で試作した試験品を私の家に送ってもらって、それを持って出勤しました。休日出勤は避けたいし、会社の荷物を自宅に送ってもらうなんてことはやりたくないんですがね。三連休明けの火曜日までに結論を出したいので、まあ、それもしょうがないと納得していますけど、常態化するのは避けたいです。休日は休日、出勤日は出勤日とメリハリをつけて、リズムをつけないと、長い目でみれば碌なことにはならないと、一応は思っているんですが…。と言いつつ、明日も出勤(^^;



  葵生川玲氏詩集『ヤスクニ・ノート』
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東京歴史紀行
2003.12.25
東京都北区
視点社刊
1000円+税
 

    公式参拝

   いわゆる、公式参拝という問題について
   時の、松平宮司が語っているのを聞いた。

     一九八五年八月十五日
     中曽根首相が「公式参拝」したことになっているが、
     宗教色を薄めたいということで、
     「お祓い」を受けず、「玉串奉奠」もしないで、
     「二拝二拍手一拝」の伝統的な礼法もしなかった。
     ただ、本殿の前で二十秒ほど頭を下げて黙祷しただ
     けだった。
     公式参拝の直前に、「大日本遺族会」と「英霊にこた
     える会」の主だった方々に呼ばれ、いわばつるしあ
     げのような格好で、強引に迫って来たのです。
     手水を使わないのは、まあ宜しい。自分の家できちっ
     として来れば、それは心掛け次第だ。
     二拝二拍手一拝というのも、中曽根氏のやることで、
     いくら格好ばかりやっても心がなければしようがな
     いんだから、心を込めて拝めばと譲りました。
     けれど、お祓いを受けないのは困る。お祓いは神社
     のやることで、火とか塩とか水で清めるというのは
     日本古来の一つの伝統習俗です。ところが、先方は、
     宗教法人たる靖国神社の行為だから困るという回答
     なんです。
     それならばやむをえないから、うちはうちでお祓い
     をする、いわゆる「陰祓い」をすることにしました。
     お祓いはひとり靖国神社だけの問題ではなく、全神
     社界に関係するおおきな問題だから即答を避けたん
     です。先方のいう参拝の仕方で宜しいとは、簡単に
     言えない。
     また、人の家に泥靴で踏み込むような人のところに
     宮司が出て行って、よくぞいらっしゃいましたなん
     て、口が裂けても言えませんから、私は社務所にい
     て、出ないことにしました。
     あのとき、首相は武道館で全国戦没者追悼式に参列
     したあと、時間調整のためそこでお昼を食べ、それ
     からやって来ました。神門から拝殿までの間にずっ
     と遺族さん方がならんで拍手で迎えるように取り仕
     切り、まるでショーのようなつもりでやっているん
     です。
     しかも、あとで夕刊をみて驚いたのは、四人のボディ
     ガードを連れて行動したんですね。うちの神様方と
     いうのはみんな手足四散して戦場で亡くなった方が
     大部分です。そこへ参拝するのに自分の身の安全を
     はかるために四人もぴったりガードをつけるなんて
     いうのは、無礼・非礼のきわみというしかありませ
     ん。
   松平宮司の、この怒りに満ちた発言からくみとれるのは、
   一人の、海軍軍人上がりの超右翼政治家の、名誉欲と人
   を人とも思わない、傲慢な体質から発散するあの気味の
   悪さだ。
   時代錯誤の光景が、歴史の臭いを放つ武器の類を溶け込
   ませて、今日も、境内で多くの人々が見えない死者に取
   り巻かれている。

 本詩集は、昨年夏に『詩人会議』誌に発表した「ヤスクニ・ノート」と、未刊詩集の「サイレント・ストーリー」を合せた詩集である、と「編集付記」にありました。紹介した作品は、その「ヤスクニ・ノート」からの1編です。「宗教法人たる靖国神社の行為」である「お祓いを受けない」ことにしてでも「公式参拝」を既成事実化しようとした「一九八五年」当時の「中曽根首相」の姿が浮き彫りにされています。「松平宮司」の「そこへ参拝するのに自分の身の安全を/はかるために四人もぴったりガードをつけるなんて/いうのは、無礼・非礼のきわみというしかありませ/ん。」という見方は、「靖国神社」の是非は別にしても正当な見解でしょう。「中曽根首相」の「公式参拝」とは、どの角度から見ても歪んだ姿勢だったのだと改めて思います。
 中曽根首相以来、現職の小泉首相まで続く「公式参拝」は、まさに「時代錯誤の光景」と言えるでしょう。今に続き、将来への不安も表出させた作品だと思います。



  詩誌『飛揚』38号
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2004.1.7
東京都北区
葵生川玲氏 発行
500円
 

    小さな映画    みもとけいこ

       −実習船えひめ丸のために−

   事故が起こったのは二〇〇一年二月九日
   ハワイの海は日本のそれより
   少しは暖かかったに相違ない

    愛媛県宇和島水産高校の実習船えひめ丸は
    突如浮上してきたアメリカ海軍の原子力潜
    水艦に体当たりされ 沈没した 乗組員は
    海に投げ出され 救助された人 遺体とな
    って収容された人 沈んだ船のなかに閉じ
    込められて発見された人 など明暗をわけ
    た

   明でもなければ暗でもない
   その薄暗い境目を
   一人の高校生が彷徨っている
   彼だけがまだ故郷に帰り着かない

    沈没した船の中から彼ミズグチ君のデジタ
    ルカメラが発見された カメラは海水に漬
    けられたまま空輸され 日本のメーカーで
    復元された そこにはマグロはえなわ実習
    で鮫がとれた様子 仲間とホノルルを観光
    する姿など 静止画一枚 音声入りの動画
    もあったという

   それはミズグチ君が製作した
   小さな映画 水浸しの光 声 街
   そこで中断された人生のための

    ミズグチ君の映画には「終」の字もなけれ
    ば「FIN」もない  人生にも映画にも
    「終」らしい終わり方が必要だ  これを報
    道した新聞は「米海軍、海上自衛隊、ソニ
    ーの関係者に感謝したい」という父親の言
    葉で縮めくくられていたが この映画の結
    末にとても相応しいとは思われない

   あまりにも短かすぎるフィルム
   彼は今 太平洋のどのあたりを
   故郷に向かって歩いているだろうか
   「終」を完了させるために

 今号の特集は「私の映画」。その巻頭に掲げられた作品です。「映画」という既成概念を破って「ミズグチ君が製作した/小さな映画」に着目した点は見事です。「人生にも映画にも/「終」らしい終わり方が必要だ」という思想も納得させられます。「太平洋のどのあたりを/故郷に向かって歩いている」か、今も分らない「ミズグチ君」への鎮魂詩としても秀作と云えましょう。




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