きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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1990.5.6
長野・五竜とおみ上空

2004.1.21(水)

 仕事の上では次々と問題が出てきて、まあ、大変な1日でしたね。でも、製品の状態や市場の問題など、これでもかこれでもかと現れてくる問題点をやっつけていくということは、ある種の爽快感があります。完璧とまではいかないものの二つばかりは片付けて、残りは二つ。これはちょっとやっかいです。休日出勤まで考えています。誰かに頼める仕事でもないので、これは自分でやらなければならないでしょう。久しぶりに試験機に向っての作業になりそうです。密かに楽しみにしている、と云うと不遜かもしれませけどね。仕事なんてものは、楽しみ半分でやらないとやってられません。



  詩誌『濤』2号
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2004.1.26
千葉県山武郡成東町
濤の会 いちぢ・よしあき氏 発行
500円
 

    泣き言    山口惣司

   数十年来の習慣のことだ
   毎朝丁寧に「昨日」を剥す
   それでも
   ちょっとした指遣いで
   二日分を剥してしまう

   「昨日」から「明日」への
   一足飛びに
   当然僕は狼狽する

   決して一日分が
   僕の不注意で消えた訳ではない
   でも現実に
   「昨日」にくつついて「今日」が剥され
   屑箱に捨てられようとしている

   で
   僕はあわてて「今日」を
   「明日」の隣にピンで止める

   幽かな風に「今日」が揺らめいている
   所在なく
   「今日」が揺らめいている

   どうせ時世からリタイアした僕のことだ
   「今日」が「昨日」であっても
   「昨日」が「明日」であっても
   別に差し支えることはない

   それでも
   現役を無理やり下ろされた「今日」が
   執拗に「今日」を主張し
   「明日」の隣でぶつぶつ泣き言を言っている

 日めくりカレンダーの話ですが、最終連の前の連で「僕」のことに転化していて、そこがおもしろいと思います。最終連はカレンダーと「僕」にダブって読めて、しかも「泣き言」というタイトルとうまくつながっているので、ストンと胸に落ちます。「今日」を「ピンで止める」という発想もおもしろいですね。私だったらそのまま捨ててしまいそうです。そんなところにも作者の細やかな精神が生きているのかな、とも思いました。



  横山せき子氏詩2004 Art Calendar Book
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2004
東京都新宿区
美研インターナショナル 発行
 

    日なここちや
    ――思い出の中から

   ひとり取り残された部屋に
   座っていると
   「あのころがいちばん幸せだった」
   ひと気のない部屋の中で
   ひとの声がする

   その頃三人の娘は幼かった
   西日さす縁側で
   大人たちは日が暮れる
   自然の光景を語り合っていた

   私の傍らで大人の話を
   聞いていた娘たち
   それからは美しい夕陽が
   西の空に沈むころになると
   空を指して
   「日なここちや」
   と片言で詩うようになった

   或時は父の背で
   また或時は母の腕の中で
   おとなたちに通じない言葉を
   くり返していた

   あれから久しい年月が
   過ぎ去ったいま
   ひとり夕日を眺めている
   幼い日の娘たちのことばが
   解るような気がする

   ――日なここちや
   ――日なここちや
   と繰返していたことばは
   「日が暮れた」
   であったと。

 いただいたのはカレンダーですが、暦の隣には絵があって、それに横山さんの詩が添えられています。観ても読んでも楽しめるカレンダー、と云うところでしょうか。
 紹介した作品は「7月」に添えられていた詩です。この作品は1986年11月8日紫陽社から刊行された第二詩集のタイトルポエムでもあります。カレンダーでの作品は空白行の位置が詩集とは違っていますので、ここでは詩集の連立てで紹介しています。「日なここちや」という不思議な言葉が、実は「日が暮れた」であったと判ったとき、「幼い日の娘たち」の感受性に心あたたまる思いがします。横山さんの代表的な作品と言っても良いでしょうね。




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