きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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1990.5.6
長野・五竜とおみ上空

2004.1.15(木)

 朝から4つの会議をこなして、終ったのが19時。その後は、会議に来ていた東京本社の営業担当2名と呑みに出掛けました。駅前の焼鳥屋で2時間ほど。酒は「八海山」。仕事が一段落したあとのお酒というのは、本当においしいですね。まあ、冷静に考えれば、仕事も難しいところに入り込んでいくことになりますから、そうそう喜んでばかりはいられないんですけど、気分転換も必要でしょう。オンとオフをいかにうまく使いこなすか、それが大事なんだよな、なんて3人で話ながら呑んでいると完璧にオヤジの呑み会です。でも、楽しかった(^^;



  詩と童謡誌『ぎんなん』47号
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2004.1.1
大阪府豊中市
ぎんなんの会・島田陽子氏 発行
400円
 

    笑う    小林育子

   テレビが
   笑ってる
   笑ってないと
   こわいことが
   やってくるみたいに
   笑ってる

 「テレビ」は嫌いなんで、あまり見ないのですが、なぜ嫌いかというと、あの馬鹿騒ぎや馬鹿笑いが嫌なんですね。それと同じことを作者も感じているのでしょうが、私よりも深く観察していることに驚かされます。「笑ってないと/こわいことが/やってくる」という視点は鋭く、見事です。
 同じようなことは次の作品にも言えると思います。


    2004年    すぎもとれいこ

   限りなく人間に
   近付いていくロボットと
   限りなくロボットに
   近付いていく人間が
   新しい年を迎えた

 「限りなくロボットに/近付いていく人間」というフレーズには実感がありますね。ロボットが人間に近づくというのは、その目的ですから当然なんですが、実は逆があるのではないかという視点は怖いです。詩人の感性が暴く現象、とでも言えましょうか。
 短詩ながら紹介した2篇は切口の素晴らしい作品だと思いました。



  詩誌『帆翔』31号
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2003.12.31
東京都小平市
《帆翔の会》岩井昭児氏 発行
非売品
 

    杉山神社    岩井昭児

     やしろ
   長い社の石段を
   今日も数えて登ります
   けれど途中で間違える
   杉山さまの境内は
   朝登校の近道で

   春風若葉にシラコバト
   夏はタマムシ・オニヤンマ
   秋雨しとしとアオガエル
   冬の椿は赤い首
   四季折々のガラス絵に

   祭囃子の笛太鼓
   絵馬にしめ縄手水舎を
   睨む高麗犬神楽面
   願掛けお百度藁人形
   御神籤いつでも吉だけど

   杉山さまの石段を
   今日も数えて降りて来る
   けれど途中で忘れます
   神主さんの申すには
   叶う氏子の夢の数

              杉山神社=杉山大神
              横浜市神奈川区六角橋の地元小学校である
              神橋小学校に隣接。神橋は地名の神大寺の
              神と六角橋の橋を採って命名したという。

 「石段」の数を「けれど途中で間違える」、「けれど途中で忘れます」というのが効果的な作品ですが、それが実は「叶う氏子の夢の数」なんだと判ったとき、この作品の重みが変ってくると思います。「神主さんの」頓智としてもおもしろいけど、意外と日本の八百万の神々の本質なのかもしれないなとも思います。「神」にはちょっと偏見があるのですが、この作品を拝見すると、そんな己の矮小さを知らされる思いがしました。




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