きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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1990.5.6 |
長野・五竜とおみ上空 |
2004.1.17(土)
未明からの雪で、午前中に3cmほど積もりました。この冬2回目ですが積雪になったのは初めてです。
今日は阪神大震災の9回目の記念日でもありますね。亡くなられた方々のご冥福を改めてお祈りいたします。
そして今日はこのHPの5回目の誕生日です。とうとう丸5年経ってしまいました。当初から5年10年は続けるつもりでいましたから、格別の感慨というものは無いんですけど、まあ、何の進歩もなくよくやっているなぁ、というのが実感ですね。ちなみにこの5年間で何冊の本を紹介してきたか調べてみました。
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詩集等 |
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詩誌等 |
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合計 |
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1999年 |
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122 |
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205 |
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327 |
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2000年 |
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152 |
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271 |
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423 |
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2001年 |
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179 |
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313 |
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492 |
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2002年 |
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196 |
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378 |
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574 |
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2003年 |
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168 |
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438 |
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606 |
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2004年 |
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4 |
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19 |
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23 |
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合計 |
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821 |
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1624 |
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2445 |
よく読んだなと思います。そして全国の皆様がこんな無名の私によく贈ってくれたなとも思いますね。ありがとうございました。お陰でずいぶんと勉強させていただきました。今後ともよろしくお願いいたします。
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2004.1.1 |
札幌市中央区 |
林檎屋・瀬戸正昭氏
発行 |
500円+税 |
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縫い目 リタ・ダウ(木村淳子訳)
皮膚に
傷口が開く
わたしはこんなことしか考えていない
「そう、わたしも皮膚の下は白いんだ!」
それから血が盛り上がり
肘に滴る
これは何の準備のためでもない
わたしは 大学に電話して
説明する 夫が飛び込んでくる
エンジンはかかったまま
蒼ざめて わたしを救急病院に連れて行く
赤い服を着てみなさい
そして何が起こったか考えてごらん
君は授業に出ようとしていたんだ
飛行機に乗ろうとしていたんだ−
かさばるスーツケースが落ちてきて君に当たったんだ
ドクターの歯はビーバーのように黄色い
彼は仕事をしながら口笛を吹く
表皮が傷の上にしわよせられるとき
ちっとも痛くないので驚く−ただ 糸にかかった鱒が
引っぱりあげられるときに感じるような圧迫感があるだけ
お針子の悪夢が縫い出した
黒いまっすぐな線 踏み板が
針をまっすぐに踏みつける
君はいつもいたずらをやめられないんだよね
いいえ そうじゃない いつだって そうではなかった
海外詩特集の中の1編です。作者のリタ・ダウは1952年米国オハイオ州生まれの黒人女性で、桂冠詩人だそうです。白人の夫とともにヴァージニア大学の教授だそうですから、優秀な女性なのでしょう。
最初は「そう、わたしも皮膚の下は白いんだ!」というフレーズにあまり注目しなかったのですが、黒人女性だと判ったとたんに重みが伝わってきました。そういう意識で読み返すと最終連の「いいえ そうじゃない いつだって そうではなかった」というフレーズ違った意味合いに響いてきます。作者の魂の底から叫びとしてとらえられるように思います。訳者の力量もあるのでしょうが、文化の違いを超えた本源的な人間の叫びを感じる作品だと思いました。
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2003.6.19 |
和歌山県和歌山市 |
編集工房MO吉刊 |
700円 |
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おしっこ
眠っていた田畑が
ひとの手を借りて 目を覚ます
田に水が入って 遅い田植えが始まった
も吉のお気に入りの空き地にも 水があふれて
出なくなったおしっこが さらに出なくなる
散歩の途中で ペタリと坐り込んで
骨の形になってしまった五体が 息をする
年老いてなお も吉はかわいい
痛めた両足に 妻の靴下を履いて
道往くひとがふり返る
滑稽な お爺さんになっていた
梅雨入りの頃から
も吉の身体が妙に温かいことに気付いていたが
もうすでに 季節は立ち止まっていた
めずらしく晴れた 休日の朝
も吉はもう 立つことができない
おしっこが溜まっているはずなのに
辛いと言って 鳴くことさえできなかった
おむつをつけたまま 一輪車に乗せて
いつもの公園へ連れてゆく
桜の木は きれいな若葉
も吉の腹に腕を回して 立たせてやる
さぁ おしっこしよう
誰も見ていないから
空っぽのブランコが 笑っているけど
やさしい光が 若葉にはねて
も吉の上にふりそそぐ
大地に横たわって その横顔は
元気な草の香りを 楽しんでいるみたいだ
しあわせな風景なのに
おまえの影だけが 足りなかった
15歳で死んだ愛犬「も吉」の鎮魂詩集です。紹介した作品はその死の直前を描いているのではないかと思います。私の家にも室内犬がいまして、まだ8歳ですから同じ体験をするのはもう少しあとのことでしょうが、身につまされます。子供の頃に飼っていた犬の死とは別の感慨が起きるのではないかと今から覚悟している次第です。
最終連の「おまえの影だけが 足りなかった」というフレーズに作者の気持のすべてが集約されているように思います。「おむつをつけたまま 一輪車に乗せて/いつもの公園へ連れて」行ってもらった「も吉」は、きっと満足していることでしょう。愛犬家の心情が痛いほど伝わってくる詩集です。
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