きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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1990.5.6
長野・五竜とおみ上空

2004.1.24(土)

 半年振りになるでしょうか、第186回『KERA(螻)の会』に参加して来ました。とは言っても13時過ぎまで休日出勤をしていましたので、15時の開催時間には間に合わず、16時過ぎの到着でした。今回のテーマは「発行・参加している同人誌について」。私は現在、どこの同人誌にも属していませんので、もっぱら聞き役に回りましたけど、結構おもしろかったですよ。同人制とは言いながら結社であるところが多く、短歌・俳句を含めた日本人の特質ではないか、というところに落ち着いていましたね。

 その後の呑み会が、実は今回出席の目的でした。日本詩人クラブでやっている現代詩研究会で、出席できない地方の会員のためにインターネットを使って中継できないか検討せよ、研究会に関わっている東大教授の川中子義勝さんが呑み会の席に出てくるから、そこで両者で検討せよ、というものだったのです。
 基本は詩人クラブ専用のPHSを購入して、それをパソコンにつないでやることになりましたけど、理事会を説得する文書は私が担当することになりました。パソコンもインターネットもほとんど知らない理事が多いので、彼らに理解してもらえる文書は図解する必要があって、シンドそうです。まあ、受けたことだからやりましょう。図を作るのにちょっと時間が掛かるかな?



  個人詩誌Quake創刊号
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2002.11.1
東京都稲城市
奥野祐子氏 発行
非売品
 

    おかえり!おかえり!    奥野祐子

   おかえり!おかえり!
   まあ あたまからあしのさきまで
   クソまみれじゃない
   おまけに一糸まとわぬすっぱだかで
   なにがあったかはきかないわ
   だから とにかく
   いえに おあがり
   あついシャワーをあびて
   ながせるよごれは みんな ながしておしまい
   おかえり!おかえり!
   なにもいわなくていいんだよ
   あついミルクをのんで
   さあ、 もっと火のそばにおよりよ
   おまえはかえってきた
   たたかいはおわったんだよ
   おまえは いきてかえってきた
   わたしのところに
   さあ これから おまえはかたらなくちゃいけない
   しんだともだちや けしたきおくのことを
   おまえをころそうとしたやつらのことを
   じかんはたっぷりあるさ
   かくごはいいね
   はらはきまったね
   おかえり!おかえり!

 「おかえり!おかえり!」と呼びかけられたのは猫のようでも犬のようでもありますけど、やっぱり人間の子と考えた方が良さそうです。もちろん想像上の子で、ことによったら作者の精神という子供であるのかもしれません。そんな幅広い読み方のできる作品だと思います。



  個人詩誌Quake2号
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2003.3.15
川崎市麻生区
奥野祐子氏 発行
非売品
 

    道    奥野祐子

   道を歩いていると
   突然 闇が走ってくる
   辺りを一面重く塗りこめ
   道だけをぼおっと青白く光らせる
   私たちは ポツンポツンと
   足跡をつけながら生きている
   光り輝く花道を歩くかのように
   すべては 錯覚
   夢と幻
   私たちはひたすら行くだけなのだ
   もう二度と同じところには
   帰って来ることはない
   帰ってきたものなどいないのだ
   そのことを忘れて
   あっちに リボンを結び
   こっちに 道しるべをたて
   めぼしい出来事をメモにとり
   狂ったように 道を確かめ
   みんな 青ざめた顔で進んで行く
   足跡だけが
   ほたるのともし火のように 闇に光る
   『笑いながら 全速力で駆け抜けたって
    いいんじやないの?』
   誰かが
   静けさに耐えかねて 叫ぶけど
   誰も 走り出すものはない
   黙々と
   自分の歩幅で
   ひたすらに 歩いて行く

   エキサイティングなアトラクションも
   身の毛のよだつ大惨事も
   ここにはない
   ただ つつましい毎日があるだけだ
   安易に手を出せば
   指先が切れて
   血がにじんできそうな
   ナイフのしかけが隠された
   平凡な日常があるだけだ

 「もう二度と同じところには/帰って来ることはない/帰ってきたものなどいないのだ」というフレーズに魅かれます。私たちの人生の「道」は、考えてみればそういうものなんですね。それは「つつましい毎日があるだけ」「平凡な日常があるだけ」なのかもしれませんが、しかし、裏を覗くと「血がにじんできそうな/ナイフのしかけが隠され」ているのだという視線は重要だと思います。そんな「道」を考えさせる作品だと思いました。



  個人詩誌Quake5号
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2004.1.15
川崎市麻生区
奥野祐子氏 発行
非売品
 

    BLOOD    奥野祐子

   おふろにはいろうと
   片足を湯舟にひたした
   静かに 静かに
   生ぬるい浴槽の中に うずくまり
   肩まで ゆっくりと
   湯の中に うずもれてゆく
   この感触
   なつかしい とてもなつかしい
   ふと 目をあけると
   めまいがして
   浴槽の中は 真っ赤だった
   一面のこれは血の海?
   静まり返った 白いタイルの小部屋
   叫び声をあげたいのに
   コトバをしらない
   音が出せない
   ママの羊水に浮かんだわたし
   生まれるのが 怖い
   生まれたくない
   生まないで!と 叫ぶ赤ん坊は
   こんなふうに もがくのだろう
   血にむせかえりながら
   だけど もがいても もがいても
   深紅の血の海は
   ばたつくわたしの腕を足を
   しずめ なだめ からめとり
   自由を奪い 拘束し
   ああ もう動けない
   生まないで 生まないで
   生まれたくない
   なんとしても!
   強い怒りだけが
   とがったドリルのように
   赤い水中を切り裂き 進む
   産むのをやめろ!
   ドリルは進む まっすぐに
   ママの心臓
   いのちの源に向かって
   ドリルはうなる ためらいもなく
   ママの心臓を 突き破る
   血と肉にまみれて
   絶命する ママとわたしが
   涙もなく
   声もなくして

 「浴槽の中は 真っ赤だった」という幻想が「生まないで 生まないで/生まれたくない」というところへむすびついていく、何とも痛ましい作品です。作者の中には生まれなければ良かったという意識があるのかもしれません。それは詩を書いたり小説を書く人には共通するものですが、かなり強いように思います。「絶命する ママとわたしが」というフレーズでは、男には無い女性特有の感覚をも感じさせる作品です。




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