きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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1990.5.6
長野・五竜とおみ上空

2004.1.19(月)

 2カ月ぶりに休暇を採って日本ペンクラブ電子文藝館委員会に行ってきました。前回出席したのは6月でしたから、実に7ヵ月ぶりの参加としいうことになります。出席は24名中14名。京都などの遠隔地に在住する委員もいますから、まあ、出席率は良い方ではないかなと思います。密かに期待していた担当役員・米原万里さんとの出逢いは、急な欠席で果たせず、残念。

 委員会の議題はいろいろありましたけど、初めて予算計上をすることになった、というのがまず挙げられるでしょうね。今までは事務所経費の中でやっていたんですが、ちゃんとした委員会なんだから予算を組まなきゃダメ、ということになったようです。予算のある無しに関わらず活動は続くんですけどね。

 もう一点は、HP上にデータベースが載せられないかというもの。今でも索引はあるんですけど、一覧表形式で五十音順なり作品順なり発表年順・生年順などのフリキシビリティをもたせられないか、というものです。これはちょっと専門的になるので加藤弘一委員と私で研究することになりました。加藤さんに伺ったところ、EXCELのhtml形式保存で出来そうです。このHPでテストしてみて、完成させようと思っています。でもMacではちゃんと表現できるんだろうか? Macをお使いの方にご協力をお願いするかもしれません。その節はよろしく!



  文藝誌『セコイア』28号
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2004.1.20
埼玉県狭山市
セコイア社・松本建彦氏 発行
1000円
 

     大山椒魚    村上泰三

   両生類 幼生は鰓を持つが
   成長すると 肺呼吸と皮膚呼吸をする
   便利だ
   あまりにも 便利すぎるから
   進化の袋小路にはまり込み
   洞窟の奥で
   数百万年も 眠り続けたのだ

   だが ハンザキともいわれる
   体を半分に裂いても
   生き延びるという強い生命力を持っている
   ヒマラヤの氷壁を 這い登る 山椒魚

   腐臭漂う 下水溝の中に潜む 山椒魚

   劣化ウラン弾に破壊された戦車の傍ら
   焼けつく砂の上にうずくまる 山椒魚

   青空を 飛行船のように滑空する 山椒魚

   冷たく暗い洞窟の奥で 日を閉じたまま
   山椒魚は
   どこにでも 任意の地点に存在している

   黒い雨が 数百年降り続き
   すべての生き物が滅び去ったあと
   山椒魚は やおら洞窟から這い出て
   短い二本の後肢で立ち上がり
   荒涼とした地上を眺めているだろう

 「山椒魚」のおもしろい生態を書いているだけの作品かと思って読み始めましたら、違いました。「すべての生き物が滅び去ったあと」の山椒魚は、やがて地球を睥睨する生物になるのではないかと思ってしまいますね。そう思えるのは、「強い生命力を持っている」ことが読者として納得できるからだと思います。納得という意味では、実態は知らないのですが「青空を 飛行船のように滑空する」ということにも違和感はありません。詩句の力に圧倒された作品です。



  詩誌『地平線』34号
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2003.5.20
東京都足立区
銀嶺舎・丸山勝久氏 発行
600円
 

    春・幻    山田隆昭

   街角で立ち止まる
   電信柱がくねくねと招いても
   犬ではないから誘惑されない
   曲がるとそこに
   巨人が座っていそうだ
   塀にもたれて座っているにちがいない
   投げ出した足が道いっぱいにひろがっていて

   ポケットに忍ばせた薬に頼ろうか
   レンズになった空気を
   ハンマーで叩き割ろうか
   だが 今日は薄い文庫本しか持っていない
   表紙に赤く太い文字で
   「薬物中毒から立ち直る法」
   背表紙では細い骸骨が正装している
   骨だって痩せることがあるのだ

   振り向けばネズミほどの自動車が
   群れて押し寄せてくる
   ひとたび踏んでしまったら
   転んで立ち上がれなくなる
   道の脇の小さな公園に逃げこむ
   児童公園であるのに遊具がひとつもない
   砂場のかわりに星形の深い池がある
   柵は もちろんない
   水には多くの眼球が漂っている
   その数は奇数でなくてはならない
   ひとができあがった頃からきまっていることだ
   こころの眼はひとつで
   水は幻を見ないから

 第1連では二人称または三人称であった「巨人」が、最終連では一人称に変っていると読み取りました。その視点の変化がひとつの「幻」だろうと思います。もうひとつの幻は「ポケットに忍ばせた薬に頼」ることでしょうか。巧妙に隠されていてなかなか読み切れませんが、それらに「春」をダブらせても良いだろうと思います。
 「犬ではないから誘惑されない」「レンズになった空気」「骨だって痩せることがあるのだ」などの詩句に魅了されますが、そこでとどまる作品ではないと思います。もっと大きな喩を考えて読まなければいけないように思うのですが、正直なところ掴みきれません。「巨人」のようになっている人間、それを戒める「こころの眼」と捉えても良いのでしょうが、ちょっとピントがズレている気がします。しばらく悩みそうです。



  詩誌『地平線』35号
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2003.11.15
東京都足立区
銀嶺舎・丸山勝久氏 発行
600円
 

    灯台    山川久三

   くしゃみをすると泄
(も)れる
   女の尿道が短い というより
   老化が
   括約筋を はどいている

   湾の照り返しが溜まる真魚
(な)板に
   記憶の襞から取り出した男を
   横たえ
   包丁の尖
(さき)
   供養を こめて
   ていねいに割
(さ)いてゆく

   弓なりの空が垂れて
   灯台に灯
(ひ)が入り
   岬のはなが
   光を掃きはじめる

   ヒキガエルの男の体位が
   女のからだを 離れ
   空の濃紺の深みへ
   わずかに足を掻きながら
   ゆっくりと昇ってゆく と
   笑いの発作が
   女に
   体液を滲出させる

   女は
   ひとりの箸を伸ばし
   レバー片 二三
   鍋のなかを 泳がせると
   親しかった肉の一部とも思えぬ
   さわやかな歯ざわりである
   噛みしめるほどに
   女のからだの はしばしから
   反芻のように
   思い出は なまぐさい

   冷えた ふとんに
   あごを あずけると
   潮風が 光の放射を揺らめかせ
   一日の終わりに漏れてゆく
   ものの ゆたかさを
   女は
   闇に立つ 大きな手に
   ゆだねたままである

 この作品は難しいのですが、魅力的です。「記憶の襞から取り出した男を」「ていねいに割いてゆく」部分と、「灯台」が二重構造になっていて、そこをうまく読み込まなければいけないのでしょうけど、読み切れません。もうひとつ、「闇に立つ 大きな手に/ゆだねたままである」を何の喩と捉えるかも大事で、これは「老化」「一日の終わり」から死と捉えても良いのでしょうが、タイトルが「灯台」ですからね、違うようにも思います。作品の二重性から読まなければならないでしょう。作品全体から受ける印象は、諦念の中の明るさ、ということになるでしょうか。読者として読みの浅さを感じてしまいますが、なぜか魅了される作品です。
 ルビが表現できず、新聞方式としてあります。ご了承ください。




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